アネーゴの言いたい放題 これからの日本はどうなるの?
小泉さんて大化けするかも


−小泉氏応援歌・第二弾−
                                  ANEGO/JP
 「アネーゴの言いたい放題」とネーミングを変更していただき、えらくキーボードを打つ手がスムーズに運ぶ今日この頃です。小泉氏への攻撃は日増しに強くなり、応援歌を唱えるアネーゴとしては気が気じゃないのですが、マスコミも馬鹿な自民党も引きずり降ろすことばかり考えているようだが、他に誰が総理総裁をやれると言うのだろうか。

まさかまさか、話題の宗男様。それは無いでしょう。派閥の長、橋本の龍様も病にお倒れになり、(初め橋龍が入院という報を聞いた時は宗男様がらみで病院に逃げ込んだと思いましたが、本物のご病気とは…)嘗ての総裁候補・河野洋平様等、すでに入院中だというのに話題にも上らず。野中、青木では年が食い過ぎているし、加藤はすでに死に体だし、田中の真紀子様に任せるほどの勇気は誰も持ち合わせていないし、福田官房長官や阿部副官房長官では、同じ二代目でもまだまだ、小粒。亀井の親父では、宗男ちゃまとどっこいどっこいだし、松岡某など、宗男ちゃまの威を刈る何とやらで論外だし、結局、小泉氏しか居ないじゃん。というわけで今しばらく小泉応援歌を歌い続けるつもりのアネーゴです。

そんなアネーゴの強い味方を有名人の中から発見してしまいました。林の真理子様。え、アネーゴに似たタイプだって。誰ですかそういう不謹慎な事を言うのは?冗談はこれぐらいにして、本題、本題。週刊文春に連載している林の真理子嬢のエッセイ「今夜も思い出笑い」の3/1号のタイトルが「おばちゃん」 アネーゴも自分を含めた中年以上の図々しい女共を「オバタリアン」と反省を込めて表現する事が多々あるのだが、林嬢の言う「おばちゃん」の定義は、中年以上の女性と限定していない所がミソか。しかし、言葉の響きからいっても「オバタリアン」よりもっとインテリジェンスは無さそうだ。

彼女の言う「おばちゃん」はワイドショーと女性週刊誌で情報を仕入れ、物事の深いところを見ようとしないミーハー女性のことらしい。年齢制限も無く、そんな「おばちゃん」に便乗して後ろから煽り立てるおじちゃん達を加えれば、大多数の国民がその中に入ってしまいそうな勢いだ。しかも、そんな「おばちゃん」が日本の世論までも動かしているという現実を彼女は嘆いている。

この「おばちゃん」族が最近、絶対に許せない存在が、外務省を改革をしようと一人で立ち上がった田中の真紀子=ジャンヌダルクを首にした、キング=小泉ということになるらしい。田中のお真紀さんが本当に外相の器だったかどうかなどという事は「おばちゃん」は考えない。ズバズバ物を言う真紀子ちゃまが恰好よく、そんな彼女が流した涙にホロっと来てしまう「おばちゃん」は、考え方も短絡的なのである。あんなにキャーキャー、ワーワー黄色い声を上げて、キング=小泉のポスターやTシャツを買い漁っていたのは、ついこの間の事だったというのに、「キング=小泉なんか辞めて欲しいわ。真紀子ちゃまの敵よ。」とばかりに「おばちゃん」が攻撃を開始したのである。

つい最近まで小泉氏の支持率が高すぎて言いたくても何も言えなかった、マスコミ関係の「おばちゃんのふりをするおじちゃん達」がここぞとばかりに「おばちゃん」に加勢し、小泉攻撃を始めた。「おばちゃん」のバイブル、女性週刊誌が書きたてれば、また「おばちゃん」が勢いづく。それが小泉人気下落という、形で世間を賑わす結果となっている。「真紀子かわいや、小泉憎し」の単純な「おばちゃん」は、可愛い真紀子ちゃまの席を横取りしたとばかりに川口新大臣にも攻撃の矛先を向ける。「結局は、ああいうそつない女が、男社会で生き延びるのよね。」と冷たい視線で、川口新大臣をこき下ろす。真紀子女史の様に総理大臣を父に持たない女が一人で社会の中に出て生き延びる為に、そつのなさを身につけて何が悪い。林の真理子嬢でなくても声を大にして言いたい。「おばちゃん」に媚びを売る女性週刊誌は、「離婚するような男だから女をポイ捨てする。」としたり顔で小泉氏を槍玉にあげる。今のマスコミの大半はそういう時限の低い存在なのである。

林真理子女史は「田中真紀子は女だから大臣を更迭されたのでは無い。その資質に問題があったから更迭されたのだ。」という事を言いたかったようだ。つまり、彼女は小泉氏の応援歌を唱えたわけではなかった。だが、しかし、このエッセイの最後に書かれている内容はまさにアネーゴと同じ、小泉応援歌以外の何物でも無いのである。その部分を抜粋すると、「…小泉さんを辞めさせて、いったいどんな政権にしたいのか。おめにかかる機会が何度かあり私はふつうの人よりも、ずっと小泉さんのことを知っているつもり。一言で言えば、愚直なまでの理想主義者だ。普通の政治家のような深謀遠慮など出来ない人だ。ハラハラするぐらい脇が甘く、真紀子さんのことなどその最たるものだろう。辞めさせる時期を完全に間違えたのは小泉さんの大きなミスである。けれども今までの総理にそうしてきたように、皆で足を引っぱることをまたしたいのか。この間までのたったひとつのかすかな『希望』を、こんなにたやすく消していいのだろうか。おばちゃんパワーで。」その通り。「おばちゃん」が作った世論なんかに振り回されてはいけないのだ。あくまでも小泉応援歌を歌い続けなくては…。

話は変わるが、アネーゴは、毎朝「産経新聞」(これは仕事の関係で購読)と「朝日新聞」の朝刊に目を通す。極右と極左と呼ばれる新聞の読み合わせはなかなか面白い。同じ記事でも極端にとらえ方が違うのを一人楽しんでいる。週刊誌は、「週刊文春」と「週刊新潮」を毎週購入するし、「AERA」も定期購読している。片道30分のJRの通勤時間が、週刊誌の読書タイム。今時のサラリーマンの中では活字に接しているほうだと思っている。

そんなアネーゴでも一番の情報源はやはりテレビのニュース。これは視覚と聴覚に同時に訴えてくるせいか、インパクトが活字より強い。各局の深夜ニュースをパチパチ、チャンネルをいじりながら見ていると拾い物の情報も多く、どうしても無視できない。そんなニュースの中でこのごろ不思議でならないのが、あの世論調査で出てくる数字。「○○局が独自で行いました電話によるアンケート調査によりますと、□□首相の支持率は××%…。」という奴だ。はっきりと「世論調査」という言葉を避けてはいるが、当然裏に隠された本音は「世論調査」以外の何物でも無い。数字が画面いっぱいに出て来ると「ああ、小泉さんの人気も落ち込んだな…。」と感じないわけにはいかない。しかし、この数字の信憑性はどうなのだろうか。各局が独自にやっているはずなのに、申し合わせたように同じ日に発表され、その数字も各局似たり寄ったり。さっきも言った様に、毎朝アネーゴが読む新聞ですら右派と左派では内容のとらえ方が極端に違うのに、その新聞と連動しているはずのテレビだけがなんで仲良しこよしで、横並びの数字になるのか、アネーゴには全く理解できない。

ひょっとして、テレビの視聴率と一緒で、どこかにこういうのを一手に引き受けて調査している企業があるんじゃないのかと疑いたい気分。そんなアネーゴの疑問に週刊新潮3/7号が答えてくれた。テレビの世論調査は「サクラ世論調査」とでも言いたいほどいい加減な調査で弾き出されているのだとはっきり記してあった。

元々新聞などで昔から行われてきた「世論調査」というものは個別訪問による面接方式で行われて来た。その方法は有権者名簿から調査対象を抽出し、予め調査票を送付した上で、調査員がその家に直接出向いて、対面で実施する。相手が不在だったり、解答を拒否されたりとなかなか手間がかかるが、拒否した人や意思表明をしたくないと答えた人の分まで調査結果に反映された。それだけに信憑性も高かった。しかし、コストもかかるし、回収率も良くないので、電話調査が主流になってしまったのだという。

電話の場合、答えたく無い人は無視して、目的の数に達するまで電話をかけ続けるので、意見表明をしたい人に極端に偏る傾向がある。マスコミに一言言いたい人の発言だけが取り上げられる調査にも関わらず、「世論調査」として公表され、それが一般大衆の総意と思われてしまうことが危険な点だと思う。その上、調査の質問の方にもマスコミ側の意図がありありと見える物が多い。つまり、結果が初めから予測できる様な質問しかしないのである。

世論調査には次の条件が不可欠である。1.対象が全国単位であること。 2.サンプルの数が少なくてはいけない(最低でも1000に近い数字)。 3.調査対象年代が有権者の年代構成のミニチュアになっていなくてはならない。これぐらいの条件が満たされていなければ世論調査とは認められない。

しかし、現実のテレビで発表されている調査は、上記の最低ラインさえ満たしていない。しかも、調査遊びでもするかの様に国民の思考能力までも操ろうとしている。こんなマスコミの傲慢な態度や暴力とも言える報道のあり方に京都大学教授の中西輝政氏が、週刊文春で警鐘を鳴らしている。その部分を抜粋すると、「…テレビには、『一党一派に偏してはならない』という電波法上の縛りがあり、正確さと公正さを、活字メディアよりも遙かに強く求められている。ですが、真紀子前外相問題を見てもわかるように、ニュース番組でさえも、放送メディアとしての基本をどんどん崩している。娯楽番組化が進み、面白ければいいという番組づくりをしながら、『自分達は政治をわかりやすくしている。』という言い訳をしているのです。今の日本は、色々な意味で大きな転換期に差し掛かっており、国民が座標軸を失っています。一度火がつけば燃え上がるような揮発性の高い時代です。そういう時代に、ただ単に『政治をわかりやすくすることはいいことだ』と、自分達の都合のいい解釈だけで、政治を感情的にして、蔓延している揮発性の気分に火をつける……本人たちに自覚はないのかもしれませんが、こんなやり方は大きなリスクがあることを知るべきです。」

中西教授の警鐘にどれだけのテレビ局が答えられるだろうか。ドラマもドキュメンタリーも全てがバラエティー化され、解りやすいニュース等と銘打って知識のチの字も無いタレントを画面に引っ張り出し、ニュースに対するコメントを求める。こんなやり方で日本が良くなるわけがない。これからはみなさんもこういったマスコミに作られた「サクラ世論」や、「おばちゃん」に押しつけられた「世論」に騙されず、自分自身の頭で日本のことを考えていこうではありませんか。そして、今の日本で何かをやれる人は誰かと考えていただければ、おのずとアネーゴと同じ気分になっていただけるのではと思っております。 (Mar. 10, 2002)