これからの日本はどうなるの?
  週間文春の特集記事を読んで◎      ANEGO/JP
3/29号と4/5号の週間文春に緊急提言「超法規的日本再生計画」という特集記事が掲載された。3月号の方は25賢人の提言。4月号の方は7人の勇士による「腐った日本を叩き直せ!」という過激なタイトルが踊っていたが、内容はいたって真面目なもので、尽く共感を覚えるものばかりだった。トップバッター、立花隆氏の「超過激日本国再生プラン」から始まる。今の時期を第二の敗戦と決め、クーデターを起こして、現政界、官界、経済界、学界で指導的立場に居る者を全員、日本を破滅的立場に追い込んだ連体責任者として、投獄し、強制労働をさせる。特に責任重大な立場にいた者はA級戦犯として、絞首刑に処す。あの敗戦の折に行われた事を再現しなくては今の日本は救いようが無いというのだ。教育問題に関しても多くの再生意見が出ていた。永六輔氏は「読み/書き/算盤の原点に戻れ」と説き。精神科医の和田秀樹氏は「ゆとり教育が日本の子供達の学力を低下させ、強いては日本の国力が没落することになる。その責任を文部科学省は負えるのか。」と強い調子で訴えている。その他にも教育の原点にもどれという説は多々あり、どれもごもっともという意見ばかり。

昨今のニュースで騒がれている「円周率ほぼ3」や、小数点以下2桁以上の割算には電卓使用可などは低下の一途を辿る日本の算数、数学能力をどどん底へ導く為の策略ではないかと疑いたくなるばかりだ。数の構成の仕組みを覚える為には必須アイテムの割算を「計算用紙」と印刷されたわら半紙に必死で書き込み計算した我々の小学生時代。それは計算式を後でチェック出来るという大きな利点があった。そして、たとえ計算式が間違っていても、わら半紙に残された自分の筆跡が自分自身の間違いであることを認識させてくれた。「電卓が壊れてた。」なんていう言い訳は通用しない原始的な計算方法。それが即ち数の構成を理解する基盤となったのである。自分の筆跡で明らかに違う計算式を唇を噛み締めて眺め、「二度と同じ間違いはすまい。」と自分自身に言い聞かせた記憶は我々の世代ならば誰でも持ち合わせているはずである。一瞬にして表示板から消えてしまう電卓の数字では決して味わえない感慨である。あの頃の教育がどんなに恵まれていたことかと、しみじみ感ぜざる終えない。

教師の自主性に任せると、お上が言う「ゆとり教育」も、その本来の主旨を充分に理解した教師の手に委ねられてこそである。「ゆとり教育」の何たるかも判らず、自分勝手な方向へ子供達を導きかねない教師や、何もかも無視して、教えない事が「ゆとり教育」だと言い出しそうな輩に委ねられた場合、これほど、危険な存在は無いのではないだろうか。自分のエゴや思想を子供達に押し付ける事を「ゆとり教育」の名の元にやりそうな奴が巷の教育界には溢れている。私は自分が右翼だとはむろん思っていないが、思想的な右、中道、左といった判断は将来的に子供達自身が決めるもので、教師や周囲が押し付けてはならないと思う。そういった×点教師達に対するチェック機能が充実しない限り、安心して子供を任せることなど出来ないと考える。現実に全国の教育委員会に寄せられる教師に対する苦情は年々増加しているのに、処分された教師は年間でほんの数えるほど。配置替というタライ回しでお茶を濁しているのが現実である。政治の世界では、手が後ろに回りそうな悪事をはたらいた輩が、しばらくほとぼりをさまして、「みそぎは済んだ」とばかりに第一線に復帰する姿を我々は、苦々しい思いで何度も見て来た。問題教師が配置替という移動だけで、口をぬぐって平然としているのは、うす汚い汚職議員達と何ら変わらないと思えるのは、私だけだろうか。

国民の支持と期待を担って誕生した小泉新政権には、こんな末端部分までも目の行き届く政治を期待したい。そうでなければ日本の将来は無いに等しい。子供は個々の親だけの財産ではなく、日本という国の将来を担う財産なのだ。親や教師、政治家等の身勝手な思惑で日本の将来を担う子供達を潰してしまう様な教育なら、やめてしまうべきだと私は考える。しかし、大事な日本を背負う子供達だからと言って、とことん甘やかす、今の親や学校側もおおいに問題である。制服は束縛に繋がるから×。運動会の徒競走で一位、ニ位、三位と決めるのは差別に繋がるから×。まるで、腫ものに触る様な扱いをするから、子供達も自分の立場を履き違え、「自由には常に義務が伴う」という基本理念すら理解できない結果となる。何故そこまで子供に媚びを売る必要があるのか。もっと毅然とした態度で子供達に接する事が何故、今の大人には出来ないのか。私は不思議でならない。つらい受験がかわいそうだと、大学まで続く小学校に入れようと必死になる「お受験」ママや、「学校は休んでもいいけど、塾には必ず行きなさい。」と子供に言う母親。本末転倒も甚だしい。そういう親達が必ず口にするのは「学校が何もしてくれないから、こちらで何とかしなければ」である。子供の意志も何もかも無視して親のエゴの為に我が子を振り回す。そんなに信用できない学校なら、いっそのこと、辞めさせてあなた自身が思うように教育したら良いのではないだろうか。そんな事できっこないに決まっている。こうして考えてみると、政治も官界も学校も親も総てが悪い。おっとと、これじゃ結論が出ない。そうか、タイトルが結論?つまり、「これからの日本はどうなるの?」この怒りは誰にぶつければいいの?総て疑問符で終了。書けば書くほど腹立たしい話である。 (May 5, 2001)