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「チキン」

「チキン」について

緒方 伸之
 皆さんは「教材屋」という語を聞いて、どんなことを思われるだろうか。・・・しつこい電話、強引な勧誘、目の玉が飛び出るような金額・・・購入したものの、開くこともなく子供部屋の隅に置きっ放しになったダンボール箱・・・子供の為を思う親心につけこんだ「悪者」の姿が目に浮かぶ・・・かく言う私も、数年前、長く続けていた自営の塾をたたむまでは「教材」という語を聞いただけでムシズが走る思いを持ったものだ。生徒の親から「なかなか良さそうな人が来て、熱心に勧めてくれるのだが、どうだろうか」と相談を受けて、「とんでもない、騙されてはいけません」と忠告したことさえあった。まさか自分が将来、その仕事に手を染めるなどとは夢にも思わず・・・。


 私が新聞で某大手学習参考書出版社の関連会社の求人広告を見たのは、木枯らしが吹き始める季節だった。当時、私は20年近く自宅で続けてきた塾の仕事に行き詰まっていた。理由は二つある。第一に、実社会との関係の薄い塾講師と言う仕事を続けていくことに行き詰まりを感じたこと、つまり、自分がこのまま一種の「引きこもり」状態で一生を終えてしまうのではないかという不安である。

 確かに、塾という仕事は「生徒の親」という社会との接点はある。だが、子供の成績を上げたり、志望校に合格させたりする為に「より効率のよい勉強」を金銭で手に入れようと願う親の心理は、社会人という衣の下に誰もが隠し持っている、極めて個人的な性格、敢えて言えば「エゴイスティック」な色彩が強い。どんな親でも、「我が子の幸せのため」という美名のもとで教育に投資をする。そんな親たちとの接触は、一般社会で「公」のために自己を犠牲にすると言う意味での「社会性」とは程遠い、と当時の私には感じられた。どんな人間でも多かれ少なかれ「昼の顔」と「夜の顔」を持つが、夜の顔ばかり見ることに耐えられなくなったのである。(自分が昼の世界に背を向けてこの世界に入ったくせに・・・と今になると思うが)

 塾をたたんだ第二の理由は、塾が果たして「勉強」という面で本当に生徒に役に立つのだろうかという疑問が生じたことである。役に立つと言って語弊があれば、前述のように、成績を上げたり志望校に合格させたりするのに果たして有効な方法だろうか、というこの職業の根幹に関わる疑念である。

 多くの親たちは、塾が宣伝する「合格実績」なるものを盲目的に信じ、本当は元々実力がある生徒がただその実力を発揮しただけなのに、あたかもその塾に入れば誰でも自動的に「目的地」に行き着けるような錯覚を持つ。つまり、子供の人生を旅行会社のパックツァーのように考え、評判の良い塾に入れれば親としての責任を果たせたとまで考えてしまうのだ。

 ところが、実態はそうではない。多くの塾は勉強の能力の格差を広げる役割しか果たしていない。要するに、ごく一部の子供は確かにぐんぐん成績が伸びるが、多くの子供は「能力差」を身をもって味あわされて、かえって、勉強意欲が落ちるのだ。その結果は、塾を「うるさい親」からの逃げ場と捉え、トップクラスになれない者同士の「傷のなめあい」の場、極端な場合には、できる子を集団で「ひきずり下ろす場」になってしまう(巧妙な手段で)。私の経験で言えば、塾を真の意味で能力向上のために役立てている子供は約15パーセント程度である。昔の江戸時代の寺子屋や日本が発展の夢に支えられていた明治時代なら、トップクラスの子供を、出来ない子も尊敬し、そういう風になりたいと皆が努力したのだろうが、現代の、社会目標を失って「平均化」した「嫉妬の時代」の日本では、集団で学ぶということ自体が不可能になりつつあると私は思ったのだ。(今もその気持は変わっていない)

 勉強とは、結局は「たった一人でするもの」である。学校や塾で何を学ぼうと、どんなに先生に鼓舞されようと、それらは畢竟、「外的な刺激」に過ぎない。やる気さえあれば、本屋に行って「参考書」と「問題集」を買ってきて取り組むだけで学力はつくのである。いや、自分独りで机に向かうという、その気持、その姿勢それ自体が、勉強という言葉の真の意味なのである。だから、「良い教師」というのは生徒の能力に関係なく、その子に「自分の机に向かう喜び」を知らせる者のことだと私は思う。


 という訳で、「集団的な学習」という塾の形態自体に疑問を感じた私は二十年近く続けた個人塾をたたんで、職探しを始めた。そこで見つけたのが、初めに書いた出版会社の営業販売の仕事だったのである。世間知らずだった私は、それが悪名高き「教材屋さん」だとは不覚にも見抜けなかった。

 ただ、言い訳になるが、その募集要綱が「大学受験のカウンセリングを中心とする〈指導員〉を求む」だったことが、もしかすると自分に向いているのではないかと思った理由だった。それが文字通りとれば、一人一人の子供の進学の悩みを聞いて励ましたり、「やる気」を持たせたりすることができる・・・

 その会社に応募の電話をかけ、面接に現れた「一見上品な」紳士は、「あなたのような方を待っていたんです」と言って、いきなり握手を求めてきた。「本当に子供の為を考えて下さる方を」

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その後の経過については、拙作「チキン」を読んで頂いた方がいいと思う。あくまでも、フィクションという形式をとったのは、ドキュメントとして書くと、余りにも生々しく、関係者に迷惑がかかったり、こちらに実害が及ぶのを恐れてのことだ。そして、今回私が書きたかったことはそんな内幕話ではなく、そこで出会った少年(チキン君)との心の交流だったのだ。それが十分に描かれているとは到底思えないが、彼は僕のあの不毛な二年間に光を与えてくれた美しい魂の持ち主だった。教材会社を辞めた後、僕は二年間に自分が契約した生徒たちのことを思って、絶えず自責の念に駆られた(結局は、裏切ったことになるから)。

だが、ある日、一本の電話が受話器を持つ手を震わせた。

「先生、受かりました。本当にお世話になりました。」

「え、ホントに教材だけで合格したの?」

「はい。先生に勧められたように、分からない所をどんどん質問に行って。最後は所長さんに、もういい加減許してくれないかとお願いされました」(笑い)

 だから、この作品(?)は勉強ということの意味を改めて僕に教えてくれた一人の生徒への、僕なりの感謝の手紙なのである。