閑中忙あり   [観たり・読んだり・歩いたり] 目次
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   ブコバルに手紙は届かない 
      
  最近世の中平和になって、内戦とか革命をテーマにした映画がめっきり減ったなんて前回書いたが、なかなか強烈なのが次々と現われて来た。               
  「ブコバルに手紙は届かない」は、クロアチアのブコバルがセルビアとの戦いで、徹底的にやられる話。又次の週に見た「パーフェクト・サークル」は、サラエボがセルビア軍の長期にわたる包囲によって廃墟と化す話。
  そしてこの秋には「ボスニア」と「ウエルカム・トゥー・サラエボ」と言う映画が公開されるそうである。そう言えば一昨年のアサヒシネマ・ベスト・テンの一位に選ばれた「ユリシーズの瞳」も、ユーゴ内戦そのものの話ではないが、内戦が舞台になっていた。
  「ブコバル」のラストに出てくる空撮はすさましい。石造りであるから、何とか壁は残っているが、正に蜂の巣、そして一木一草も残されていない廃墟。この映画のために、特に連合軍の許可を得て、10分間だけヘリを飛ばしたそうである。五万人の人々が愉しく暮らしていた美しいブコバルの町は、この時たった三千人になってしまっていた。手紙は郵便局にしか届かないのでこの題名がついた。
  「パーフェクト」のサラエボの光景も負けず劣らずすさましい。長期に亘る空爆と砲撃で、町は完膚なきまでに破壊し尽くされてしまった。これがあの冬季オリンピックの会場になった美しい都市かとただ唖然とするばかり。この映画はセルビア軍の包囲網をくぐって機材を運び込み、軍隊に守られながら撮影されたという。
  ブコバルとサラエボ、この内戦で最も破壊された町、これ等の映画はいずれも内戦中から内戦直後にロケされたもので、臨場感に溢れ、観るものに強烈な衝撃が伝わって来る。

  クロアチアのブコバルである若い二人が近く結婚する事になり、家族ともども新居の建築にかかっている。そこにベルリンの壁崩壊のニュースが。人々は肩を抱き合って喜び合った。然し実はこれが悲劇の始まりであった。
  二人が結婚式に向かう途中、クロアチア人のデモと残留セルビア人のデモに行く手を遮られる。クロアチア人は少数のセルビア人を追い出そうとしているのだ。
  新郎はセルビア人、新婦はクロアチア人。思い悩んだ末、新郎は妻を自分の両親に託し、ユーゴ連邦軍(セルビア主体)に身を投じる。然し新郎の両親は身の危険を感じ、ブコバルを出て行ってしまう。
  やがて妻は身ごもり、実家の方に帰っていく。然し実家は砲撃に遭い、両親は死亡してしまう。妻は元の我が家に戻り、友人と家を守っている。そこに"戦争の犬"と称せられる暴徒達が侵入、略奪、暴行を欲しいままにする。
  連邦軍の夫は故国ブコバルを攻撃する事になった。然し夫は軍から脱走、放心状態の妻と束の間の再会を果たす。そこにクロアチア軍の攻撃、二人は再び別れ別れになってしまう。
  やがて休戦になり、廃墟のブコバルの一角で、難民用のバスが二台すれ違う。片方には夫、いま一方には子供を抱いた妻。一寸二人の目が合う。しかし二人はもはや再会を喜び合う事もなく、別々の方角に進むバスに乗ったままだった。・・・・

  パーフェクト・サークルの方。
  戦乱に明け暮れるサラエボ、一人の詩人が自棄酒に浸っていた。妻と娘は愛想を尽かしてドイツに脱出する。そこへ両親を失った幼い兄弟が、唯一の肉親である伯母を探してころがり込んでくる。子供はまた近所で犬を拾ってくる。戦火の中、詩人、幼い兄弟、そして犬という奇妙な組合せの生活が始まった。しかも兄はおしで弟が通訳をしている。
  やがてドイツに脱出した伯母と連絡が取れ、詩人は道に詳しい隣人に案内を頼む。いま一歩のところで弟は射殺され、脱出は失敗してしまう。詩人と兄は弟の遺体を埋葬する。兄は墓標に弟の名前「アーディス」を記す。
  長期にわたる包囲の中、人々は助け合って逞しく生きていく。可愛らしい弟、芸達者の兄、何か戦争中を思い出させられ、共感を覚える映画であった。

  ユーゴという国は民族のモザイクと言われた。一つの国家、二つの文字、三つの宗教、四つの言語、五つの民族、六つの共和国、七つの国境。チトー大統領は偉大であった。これを一つに束ね、強大國ソ連に堂々と対抗してきた。
  チトー亡き後、民族紛争の火種がくすぶり始めた。それがベルリンの壁の崩壊とともに一挙に燃え上がり、最早消すすべもなくなってしまった。
  ユーゴの民族問題はローマ帝国の時代に遡る。セルビア、ボスニア・ヘルツゴビナ(東)とクロアチア及びスロベニア(西)が、それぞれ東西ローマ帝国の傘下に分かれた。近代に入るや、東はオスマントルコ、西はハプスブルグ帝国に入った。
  そして第一次大戦後、ユーゴスラビア王国に人工的に統合され、第二次世界大戦ではユーゴスラビア連邦人民共和国という統一国家が成立した。然し統一国家への忠誠心より、各民族への忠誠心の方がはるかに強く、バルカンは常にヨーロッパの火薬庫と言われてきた。

  カンボチア、ニカラグア、ルワンダ等の例をとってみても、内戦というものはしばしば残忍な様相を呈する。国際紛争は軍人というプロ同士の戦いで、一般市民は一応引き離される。勝者が町を占領し、敗者は降伏か撤退してしまう。この二つの町のように徹底的に破壊された例は見たこともない。
   昨日まで仲良くしていた隣人、夫婦、親戚が何故別れ別れになり、憎み合わなければならないのか。クロアチア人とセルビア人は顔形も同じ、言語も同じ、見分けるのは困難である。唯一、十字の切り方が、カソリックは左から右、正教は右から左と逆になる。その事でセルビア人であることがばれるシーンがある。

  ユーゴ紛争は国連の介入で一応の決着を見たが、コソボ自治州に於いて依然紛争が続いている。北アイルランド・パレスチナ・カシミール・アフガニスタン・ルワンダ・・・世界各地に民族紛争の火種は絶えない。それは単なる宗教戦争に止どまらず、結局は経済戦争、領土争いにつながっていく。

  「ブコバル」のバックミュージックで、私の好きなモーツアルトのピアノ・コンチェルト二十三番の第二楽章が繰り返し奏される。哀愁を込めたメロディーがゆったりと流れ、人々の悲しみを誘う。そして同じモーツアルトの遺作となったレクイエムが。一体誰の魂を沈めようというのであろうか。

                           ( 平成十年八月 )