Wさん(在スイス): スイス人が相手の目をみて「グリエツィ」といいながら握手するのは「敵味方を見分ける」事からきていたんですね〜。知りませんでした。 日本でこういう習慣が育たなかったのはその必要がなかったからかしら? それと道行く人々がお互いに「グリエツィ」と挨拶を交し合うのも始めの内は戸惑いでしたが、いまでは日本に帰るとついつい道行く人の顔をまともに見て「こんにちわ」をやりそうになり、ハッと気が付いて呑み込むのは相手がサッと視線をそらすからなんですよね。「あ、そう、ここは日本なんだっけ」と一人で慌ててしまいます。 |
Mさん(在タイ): 気持ちのいい挨拶:日本でもやっているところがありました。 船橋のマンション。私の別宅です。3月で、ちょうど3年になりますが、住人はみな揃って入居し、都心へ通うサラリーマン家族が大半です。 「おはようございます。行ってらっしゃい。お帰りなさい。おやすみなさい。」的を得たバリエーションで気持ちの良いこと。 エレベーターは、鼻先でツツーと閉まってしまうこともなく、乗り込めば「何階ですか?」と押してくれる。重い荷物を持ってドアにくれば、先の人が開けて待っててくれる。 ね、珍しいでしょ。 やればできるのだ。やってみたら、心地よさがみんなわかるんだ。 思うに、マンションの管理人さんも、いいのね。 もと国鉄の駅員さんだけあって、通る声でみんなに言葉をかけてくれてます。 誰かが率先する。同じ意識の人達が習わしとする。そしてみんなに、広まった。他から遊びに来た友人達も、私達が挨拶を交わすのに、「留守勝ちなのに、顔が広いね」なんて言ってくれます。高校生や、若者まで、ペコッと頭下げてくれたりすると、 サバ〜イ! |
Sさん(在日本): Mさん、ありがとう。私の言いたかったこととても適切に表現してくれた。 そうなんですよ、やってみればいいのです。日本に帰ってきたら、雰囲気がそぐわないから郷に従うではなく、どんどん挨拶してしまったらどうでしょう。私は結構実践しています。マンションの住人に会えば必ず挨拶するし、ひとことふたこと声をかけてみる。会社のビルの廊下でお掃除をしている管理室のおじさんやトイレのお掃除を しているおばさん、廊下ですれ違う誰だか知らない業者の人・・・とにかく挨拶しちゃいます。するとちゃんと相手は応じてくれます。 誰もやらないのなら、自分がひとりでも始めればいい・・繰り返していればいつか少しずつ広がって変わっていく。私もこの考え方が好きです。「100匹目のサル」でしたっけ???> ちょっと熱くなっちゃいました。確かに日本人はシャイかもしれないけれど、染まりやすいっていう面もありますよね。 |
Yさん(在マレーシア): 挨拶のお話には、大変反省させられました。私のコンドミニアムでは、太平洋諸国の国(アメリカ、オーストラリアなど)の人は気軽にエレベーターの中で挨拶をしてくれるので私もそれに返しますが、アジア人と一部のヨーロッパ人はだんまり傾向です。それで私もだまって、気まずい思いをしながらあの狭い空間に閉じ込められていました。でもあの記事以来、だれにでも声をかけようと決心しました。「笑顔であいさつ!」これを実行して行きたいと思います。ありがとうございました。 バグママ: 東急線の駅員さんが挨拶運動していた時期がありましたが、 改札口でお客さん一人一人におはようございますと声をかけてる駅員さんに対して、挨拶を返すお客さんは少なかったです。そのうち、ばからしくなったのか、駅員さんの挨拶も段々減り、そのうち無人改札になってしまいましたね。 デパートの開店時間、店員さんが両側に並んで、お客さんに挨拶。それに対して挨拶を返すお客さんは少ないですよね。 スーパーのレジ、然り。 もともと挨拶の必要のない単一社会では、(挨拶が、敵か味方かを判別する手段だったと仮定して)挨拶がお飾り的な、やれば確かに気持ちいいけどやらなくても別にどうってことない程度のものだったのではないか、と思います。現に、家族は毎日顔をあわせる親しい関係だから、いちいち挨拶なんてしない、という人がいます。 田舎では、村の顔見知りどうしは挨拶無しによそのお宅にあがるそうです。 挨拶が敵味方判別手段なら、目と目を合わせるのも同様の手段と考えると、もともと敵味方の意識が希薄な日本では、目と目を合わせることは、あまり歓迎されないことなのではないかしら。だから、ガンをつけるという言葉があるのでしょう。 目と目があって、にこっとできる。 挨拶されて、挨拶を返してとてもいい雰囲気が漂う。 - こうなるか、- 目と目があって、そそくさと目をそらされる、または喧嘩ふっかけられる。 挨拶して、挨拶がかえってこなくて、おたがい気まずくなる。 - こうなってしまうか、- その場の空気はどっちに流れるかとても微妙だと思います。 それにしても、こちらではまず99%知らない日本人同士挨拶しませんよね。 これに関して、エレベーターや待合室、レストランなどに先客がいた場合、こっちの人はドアを入るなり、誰にともなく挨拶します。自分が入るよと周囲に知らせているのでしょう。 知らない人でも誰か人がいれば人と認める。 日本人の場合、ちょっと言い方悪いけれど、少しでも知っている人は人だけど、全く知らないその他大勢はその他大勢であって、人ではないみたいな区別があるような気がします。 この違いに気づいたのはスイスに来てからだから、トルコやアルジェリア、マレーシアでは日本と同じ様な区分けのしかただったのかなあ。よく覚えていないのですが。 そういえば、人口4万の町トゥーンで暮らしている間、道ですれ違う子ども達は全員、自分の方からこの東洋のおばさんに挨拶をしてくれました。小さい子達は恥ずかしくて見知らぬおばさんに挨拶なんてしたくないんじゃないかと、日本人の私は思いますが、どの子も堂々と、大きな声で挨拶してくれました。 これって、家庭のしつけなのか、学校の方針なのか、いずれにしても立派だと思いましたよ。 ここオランダじゃ、ほとんど無視されてますけどね。 (Feb.9, 2001) Home |