目は語る


スイスではじっと見つめ合う。
オランダではさりげなく目を合わせる。一方、
日本では目をそらす。

日本だけが目をそらすのかどうか、それは知らない。が、事実、海外で暮らしてきて「この国には目を合わせる習慣があるんだな」と気づいたのは、スイスに来てからだった。

いや、その前に挨拶の形態の違いを認識し(例えばお辞儀するか手を振るか、握手するかキスするかといったような・・・)、更によくよく気をつけてみたら、道ですれ違ったり、エレベーターで乗り合わせたり、レストランに入ったり、とにかく人はよく挨拶を交わすことを知った。そして、その前には目と目を合わせるかどうか、そのタイミングが問題になる。
目をそらしたままで挨拶はまずしない。挨拶をよく交わすということはとりもなおさずよく目と目を合わせるということだ。

いつか、握手のそもそもの起源について読んだ。ヨーロッパでは長いこと敵味方に別れて戦争を繰り返してきたわけだが、その名残で、初めて出会ったもの同志が、「こいつは敵なのか、見方なのか」を判断するために右手と右手を交わして、武器など手にしていませんよ、見方ですよ、と合図しあったというもの。その握手の際にも互いの目を見る。そっぽを向いたままの握手なんてあり得ない。

そうだ、まず私は怪しいものではありませんよ、と周囲に知らせるためには、相手の目を見て挨拶する訳だ。つまり、握手も挨拶も目を合わせるということも、皆、敵か味方か判別する手段だった。

とは云え、目と目が合う、すると怖い顔をしているわけにもいかないから自然とにこっと笑う。そして挨拶の言葉を交わす。道行く人とにこっ。日本だったら、さしずめ「あの人、へんなのーっ」と白い目で見られそうだが、スイスでもオランダでも、人々は知らない人と目で何かを語ったり、あるいはちょっとした会話を交わしたりする。

初めのうちは、なかなか「にこっ」が自然に出来なかったが、最近は誰と目があっても「にこっ」とできるようになった。たったそれだけだが、なんだか、一瞬だけでも相手の人と心が通じ合ったような気がして、ほんの少しだけ、幸せな気分になれる。
(Jan. 22, 2001)
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