2002年Dデー、その後
新学習指導要領実施後4ヶ月たって

新学習指導要領がこの春から小中学校で施行された。内容に問題があるのではないかと再三指摘され、各分野の専門家や私のような素人まで加わって侃々諤々の議論が交わされながら、当の文部科学省は方針を貫き、学校現場での実践段階に突入した。

大抵の場合、何か問題が起こると私たちはいっとき熱くなって議論するが、やがて熱が冷めると何事もなかったかのように他の関心事に話題が移ってしまう。今回もなにやら同様の雲行きになりそうだ。新学習指導要領の実施中止を掲げていたNAEE2002という活動も、残念ながら立ち消えのようである。ホームページは相変わらず期限が過ぎても更新されないままで、ファイルを取り消した様子はなく、e-メールでの問い合わせにもなしのつぶてだ。
これまでの熱心な活動(と私には受け取れた)の影もない。

そもそもこのzephyrを作るきっかけはこの新学習指導要領が実際に実施された場合に予想される事態への懸念だった。所詮、教育は専門家と当事者に任せておくべきで、私などの門外漢がいくら意見を述べたところで無駄だ、という声が常に私の中で響き渡る。第一、日本にいるならまだしも、長い間日本の現実から遠ざかっていたという事実が、こういった複雑な問題に首を挟むことを躊躇させる。だが、それでも書かずにいられないのは、教育について語ることが単に教育現場だけの問題とは思えないからだ。それは日本を背負っていくこれからの若者をどのように育てていくかということであり、それはとりもなおさず日本という国の将来を決定的に左右することだから。

前置きが長くなったが、新学習指導要領の実施はすべての終点ではない。これからの成り行きが大切だ。学校や自治体ごとの取り組みにはさまざまな新しい試みが見られることや、それに伴って各家庭においても目に見える変化の兆しがあるといった記事を新聞で読むことも時々あり、いい方向に変わって行きつつあるように思う。だが、そう喜んでばかりはいられない。

例えば、公立学校離れの問題だ。文部科学省の縛りを強く受ける公立校では学力が不安だから私立学校に子供をやろうとする傾向はこれまで以上に大きいのではないか。私立といえども補助金を受けるという立場上現実にはそれほど独自の路線を貫けるほどの自由はなさそうだが、それでも親は少しでもよい教育をと思って高い授業料を納めて子供を私学に送る。公立学校が私たちの税金でまかなわれていることを考えると、本来なら全員が公立学校に行けば税金の再配分になるのだろうが、そうではないところは問題だと思う。

もうひとつ、通知表の評価が中学でもこれまでの相対評価から絶対評価に変わったことについて。他人との比較が相対評価なら、絶対評価は学習到達度。一言でいえばそういうことなのだ。絶対評価は生徒のやる気を引き出すと表現されるので、言ってみればがんばり度の評価になるのだと思っていたがそうではないらしい。「昨日の私より今日の私のほうががんばった分だけ上達した。だから明日もがんばろう。」そのための絶対評価ならどんなにいいだろう。だが実際は違う。だとしても、私がもし一人の生徒だったら、やはり絶対評価の方がうれしいだろうなと思う。だが、ちょっと調べてみたら、果たして本当に喜べることなのかわからなくなった。

絶対評価基準モデル表http://www.tcp-ip.or.jp/~ainuzuka/zettaihyouka2.htm というのがある。中学3年の英語『@ 日本文化を紹介しよう』(教科書Warm-up, Unit 1,〜, Multi Plus 1)を例に、評価の方法が仔細に記されている。六つの評価場面について、それぞれコミュニケーション、表現、理解、言語といった観点ごとに評価し、各評価項目の評価点を元に評定を割り出す。なんと緻密な、なんと機械的な作業だろう。この評価項目の中には、「日本文化の説明文が、80%以上正しく書くことができる。(作文)」「準備しておいた原稿を完全に暗唱して日本文化について説明することができる。(会話観察)」といった項目もあり、評価の方法に疑問を抱かざるを得ない。生徒が作った日本文化の説明文の何を元に80%以上正しく書けたと判断するのか、また、会話観察、つまりALTの会話の時間に、準備しておいた原稿を完全に暗証することが評価されるのか。これらの基準に疑問を抱くとともに、こうした作業が実際にこれに係わる教師にとってどれほど膨大な作業になるか、そのための負担がどれほどか、考えるだけでも息が詰まりそうになる。第一、教師は一人一人の生徒に対して、ここまで細かく到達度の観察ができるものなのだろうか。教師はそれほど生徒の隅々まで把握しているのだろうか。まして、こうやって評価される生徒の身になってみると、身体検査で、体重が少なくてやせ過ぎですと言われたときのいやーな気持ちに共通するものがある。もちろん、通知表にはこういった細かな評価過程は記されず、単に最終的な評定が載るだけだろうが。(絶対評価について、詳しく知りたい人は山田先生のHPhttp://www.echigo.ne.jp/~oyam-int/をどうぞ。

私が3年前まで3年間過ごしたスイスで仲良くしていたスイス人の一家が子供を通わせていた地元の学校では、生徒自身がまず一週間の学習の目標を作り、週の最後に生徒、先生、親の三者がそれぞれコメントしてフィードバックする。小人数の学校だから可能なことだとは思うが、一人一人の目標が基準になる点が、日本で始まった絶対評価との一番大きな違いだろう。もうひとつのスイスの例はスイス教育事情(ローアまゆみさん)をお読みいただきたい。(July 26th、2002)


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