二つの教科書

9月11日に米国で起きた同時多発テロ事件を境に、それまでマスコミを賑わせていた所謂「教科諸問題」もすっかり影を潜めた感がある。【韓国が「新しい歴史教科書をつくる会」主導の歴史教科書問題の解決に向けた仲介をユネスコに求めてきたことを明らかにした。(9月6日)】とか【韓国代表団は(ダーバンで開かれた世界人種差別撤廃会議の席上で)日本の従軍慰安婦や歴史教科書の問題を取り上げる方針で、日本代表団も対応を迫られそうだ。(8月31日)】など、その後どうなったのだろうか。

教科書検定の存在意義や実態について、どれだけの人が深く理解しているか分からないが、お隣の国から「異議あり」を唱えられたり、国内でも、教科書全体はともかく、部分的な表現をめぐって異論百出し、一体こういった現象がなぜ起きるのだろうと不思議でならない。

手始めにまず問題とされている扶桑社版「新しい歴史教科書」を読み、更に知人から東京書籍版「新しい社会・歴史」(平成4年文部省検定済み)を借りて読み比べてみた。最新版が入手できればそれに越したことはないが、そこは一般主婦が普通の暮らしの中で出来る限度と諦めた。

扶桑社版には、「歴史を学ぶとは」と題した「初めの言葉」がある。歴史を学ぶことは単に過去の事実を知ることではなく、また今の時代の基準を当てはめて、過去の歴史を裁くことでもない。自由な目で、過去の事実から一体なぜ? どのようにして? を考えることだ、と説く。

扶桑社版は面白い。文脈に流れがあり、一つの事象に至るまでの経過を追いながら、深く考えさせる。一方、東京書籍版はパーツごとの集まりという印象だ。だから話が前後する。故に全体像を把握しにくい。その代わり、個別の事実は数多く羅列され、最終的には頭の中でまとまりがつく様になっているのかも知れない。

一例として日清戦争前後のくだりを比べてみた。

扶桑社版は、
朝鮮半島と日本の安全保障「当時、朝鮮半島が日本に敵対的な大国の支配下に入れば、日本を攻撃する格好の基地となり、後背地を持たない島国の日本は、自国の防衛が困難となると考えられていた。」→朝鮮をめぐる日清の対立日清戦争と日本の勝因下関条約と三国干渉

東京書籍版では
欧米列国の世界分割(欧米列国の植民地をめぐる争いが、東アジアに及んでくる。)→東アジアの情勢と日本条約改正「政府は、イギリスとの条約改正に成功し、治外法権を撤廃させた。日本はこのイギリスの態度に力づけられ、清との戦いを始めた。」→日清戦争と台湾の植民地化(日本は清と戦って勝ち、欧米列国は中国侵略を更に進める。)「朝鮮政府がこれ(東学の乱)鎮圧するために清に援軍を求めると、日本も軍隊を派遣した。反乱が鎮まっても、日清両国は軍隊を引き揚げず、その年の8月、日清戦争が始まった。」→三国干渉と列国の中国侵略

見出し部分と多少の説明をピックアップしたが、後者は話が前後して、しかも「なぜ?」が分かりづらい。その点、前者は要所要所に歴史的背景を挿入して、学びながら「なぜ?」を考えるきっかけを与えてくれる。扶桑社版は「難解との指摘がある」というが、私にとっては理解しやすかった。

肝心の、問題視されている太平洋戦争前後の記述は、二つの教科書がかなりちがう切り口で書かれているのに驚かされる。同じ事象でも書き手の主観や意図が加わることにより、全くちがった印象を読者に与えてしまう。扶桑社版は、諸々の状況から日本が戦争への道に追い込まれていく過程を、どちらかと言うと同情を持って綴る。一方、東京書籍版は、最初から日本に非があり、各国がそれを糺そうとして戦争に至った様な印象だ。その他、東京書籍版は、私にはこれが自国の歴史教科書なのかと疑いたくなるほど、初めから当時の日本を被告席に座らせて書かれた印象を受ける。

例えば「大東亜共栄圏」に関する記述を比べると、「1938年、近衛文麿首相は東亜新秩序の建設を声明し、日本・満州・中国を統合した経済圏をつくることを示唆した。これは後に東南アジアを含めた大東亜共栄圏というスローガンに発展した」「1943年11月、この地域の代表を東京に集めて大東亜会議を開催した。会議では、各国の自主独立、各国の提携による経済発展、人種差別撤廃をうたう大東亜共同宣言が発せられ、日本の戦争理念が明らかにされた」「敗戦後になって、大東亜共栄圏の考え方も、日本の戦争やアジアの占領を正当化するために掲げられたと批判された」(扶桑社版)
一方、「アジアから欧米諸国の勢力を除き、アジア諸民族だけで協力して栄えていこうという考えを示している。しかし、実際には、アジアを日本が支配しようとするものであった」(東京書籍版)と、こちらは全く議論の余地なしの断定となっている。

戦争は悲惨だ。二度と繰り返してはならない。そのメッセージをどうやって次の世代に伝えていくか。東京書籍版は、戦争そのものの悲惨さや他国に与えた被害の甚大さなど学ぶ側の感性や良心に訴え、扶桑社版はなぜこのような戦争が起こったのか、そのメカニズムを考えさせようと理性に訴えているような所がある。その意味では二つの教科書はそれぞれ別のアプローチを取っていると言えるのかも知れない。

教科書検定問題で話題に上っていたのは、侵略か進出かと言った枝葉末節ばかりだった。だが、実際は教科書の一字一句よりも、それを使って教える先生の言葉の方が生徒の心に残るのではないだろうか。また、教科書一冊だけが歴史の教材なのだろうか。これだけ情報が発達した現在、有用な教材はごろごろしている。学校だけでなく、家庭でももっと社会に広く目を向けた話題で話し合いが出来れば、その方が教科書よりずっと生きた勉強になるはずだ。

8月13日付の毎日新聞に「近隣諸国との教科書相互修正に取り組んだ経験のあるドイツの学者らが日本、中国、韓国などの歴史学者をドイツに招き、歴史教科書の記述を相互に検討する『多国間教科書会議』を開く計画を進めている」という記事があった。9月8日付けには、「ピースボートがアジア共通の歴史教科書づくりの討論などを行った」とある。こういった新しい運動がどのように発展していくのか、こちらも興味ある点だ。

えらい人たちがどう評しようと、教科書を読み、歴史を勉強するのは、私達と子ども達自身なのだから、しっかり自分たちで判断していきたい。(Oct. 2, 2001)



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