マニュアルの功罪

3月31日付日経新聞教育面には二つの興味ある記事が載った。ひとつは正にいま問題としている新学習指導要領と学力低下の関係を問う地球産業文化研究所主宰のシンポジウム「日本の教育のあり方を考える―学力向上の観点から」のレポートで、もう一つは職員室というコラムに載った「マニュアル頼みの懸念」と題する一文だ。

「どこが大事なのか教えてくれるので、そこさえ覚えておけば予習復習も短時間で終わる」生徒用マニュアル。「こんな参考書を使って優秀な成績を取り大学に進学した生徒が、はたして自分で研究テーマを見つけていけるのだろうか」という筆者の懸念。更には教師用の学級経営の進め方ガイドブックというのもあるそうで、「生徒だけでなく、教師の側もマニュアル頼みになってしまうのではないか」と筆者は懸念する。

だいぶ前のシリーズ「教育を問う」第一回にも、日本マクドナルドが接客用のマニュアルをイラスト付きに変えたいきさつが紹介されていた。「最近の若い世代の読解力は信じられないくらい落ちている」(藤田 田社長)ため直感的に理解させる工夫がなされたという。勉強用マニュアル本と接客用マニュアルとでは全く同列に語ることはできないとしても、企業側のこの「工夫」には頭が下がる。そこまでしないとマニュアルそのものの「効用」まで危ぶまれてしまうというのも恐ろしい気がする。

だいたい、この接客用マニュアルが一般的になって、客は快適になったのだろうか。スーパーのレジで口パクだけの挨拶を聞かされ、レストランで注文をする際に、ひとしきり決まり文句を聞かされ、挙げ句の果てにマニュアルにない質問をすると「ちょっと聞いて参ります」としか言えない。マニュアルがなくて、店員一人一人の応対の仕方がばらばらだった時代と比べると、一見丁寧に応対しているようだが、ちょっとマニュアルから外れた状況になると、応用が利かない分だけかえって不快な思いをさせられると感じるのは私だけだろうか。

この論理で行くと、マニュアルで勉強した大学生が果たして自分で研究テーマを決められるだろうかという先の「職員室」筆者の懸念もあながちあり得ないことではないだろう。
学習指導要領がこのマニュアルと同類だとは思わないが、教える中身をこと細かく規定して、その中で教師に工夫しろというのは、マクドナルドの店員にマニュアル通り働いた上に更にマニュアル以上の仕事をせよといっているのと似ていないだろうか。寺脇 研氏によると、「ゆとり教育こそ『個性の時代』に求められる人間を作る」(「新学習指導要領は一旦振り出しに戻した方がよいのでは?」を参照して下さい)、そのための新学習指導要領だというが、「これとこれを教えるべし」と全てに亘って規定するやり方はどう考えても、本物のゆとり教育とはほど遠いような気がしてならない。 (Apr. 2, 2001)



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