日本のいいとこ & 日本にもあったらいいな

旅に出ると、普段気づかなかったことも見えてきます。
いえいえ、いつもと同じ暮らしの中にも、ちょっと見方を変えれば、
また違った発見もあるでしょう・・・

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明日香に思う・冬の京都散策・トルコに旅して


T君の見たオランダ

日本から来た青年が我が家にしばらく逗留していた。T君にとってヨーロッパは初めて。見るもの聞くもの、すべて珍しく感じたのか、のどかな田園風景や狭い土地を有効利用して合理的に作られた住環境に何度も感嘆の声を上げた。とりわけ、いたるところに張り巡らされた水路とその水辺に集まる大小さまざまな鳥が人間の暮らしに憩いをもたらしている様子や、犬を飼う家がことのほか多く、それも室内ではとても無理そうな大型犬を小さな子供のいる家庭でも家族の一員として扱っている様子など、動物との付き合い方に大いに感銘を受けた様子だ。

T君は単に感心するだけではなく、私にとってもハッとさせられるような感想をいくつも残してくれた。彼の語録を拾ってみると:
・ オランダ人は背が高いと聞いていたが実際はそれほどに感じない。
・ 店の営業時間がこんなに短かったら、共働きの家庭は困るだろう。
・ 洗濯機は日本とずいぶん勝手が違うが・・・横開きでは大きな人がかがんで洗濯物の出し入れをすることになるから適してないと思う。なぜ上に扉がないのだろう。
・ 車の運転、進路変更の際にウインカーを出さない車が多い。信号機の位置がずいぶん低いが見にくくないだろうか。

オランダ人の身長云々は、予想していたほどではなかっただけかもしれないが、確かに私も普段それほど背の高い人に囲まれている威圧感がないのはなぜだろうか。きっと、日本のように満員電車で息苦しい思いをするわけでもなく、常に他人とある程度の距離を置いて暮らせるからかもしれない。

その他のT君語録はすべて日本のほうが便利で且つ合理的、と日本に軍配を上げているわけだが、ごもっとも、どっちが便利かと聞かれればその通りだろう。だが、それだけだろうか。物つくりへの発想の違いが大きいこと、そして生活の満足度をどこに求めるかという考え方の違いが大きいことも考慮に入れておきたい。

たとえば洗濯機。こちらはいわゆるドラム式で、一回の洗濯に短くても1時間、長いと2時間近くかかる上に、いったんスイッチを入れてしまうと途中で止めてふたを開けることができない。白物の中に間違って色落ちするものを混ぜてしまって、途中で気づいても後の祭りなのだ。日本で一般に使われている洗濯機の方がこういう失敗は防げるし、何よりも洗濯時間が短くて済む。だが、水が貴重だったヨーロッパでなるべく少ない水で、それも大量に一度に洗濯するにはこのドラム式が一番なのだろう。昔からリネン類など白物はなべにお湯を沸かしてその中で煮て洗っていた伝統から、洗濯機も水の温度を最高90℃まで上げることができる。乾燥機との併用で、洗濯物を戸外で干さない人たちにとっては、熱湯で煮沸消毒し、日光に当てる代わりにしているのかもしれない。ドラム式でありながら横開きではなく、上面にふたがついたタイプもあるが、ほとんどが横開きなのは洗濯機の上にさらに乾燥機などを載せることができるからと考えれば、これも理にかなっている。つまり、T君にとって一見合理性のない洗濯機に見えたものも、ヨーロッパの暮らしの中ではなかなか合理的だったというわけだ。

T君にとって不便に思えたもう一点
店の営業時間がこんなに短かったら、共働きの家庭は困るだろう。

日本から来た人は大抵、閉店時間の早いことに驚く。夕方6時か6時半にはどこも一斉に店じまいしてしまうのだから。日曜日は一般の店は閉まっているし、土曜日も夕方には店を閉めてしまう。場所によっては月曜日だって午後にならないと店を開けない。これでは確かにT君ならずとも勤め人は一体いつ買い物するのだろうと不思議に思うに違いない。それは日本のように「いつでも買いたいときに買える」ことが当たり前になっていれば「買いたいと思ったときに買えない」ことは不便極まりないことになるだろう。だが、「店が開いているときに買う」という、これまた当たり前の発想から言えば、時間をやりくりしたり、まとめ買いの工夫をしたり、最終的には「買えないから諦める」ことで、何の不便もない。

斯くいう私自身もこういう暮らしに慣れるまで日本の便利な暮らしが懐かしかった。だが、最近は「便利もそこそこ」がいいと思うようになった。もっとも、何をもって「そこそこ」と判断するか、人によって違うわけだから、深夜営業/24時間営業のコンビニがいくらあっても、さらに便利な暮らしがあると考えている人には現状でも「そこそこ」なのかもしれないけれど。

そこそこ:少ないが満足できる程度。ほどほど。(広辞苑)
言い換えると、時には不便を感じる程度の便利さといえるだろうか。常に利便性ばかりを追求していくと、終いには堪え性がなくなってくるのではないだろうか。不便な中で創意工夫も生まれてくるだろう。もちろん、個人のレベルだけなら自分でそこを上手にコントロールすれば何も問題はない。だが、日本の行き方を見ていると、社会全体のどこにも歯止めがなくなっていくような漠とした不安を抱いてしまうのは私だけだろうか。
(Nov. 6, 2002)