閑中忙あり   [観たり・読んだり・歩いたり] 目次
   北の零年     
  ずっと以前のことだが、船山馨の「お登勢」を読んでいたく感動を覚えたことがある。そこで当時北海道に転勤になる人を捉まえては、「お登勢」を読むように薦めたものだった。札幌に転勤というと、すぐ悪い奴が寄ってきて、ススキノの飲み屋は何処がいいとか、島松コースは難しいとか、札チョンの課外授業を始める。それも大切なことであるが、北海道で働く以上、是非その開拓の苦難の歴史を知ってほしいと思った。

  「お登勢」は淡路の人で、武家屋敷に奉公に出ていた出生の定かでない娘である。故あって、淡路の稲田家が明治維新後、新政府によって北海道に集団移住させられる。お登勢はそれに同行する。行き先は日高地方の静内。荒涼たる原野や森林が広がっている。開拓者たちの苦難の歴史が始まる。その中にあって、お登勢は健気に生き抜いていく。
  船山馨はその後大作「石狩平野」をものにするが、これも北海道開拓の物語である。吉永小百合は「お登勢」が好きで、かねてよりその映画化を熱望していたそうであるが、実現に至らなかった。その後「石狩平野」のシナリオをもらったが、これも映画化にはいたらなかった。今回の「北の零年」はオリジナルの作品だが、「お登勢」と「石狩平野」が参考になっている。吉永小百合にとってはさぞ思い入れの深い作品であったろう。

  明治三年、淡路の稲田家は徳島藩からの分離独立を図ったが、逆に徳島藩からの一方的襲撃を受けてしまった。明治政府はこの両藩の引き離しを画策し、稲田家に北海道への集団移住を命じた。
  半月に及ぶ航海の末、移住団は静内に到着した。そこでは家老や幹部の小松原(渡辺謙)をはじめとする先遣隊が荒地の開墾に取り掛かっていた。小松原の妻志乃(吉永小百合)は夫の新天地開拓の理想に深く共鳴する。
  北の大地は厳しい。開墾は遅々として進まない。頼みの稲は寒さの中育たない。そこへ第二次移住団の遭難の報せが入ってくる。
  小松原は寒さに強い稲の種を求めて、単身札幌に向かう。しかし一同の期待は裏切られ、小松原は戻ってこなかった。志乃はたまらず娘を連れて夫を探しに出る。雪が阻む。雪中に倒れた親子を異国の男が救う。

  それから五年、異国の男の指導で志乃は牧場を経営し、夫の留守を娘と守ってきた。待望の稲は実ったが、イナゴの大群が押し寄せ全滅、開拓民の苦労は絶えなかった。
  やがて西南の役が起こり、徴兵が行われることになったが、この地区は人の代わりに馬を差し出せというお達し。そして道庁から偉い役人が兵隊を率いてやって来た。その人はなんと夫の小松原ではないか。
  五年ぶりの再会。夫と妻。徴馬の役人と牧場の経営者。夫は札幌への旅の途中、重病で倒れ、異国の女性に助けられた。その後その女性と結婚、道庁に勤め出世する。
  愛する妻との再会。同じ志、同じ夢を抱く仲間達との再会。それぞれの思いは複雑である。その上妻や仲間が苦心して育てた馬の徴発である。相対じするひと時、緊張が走る。小松原は部下に命じ、徴馬を強行しようとする。そのとき厩舎から轟音とともに馬が一団となって逃げ出した。小松原はあえてそれを追おうとせず、兵をまとめて帰路に着いた。

  明治時代は生みの苦しみの時代であった。ことに武士はこれまでの歴史の中で、武士という階級、文化の中で育ってきた。その変身は大変に難しい。この映画のクライマックス、苦労して拓いた土地が廃藩置県で明治政府の管轄になると知らされたときのショック。ここで腹を決めた。一人ひとり自らまげを切り、この大地に骨を埋める決意を表明する。豊かで温暖の地淡路を離れ、武士を捨て、はるばる北の大地に骨を埋める決心をした。人はそれを棄民政策と呼ぶかもしれない。しかしこの歴史あって今日の北海道があるのだ。

  札幌の近郊に新十津川村がある。明治二十二年、大和の十津川村に大水害が起こり、村民二千五百人が集団移住した所である。ここの開拓も大木や泥土に悩まされて大変苦労したそうであるが、今や北海道一の豊かな村に育っている。

  北杜夫に「輝ける碧き空の下で」という名著がある。ブラジル移民の話である。彼らの苦難の歴史は筆舌に尽くしがたいものがある。昨年小泉首相が南米を訪問した時の事、挨拶しながらぼろぼろ涙をこぼし、声にならなかった。
  そういえば以前に八代亜紀が南米で歌謡コンサートを開いたときの様子がテレビで放映されたことがあった。今日の繁栄の中で、古老たちが舞台に群がり、幾度も幾度も、八代亜紀に握手を求めていた。よほど嬉しく懐かしかったのだろう。

  札幌に北海道開拓記念館がある。開拓時代の苦労の数々が展示されていて昔の厳しさがしのばれる。中でも目を引いたのはタコ部屋である。どうやら奴隷制度が日本でもあったようだ。彼らは監視つきで土木工事や炭鉱で過酷な労働を強いられていたようだ。このような労働が北海道開発に一役買っていたのかと思うと、あまりいい気持ちがしない。

  この映画を見てなんとなく気になるのは、主人公小松原の生き方である。最愛の妻と娘を捨て、ともに北の土にならんと誓った仲間を裏切り、異国の女性を娶り、道庁で出世し豊かな生活を送っている。
  これについて小松原を演じた渡辺謙はこう言っている。「正直な男ですね。自分を撓めて生きることもできたろうに、そうでない道を生きた。そうしか生きられない男だったと思います」。なるほど武士であれば撓めて生きる道を選んだであろうが、平民になった途端自由に生きると言うことなのだろうか、なんとなく納得しかねるものがある。
  しかし夫と妻が再会するシーンは、言葉も表情も抑えて、微妙な心理状態を表し、さすがだと思わせるものがあった。
  それにしても、武士の時代が終わって民主的な世の中になると思ったら、早くもお役人さんが威張りくさり、民衆が平身低頭する姿が映し出される。官尊民卑がここに始まれりか。

                            ( 2005.03 )