閑中忙あり [観たり・読んだり・歩いたり] | 目次 |
奈良公園から南下して桜井に向う道がある。天理を過ぎて少し行くと、左手にこんもりした森が見えてくる。崇神天皇の御陵である。それを過ぎるとすぐに同じぐらいの大きさの御陵が望まれる。景行天皇の御陵である。いずれも巨大な前方後円墳で、外堀に水をたたえ、季節には水鳥が羽を休めている。この辺り山の辺の道の中心点で、北に上るもよし、南に下るもよし、竜王山と三輪山を眺めながらのそぞろ歩きは楽しい。 車で更に桜井方面に少し進むと、左手に大きな古墳が見えてくる。箸墓古墳である。この古墳はわが国最古の前方後円墳であり、昔から卑弥呼の墓?と言われている。この辺り一帯巻向古墳群があり、邪馬台国の所在地と言われてきた。 一方邪馬台国畿内説に対し、九州説も負けておらず、昔から延々と論争が絶えないところである。この映画の主人公は九州説をとる郷土史家であり、その後半生は邪馬台国探しに捧げられた。この話は実話に基づいて作られたものである。主人公は発掘作業の途中で倒れてしまった。夫人は今なお健在で、島原の地で暮らしている。夫人役を演じた吉永小百合が本人を訪ね当時の様子をいろいろ尋ねている。
島原鉄道社長、盲目の宮崎康平(竹中直人)は郷土史家として有名である。ある時NHK福岡に招かれて「九州の歴史」を話すことになった。局側の担当は長浜和子(吉永小百合)。康平は邪馬台国の実像を探ることこそ、日本の起源を探ることだと力説する。 和子はこの破天荒な人物に戸惑うが、島原に来なさいと言う誘いに乗ることになった。社長は超ワンマンで、島原鉄道に新たに観光バス事業を起こすことにした。そのバスガールの教育係に和子を起用することになった。事業は成功しバスの観光事業は鉄道事業とともに軌道に乗った。 好事魔多し。島原に大洪水が襲った。康平は行方不明。和子をはじめ社員一同の必死の捜索により康平」は見つかった。意識が戻ったとき康平はおかしなことを言い出した。「わが郷土島原は遺跡の上に出来た町」。川に流されまいと必死につかまった土器は縄文時代中期のものらしい。 鉄道の復旧作業が始まると、次々と土器が出てきた。しかし康平のワンマン経営、康平の遺跡発掘に傾注した仕事振りには、他の役員達も愛想をつかし、役員会で康平の解任が決議されてしまった。観光バス事業は廃止、和子の仕事はなくなった。福岡に帰ろうとする和子を止めて、貴女のする仕事はまだある、私の女房になることです。康平の前妻は夫のあまりの傍若無人の振る舞いに愛想を尽かし、二児を置いて去ってしまっていた。 盲目の康平はかんしゃくもち、杖を振り回し物を投げつける。和子はじっと暴君ぶりに耐え、夫の偉さを認め、夫の研究の援けにと、本を読んだり、調査に歩いたりした。私が貴方の目となり手足となります。誠に和子と言う人は偉い人だ。その甲斐あってか遂に夫の著作「まぼろしの邪馬台国」が認められ、第一回の吉川英治文学賞受賞の栄に浴した。 康平は目が見えないにもかかわらず、現地に足を運ばないと気がすまない。和子は立体的な地図を作り、康平と共に歩き、その地図を埋めていった。盲目の人の勘は鋭い。目が見えるように景色が写る。やがて眺めの良い大地に差し掛かると、此処が邪馬台国だと康平が叫ぶ。康平の調査は止まらない。更に卑弥呼の墓を探そうと歩き回る。そしてある小山で杖の当たりが違う。此処が卑弥呼の墓だと断定して、人を集め発掘にかかる。しかしその作業の途中、行平は不帰の人となってしまった。
この物語は康平の邪馬台国探しであるが、この傍若無人の康平の癇癪の発揮振りと、それに耐えて、ひたすら夫の研究を助ける和子の賢妻ぶりが見せ所である。今の世の中こんな仏様のような人はみられない。よほど夫の研究者としての能力を評価していたのだろうか。それでも押さえきれなくなって、生卵を二個投げつけるシーンがある。堪忍袋の緒が切れたというところか。吉永小百合が奥さんを訪ねたときの話では、映画みたいにひどくはなかったらしいが。・・・
私は古代史に特別興味がある訳ではないが、大和に住んで40年、何となく畿内説に軍配を挙げたくなる。年に10回ほどこの辺りを歩いたり車で通ったりする。 私が九州で訪れた関連ある場所と言えば、吉野ヶ里遺跡ぐらいである。そこで印象的であったのは卑弥呼の像で、天に向って何か叫んでいるものであった。高床式の家が立ち並び九州の人の並々ならぬ意欲がうかがえた。 箸墓古墳の向かいに三輪そうめんの老舗山本がある。古墳に沿って東に進むと山本の立派な社長宅、研究所が並ぶ。住宅地を通って暫くいくとホケノ山古墳がある。その当たりから少し上りになり、やがて柿畑が広がる。振り返れば大和平野が一望され、大和三山が浮ぶ。やがて山の辺の道に着く。この当たりの地形は三輪山の裾野に広がり、誠に伸びやかで、まさに邪馬台国に相応しいところではないか。大和に永らく住むものの、身びいきかもしれないが。
この映画は、竹中直人の過剰な暴君振りと、吉永小百合の抑えた愛妻振りが、ある種の調和を持って進められ、楽しく観ることができた。康平は自己本位で付き合いづらい人ではあったが、郷土史家としては優れたものがあったのであろう。またその性格にも何か魅力があったのであろう。その葬儀には多くの人が参列していた。そして逃げた前妻も参列していた。
( 2008・11 )
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