閑中忙あり [観たり・読んだり・歩いたり] | 目次 |
これはヘミングウエイの映画ではない。日本ビクターのVHS開発物語である。 かって日本は物造りでは世界のトップを走っていた。製品開発の第一線では、企業戦士が文字どおり夜を徹して頑張っていた。働き蜂と非難されようが、それが日本の発展を支えてきたのだ。 日本の高度成長もそろそろ終わりを告げようとする頃、日本ビクターは経営不振に喘いでいた。そこで会社は今でいうリストラを強行しようとした。 そんな中、ポータブル・テレビを開発しようとしているグループがあった。リーダーは加賀屋と言う男。然しその時会社は加賀屋を横浜のビデオ事業部長に任命しようとしていた。加賀屋は「私は技術者で管理の経験は全くないから」と固辞する。然し会社は高卒では異例の出世であるといって加賀屋を横浜に送る。この事業部は業務用ビデオを扱っていたが、業績は最悪で、歴代の事業部長は一年で首と言うポジションであった。本社からは20%首切りの矢の催促。 加賀屋は苦労人だ。早速人名票を貰い顔と名前を覚える。従業員をさん付けで呼んだり、下請け会社を協力会社と呼んだりする。そして次長に従業員の棚卸をさせて驚いた。大変な財産である。リストラなんてとんでもない。何とかこの立派な財産を活用させねば。加賀屋は次長に右肩上がりの事業計画を本社に提出させ、密かに家庭用ビデオの開発チームを発足させた。同時に技術屋にも営業の第一線に立たせ、自らも足を運んだ。 一方ソニーはいち早くベータの開発に成功して、大々的な宣伝のもと売り出しにかかっていた。家電各社もベータ方式の採用に傾きつつあった。 不眠不休のビクターの開発チームは漸く家庭用ビデオの商品化に目処をつけ、これをVHS(ビデオ・ホーム・システム)と命名した。この時営業の第一線から情報が齎された。消費者は2時間録画を強く要望していると。開発チームは更なる困難に直面した。彼らは家にも帰らず研究室で仮眠して頑張った。 ついにVHSは完成した。加賀屋は家電各社にその技術を公開し、協力を要請して歩いた。然し業界の大勢は既にベーターに傾いていた。採否のポイントはビクターの親会社松下電器の動向にかかっていた。 ソニーは通産省に働きかけ、企画をベータに統一しようとしていた。一刻も猶予は許されない。次長の発案で松下幸之助に直訴することになった。試作品を積んだライトバンは門真目指して徹夜で走る。幸之助はこの技術に興味を示し、その採用を検討するよう命じた。 然し通産省の規格統一まであと一ヶ月、何とかそれまでに秋葉原の店頭にVHSを100台オーダーで積み上げ実績を作りたい。こうなったら従業員も協力会社も必死だ。・・・・ かくしてHVSとベータは二本立てで世に出ることとなった。VHSの使いやすさ、わけても2時間録画の優位性は動かなかった。VHSは日本のみならず、世界の市場を席巻した。それは売上げの大幅増のみならず、莫大な技術料をビクターに齎した。 一方ベータの方は売れ行きは不振だし、株主総会では叩かれるし散々であった。ベータを採用していた東芝や三洋もついにVHSに鞍替えを余儀なくされた。ベータのソフトは次第に市場から姿を消し、業務用だけが残った。 然し会社の経営とは難しいもの、VHSの成功を背景に優良企業の仲間入りしたビクターは、今日業績不振に喘いでいる。膨大な技術料にあぐらをかいて、新製品開発を怠っていたからだとよく言われている。一方ソニーはグローバルにIT産業を展開し、今や押しも押されぬ世界企業として発展を遂げている。 週刊朝日に「松下VHSはソニー・ベータのパクリだ」という記事が出ていた。佐高信氏のサンデー毎日のコラムに載せた記事が紹介されていた。ソニーの盛田氏が顧客の利便の為に松下氏に会い、規格統一化を申し入れた。松下は公開された特許を使って,傘下のビクターに開発を進めさせた。・・・・ 真相は分からないが、企業の研究にはオリジナルなものと、それを使って発展させる研究がある。松下は後者が得意とされ、昔からマネシタ電器と揶揄されていた。企業にとって特許戦略が最重要事項でありそれぞれに最も力を入れている。まさか特許を侵害していると言う事ではないであろう。 そういえば、映画の中で加賀屋がVHSを前にして、「ビクターだけの技術でできたものではない。ソニーさんの技術も入っている」というシーンがあった。 高度成長の時代、人々、わけても研究者は夢を持っていた。会社の方針に反してまでもその夢を実現しようと、密かに研究を続けてきた人達がいた。それは男のロマンであり、会社を、日本を支えてきたエネルギーでもあった。 近頃研究者もサラリーマン化してきて、秘密研究を認めよという声が多い。然し秘密研究を認めれば、それは最早秘密でなくノルマ研究になってしまう。そうなると忽ち上から研究に就いていちゃもんがつき自由度が失われてしまう。何も勝手に研究をさせよと言っているのではない。然し研究者の夢がどこかで芽生え育ってくるのは、この管理社会の中での一脈の光明ではないか。アメリカではベンチャー・ビジネスが育っているが、わが国ではなかなか育たない。金を出すが口を出さないと言うベンチャー・キャピタルが現れないからか。最近では企業の中である範囲でベンチャーを認めようという所も出てきているようだが。 この映画に出てくる奥さんは内助の功型の人で、静かに夫の激務を見守りサポートしている。夫は毎日仕事で遅くなる。時には徹夜になる。妻はその帰りをじっと起きて待っている。その無理がたたり、夫が門真に出張中に倒れてしまう。 この映画のラストは感動的だ。病いえた奥さんを主人が横浜の工場に伴う。屋上に上がり周囲を展望する。中庭から有難うの大合唱。事業部の人がVHSの人文字を作って手を振っている。うるるんのおじさん西田敏行が遺憾なくうるるんぶりを発揮した映画だった。 こんな時代もあったのだ。働き蜂の男、それを支える妻。会社の意に反してまで夢を実現しようとする強い意志。高度成長の陰には様々な物作りの成功や失敗の物語が語り継がれている。それは金融上の大博打で命を削った話より、よほど我々のロマンを掻きたてて勇気を与えてくれる。 ( 2002.07 ) |