閑中忙あり   [観たり・読んだり・歩いたり] 目次
古くて豊かなイギリスの家
便利で貧しい日本の家
         ―― 井形慶子

 
  今から10年ほど前、マークス寿子の「大人の国イギリスと子供の国日本」「ゆとりの国イギリスと子供の国日本」と言う本が話題を呼んだ事があった。折からバブル末期で、日本人もまだ鼻息が荒く、この辛口の日本人論はあまり受けなかった。当時私もこの本について書いた事があったが、反論を寄せる人がいた。
  石原孝哉と言う人の「幽霊のいる英国史」の冒頭にこんな事が書かれている。イギリス人の価値観と日本人と決定的に違うのは、「古さ」に対する認識である。日本人は新しくて便利なものを好み、イギリス人は不便を忍んでも古いものを愛好する。かくして町には「骨とう品」店が氾濫し、本屋には歴史の本がうず高く積まれる。
  骨とう品といえば,六嶋由岐子の「ロンドン骨とう品街の人々」が面白かった。スピングと言う名門古美術商に勤めた時の話であるが、イギリスでは古美術商がいかに社会的に地位が高く、かつ高度で専門的な教養や技両を備えているかが良く分かる。
  テレビの番組に「何でも鑑定団」と言うのがある。視聴者が自慢のお宝を持ってきて、鑑定団に鑑定して貰い、自らの評価額と鑑定団のそれと比べるものである。
  日本人は古いものに愛着を持たない。先祖代々に伝わるお宝を飾っている人は少ない。大抵はお蔵入りで、その始末に困っている。そこでその評価額が高ければ売ってしまいたいと思っている人もかなりいる。そのお金をどうするのですかと聞くと、イギリスでも遊びに行ってくる積りですなんて答えている。

  この「古くて豊かなイギリスの家・・・」の著者井形慶子は音楽関係の雑誌の編集長をしているが、イギリスには40回余りの訪問歴があり、東京の家にイギリス風の家を建てている。この本は日本とイギリスの住宅を比較したものであるが、同時にそれを通じて彼我の生活観の違いを述べている。

  「お宅拝見」という番組がある。イギリス人がこれを見るとびっくりするそうだ。先ず収納スペースが多いこと。床から天井から階段下まで全て収納庫。日本人は物持ちだ。新居はすぐに物で溢れる。やがてそれはごみの山になる。何とかすっきりさせようと、見えないところに収納庫を沢山作る。それがあたかも建築士の腕であるが如く紹介される。更にイギリス人が驚くのは、ハイテク技術でがっちり装備されている事だ。床下暖房・空気清浄機・セントラルキッチン・浴室乾燥機・ウオッシュレット・・・テクノロジーの粋を集めて、機能的な付加価値を高め、価格を吊り上げていく。自動車でも全く一緒のことだ。そしてその家は超モダーンなデザインで白っぽいものが多い。近隣との調和など一切お構いなし。
  日本の家は地区20年で価値がゼロになってしまう。それのみか売る時は撤去費用まで負担させられてしまう。勿論取り壊された建築部材を再利用しようなんて一切考えない。ブルでがさっとやってごみ集積場に有料で持ち込む。
  イギリスでは60年以上(戦前)の家が好まれ、100年以上経つと価値が高まってくる。取り壊された家の部材は、ドアから床材まで値がつき再利用される。そのようなものを専門に扱っている店が沢山あるようだ。
  私が住んでいる町は、開発当初建てられた家は殆ど建て替えられている。その頃のプレハブはお粗末であったし、何より手狭になってしまっている。逆に数少ない豪邸はどうだろう。そろそろ代替わり、豪邸は売れない。結局細切れになって町は次第にスラム化する。

  19世紀イギリスでは急速な工業化が進み、都会に人口が集中した。インフラの整わない狭小劣悪な住宅は、熱病やコレラを齎し、多くの命を奪った。そこで政府はスラム・クリアランス政策をとり、住宅整備に力を入れた。
  第二次世界大戦終了後、労働党が圧勝し、住宅法が施行され、公営住宅が大量に供給された。人々は何とか複数のベッド・ルームにバス、トイレの家に住む事が出来た。やがてイギリス経済も上向き中流階級が豊かになり、郊外に持ち家する事が流行した。然しやがてこの持ち家ブームが去り冷静になって見ると、これらの建売は従来の伝統あるイギリスの家とは違う安普請なものである事に気付いた。多くのイギリス人は家を買うなら戦前の家がいいと考えるようになり、安普請の建売は売れなくなってしまった。

  しかし60年、或いは100年、それ以上古い家は住みにくい。汚れたり破損している。日本人は中古の家を買って修理して住む事はしない。更地にして自分の好みの家に建て替える。然し建つまでは施主として工務店に色々注文をつけるが、一旦建て終わると、自ら一切触れようとしない。工務店に言うと,あれこれいじるなら建て替えた方がマシですといわれる。
  イギリス人は古家を買って作り変えていく。壁を塗り変えたり張り変えたり、フロア
を張り変えたり、ドアを変えたり、殆ど自分の手、或いは知人の助けを借りて作業をする。
  少し前のこと、イギリス人ピーター・メイルが「南仏プロバンスの12ケ月」と言う本を出して評判を呼んだ。そしてテレビでも放映され一時プロバンス・ブームが起ったほどだ。ピーター・メイルは太陽にあこがれ、霧のロンドンを後にしてプロバンスに古家を買った。そしてこれを1年がかりで作り変える話を記したものである。なるほど家の改造はかくするものかと合点した。勿論職人を使ってやる訳だけれど、工務店に丸投げするのではなく、自らが棟梁になって工事を仕切る。フランスの職人は働かない。一年がかりでのんびり仕事を進めていく。その過程を楽しむように。
  イギリスでは建築材料の古いものを売っている店が沢山ある。日本では最近大型のホーム・センターと称するものが続々出現しているが、アンティークなものは売っていない。その代わり、これでもかと言うほど工夫を凝らして利便性を追及した部材が並べられている。イギリス人が見たらびっくりするだろう。この筆者は日本にイギリス風の家を建てるに当たって、イギリスまでアンティークな部材を買いに行った。
  家具や調度品も同じこと、日本では引越しの度に買い替える。親子代々使われるなんて言うものには最近お目にかかれない。
  アメリカの年配の人は、イギリスの生活に憧れると言う。アメリカは日本のお手本、何でも使い捨ての消費文化である。歳をとると不便でも、ゆっくりした暮らしを望むのだろうか。
  近頃二世帯住宅と言うのが流行っている。これは昔の大家族制とは違う。二世帯が同じ家に別居している。子供は建築費の援助が受けられる、親は老後の世話が受けられる。そんなところで利害が一致して成り立っている。
  イギリス人がこれを聞くとびっくりする。何で親と一緒に暮らさねばならないのあろう。イギリスでは成人すると家をでる。年寄りも若い人の世話にならない。最後は老人ホームで果てる。

  イギリスでホーム・ステイの経験があるうちの娘が二人とも言う。何てイギリスは食事がお粗末なのだろう。なんでよろず不便な生活に耐えているのだろう。チョロチョロしかでないシャワー、50年、100年前と変わらないような日用品、文明の恩恵に浴していない生活・・・・。
  さて一体我々は新しくて便利なものを選ぶのか、不便を忍んで古いものを愛好するのか。

                       ( 2003.09 )