閑中忙あり   [観たり・読んだり・歩いたり] 目次
          

唐招提寺のこと

                  

  もう30年ぐらい前になるか、会社の社報に何か書いてくれと頼まれて、「唐招提寺のこと」と言う一文を載せたことがある。私は人から「貴方は大和の寺で最も好きな寺は何処ですか」と問われると躊躇なく「唐招提寺」と答えてきた。そのときも真っ先に浮んだのが唐招提寺、四季折々の姿を思い浮かべながら、一文を寄せた。

  その評判が良かったのでそれから30年余、延々と駄文を書き続けている。これも唐招提寺のお陰ではないかと思っている。

  今日唐招提寺が10年の歳月をかけ、平成の大修理を終えその優美な姿を現した。天平の甍は再びこの西の京に輝きを見せた。その大修理にちなんで唐招提寺のことを書こうと思ったが、前著をそのままの載せるのもいいのではないかと思い、30年前に書いた文をそのまま載せることにした。

  大分以前のことであるが、藝術祭参加作品として、井上靖の「天平の甍」が映画化されたことがある。そのラストシーンはここ唐招提寺の南大門でロケされた。田村高広扮する鑑真和上が幾度の渡海に失敗,盲になって漸く鹿児島湾に上陸、大和の地に到る。鑑真は唐における仏教の堕落を嘆き、新天地日本に唐招提寺を開山,律宗総本山として厳しい戒律を敷き、わが国の仏徒に大きな影響を与えた。

  弟子達が作った鑑真の像はこの寺の奥、開山御影堂に安置されている。その障壁画68面は東山魁夷の60代の全てを傾注して描き上げたものである。中国の山水を描いたこの障壁画はわが国はもとより、花のパリでも公開され大変な人気を呼んだ。今では6月6日の開山忌に公開されている。

  御影堂にのぼる石段の横に芭蕉の句碑が建っている。

   若葉して 御目の雫 拭はばや

  鑑真を思いやる芭蕉の優しい心と、新緑に燃える境内を詠んで見事である。

  南大門に立って金堂を眺めると、その堂々たる天平の遺構に圧倒される。瓦葺の美しさ、金色に輝くし尾、それを支える柱の力強くて、優雅なまろみ、これぞ正に井上靖の言う「天平の甍」である。このし尾と同じものがここ五条山の土で焼かれ、奈良市から姉妹都市西安に贈られた。

  かってヨーロッパを巡る機会があったが、ウエストミンスター、ノートルダム、ケルンといった数々の大聖堂を見て、わが国の宗教建築の貧を嘆いたものである。しかしこの唐招提寺に改めて接したとき、つくづくわれも負けておらじと思ったものである。同じことを考える人もいるものだ。日経紙に連載されていた立原正秋の「春の鐘」が映画化された。その一齣、唐招提寺の境内、北大路欣也が言う。「僕の友達で西洋かぶれした奴が永らく日本を離れていたが、この唐招提寺を一目見て心変わりし、今ではすっかり日本の古美術に凝ってしまって・・・・・。」 「それ、貴方の事でしょう」古手川裕子が悪戯っぽい上目を使う。

  春たけなわの五月十九日には団扇撒きが行われる。鑑真和上の弟子覚盛上人が殺傷を戒め、蚊を団扇で追ったと言う古事にあやかり、鼓楼から柄の先にもちをつけた団扇が撒かれる。厄除けを願い人々は争ってそれを?み合う。

  初夏になると西安から送られた蓮の花が艶やかな装いを見せる。炎天下この寺にしばしの静寂がやってくる。やがて涼風が立つと萩の花が境内一杯に咲き競う。別名「萩の寺」とも呼ばれている。

  「月讃法要」中秋の名月の夜、金堂内に灯明が点ぜられ、正面の三扉が開かれる。薬師,る舎那、千手観音が美しい姿を浮ばせる。朗々と響き渡る僧侶の読経、月に映える甍。

  大寺のまろき柱の月かげを

   土に踏みつつ ものこそ思え

  会津八一の歌碑が金堂の横の木陰に立っている。

  境内のあちこちに紅葉が色づく頃、宝蔵が公開され、仏像が優美なお姿を現す。首のない破損仏がそのロープの美しい曲線で有名である。

  春夏秋冬、1200年の間この寺の境内では季節が移ろい、折々の行事が営まれてきた。今年もあと数日、世の中では色々な出来事があった。大晦日には又鐘楼の前に善男善女が列を作ることであろう。一年の反省と、来るべき新年に希望を託して一〇八の鐘を突くために。          

                      ( 1987.12 )