閑中忙あり   [観たり・読んだり・歩いたり] 目次
      東京タワー      

    

  少し前に「三丁目の夕日」という映画を観た。東京タワーが見える下町が舞台である。建設中の東京タワーが段々と出来上がっていく。それは正にわが国の高度成長のシンボルであった。この映画に出てくる東京タワーも東京のシンボル、田舎から出てくる人が一度は見物に訪れるところである。今ではニューヨークでもパリでもいける時代、東京に憧れを持つ人はそんなにいないかも知れないが、昔は志を抱く若者を引き付けたものだ。

  そんな時代、九州の炭鉱町に育った少年が、東京に出てきて、何とか一人前の生活ができるようになり、田舎の母親を呼び寄せる。母親と息子の愛情物語である。

  リリー・フランキーの自伝小説「東京タワー オカンとボクと、時々オトン」は二百万部を超えるべスト・セラーになった。そしてテレビのスペシャルドラマ、連続ドラマで放映され、今回映画化の運びとなった。

  タカジンの番組で、この三つの作品の出演者を並べ、誰が好かったか論じていた。私は映画しか見ていないので分からないが、映画のオダギリ・ジョウと樹木希林はなかなかの役柄であった。しかしタカジンが言うように樹木希林は富士フィルムのイメージが強すぎると私も思った。

  オカンとボクとオトンの三人は小倉で暮らしていたが、オカンはオトンを置いたまま、ボクを連れて筑豊の実家に帰ってしまった。オカンは妹の小料理屋を手伝いながらボクを育ててくれた。

  やがて石炭産業も落ちぶれ、ボクは寂れた街を出たくなり、大分の美術学校に入学した。オカンが駅まで見送りに来た。得意の漬物とおにぎり、そして一万円札が封筒に入っていた。ボクは思わず泣いた。

  八十年代、ボクは憧れの東京に出て美大生になった。しかしボクは四年間ろくに学校にも行かず、さりとて絵も描かず、唯だらだらと過ごしてしまった。当然単位不足、卒業できない。仕方なくオカンに電話してその旨話した。オカンは貧しいながら何とかわが子を大学に行かせたいと思い、息子を激励した。ボクはオカンの言葉に甘えて、一年留年して何とか卒業した。しかしその後の進路については全く考えていなかった。

  九十年代ボクは何でもやった。バブルも手伝い、知らない間にお金も溜まった。そして恋人もできた。その頃オカンが癌に冒され、手術したとの報せが入った。

  ボクはオカンを東京に引き取ることにした。オカンの手料理は評判を呼び、たちまちボクの家は友人の溜まり場になった。しかしつかの間の幸せも終わり、オカンのがんが再発してしまった。苦しい闘病の末オカンは逝ってしまった。別れ離れになっていたオトンにも見取られて。窓には東京タワーが映っていた。

  前回「佐賀のがばいばぁちゃん」のことを書いた。そちらは孫と祖母の愛情物語である。今では想像もつかない極貧の中にあって、貧乏を苦にせず、面白さに変えていくばぁちゃんの前向きの生き方、孫の受け止め方、つくづく偉いものだと感心させられた。徹子の部屋で島田洋七が出てそのときの話をしていた。どうも映画の話は本当のようだ。この本がミリオン・セラーになり、映画も成功したとは、まだまだ日本も捨てたものではない。しかしどれだけ若者が読んだり観たりしたのだろうか。

こちら「東京タワー」の方は、母と子の、そして少々父と子の愛情物語である。オカンは僕を女手一つで育てた。オカンは貧しかったけど、ボクを自由に育てた。ボクは美術的才能があったのだろう。それがオカンの育成方針にマッチして、美術高校、美術大学、美術関係の仕事と進み成功した。

オカンと僕の関係は「がばいばぁちゃん」のように濃密ではない。しかし深いところで理解し、愛し合っている。オカンはボクを無理して東京の大学まで出し、しかも一年の留年まで許してくれた。ボクはオカンを東京に呼び寄せ、方々見物に連れて行ったり、友人を呼びオカンと一緒に楽しい一時を過ごした。そして病気が再発するや、一流病院の立派な部屋に入院させ、手厚い看病をした。なかなかの親思いである。

  オカンの最後はまことに哀れであった。副作用が強い制癌剤を用い、少しでも延命を図ったのだが、その苦しみは最早見るに耐えない。それを見守るボク・オトン・恋人、それぞれに自らも苦しみに耐え見守っている。此処のところの描写が克明で、この映画の見せ場でもある。窓の外には東京タワーがオカンの最期を看取ってくれている。ボクのオカンを思う気持ちはいかばかりであったろうか。

  この映画を観て昔を思い出したことがある。憧れの東京に出てきて大学に入り、何もしないで日々ダラダラと過ごしている学生の生活である。我々の時代にもそのような輩は沢山いた。特に田舎から出てきた資産家の子供に多かった。この映画で下宿に集まって、ひがな麻雀をしているところが出てくるが、思わず昔を思い出し懐かしかった。

  それでも昔は卒業すれば就職するか、田舎に帰って家業を継いだものだったが、今ではニートとかフリーターとか言って、定職を持たずにブラブラしている人が増えていると聞く。まことに困ったことだ。ボクのように隠れた才能があれば、ブラブラも糧になり、やがて花開くときがあろうが。

  昨今テレビのニュースを見ていると、とんでもない話が入ってくる。親が子を殺し、子が親を殺し、夫が妻を、妻が夫を殺す。それも考えられないような残忍な方法で。いじめも深刻で、しばしば自殺者が出る。事件が起こると校長が生徒を集め、命の尊さを話す。いまさらそんな話をするのもおかしいと思うが。情けに篤いといわれた日本に情けと言うものがなくなってしまったのか。

  昨年日本映画が洋画を抜いたという。最近の日本映画で情けをテーマにして人々の感動を呼んでいるものがある。観客に年配の人が多く、若者はあまり見当たらないのが残念であるが。いささか日本にも情けが残っているのであろうか。このところ観た日本映画で印象に残っているもの。「バルトの楽園」「村の写真館」「三丁目の夕日」「佐賀のがばいばぁちゃん」「フラガール」「東京タワー」「眉山」

                       ( 2007・05 )