閑中忙あり   [観たり・読んだり・歩いたり] 目次
    死に花   

  「死に花」とは死に際の誉れ、「死に花を咲かす」は立派な死を遂げて、死後に誉れを残すと広辞林に出ている。この映画は銀行強盗をやって、一花咲かせようというので、それが立派な名誉を残すに値する仕事かどうかはいささか疑問だが、コミカル仕立ての映画であり結構楽しめた。
  何しろ芸達者の年寄りが揃ったものだ。山崎努・谷啓・長門勇・藤岡琢也・宇津井健。対する女性は松原智恵子、年寄りの仲間に入れては失礼かもしれないが。それに御大森繁久弥・加藤治子も客演していた。そういえばミッキイ・カーチスもちらりと見えた。しかし年寄りといっても私と同年代、この映画を見て、果して最近流行の元気を貰えただろうか。

  東京の郊外のある超高級の老人ホーム。なんでも入居料が二億円で返還なし。月経費が二十五万円という。入居者は金に困らないリッチな人ばかり。
  老人ホーム側としては老人たちの無聊を慰めるため、色々な催しを企画する。ボケ防止のゲームや体操、誕生日会・・・・。人は老いても色気は消えない。入居者の中に怪しいカップルが生まれてくる。否、大半の者がなんらかの関係があるといっても過言でない。
  その中でもマドンナと言われる松原智恵子が山崎努に接近する。山崎は松原の亡夫の親友である。一花咲かせましょうよと言う松原の誘いで二人は温泉に行く。残された仲間のうらやむ事。
  やがて仲間の一人、藤岡琢也が死ぬ。この葬式が振るっている。藤岡は生前に自分の葬儀のスケジュールを全部決めていた。ビデオによる本人の司会により、葬儀は飲めや唄えや踊れやの大乱痴気パーティ。本人は満足そうに眺めていた。
  藤岡は企画好きな男。生前銀行強盗の計画を練って山崎に渡していた。その計画が仲間に知れるところとなり、一同諸手を挙げてその計画に乗ることとなった。宇津井はもと銀行員、上司の不始末の責任を取らされリストラされた。その恨みを晴らさんと、自分が支店長を勤めていた店に狙いをつけた。
  そのビルは隅田川の川岸に戦後建てられた古いビルで、地下室がない。川の岸壁側からトンネルを掘ってビルの地下から入る計画。トンネル堀は老人に向かない。心臓発作で倒れる者、過呼吸でひっくり返るもの、足が痛い、腰が痛いで動けなくなる者・・・。それでも人は大きな目標、自分達で作った目標があると働く。ボケ防止体操や、釣りでは意欲が沸かない。
  この銀行の支店は近く閉鎖される事になっている。タイム・リミットは一ヶ月。必死になって掘り進むとぽっかり穴が。戦時中の防空壕の跡で、何と森繁の行方不明の家族の遺骨が見つかった。
  あと一息、台風が東京を直撃した。隅田川が氾濫、大量の水がトンネル内に入り、防空壕を満たす。突然ぼろビルが傾き始める。一同は地下から侵入、まんまと十七億をせしめる。ビールで乾杯、さてこの金をどうするか。皆は金持ち、このエキサイティングな目標を達成してしまえば又ボケ体操に戻らなければならない。松原智恵子が提案する。「私の死んだ夫は考古学者でした。ある時武田の軍資金の存在を知りました。このお金を使って軍資金を掘り当てましょうよ」。一同大賛成で幕となった。

  この映画は別に犯罪サスペンスではない。従って銀行強盗という見方からすれば随分間が抜けている。警察もなぜか一向に現れない。又お金が欲しいという差し迫ったニーズがないので切迫感がない。
  彼等は忍び寄る老いを前にして「死に花」を咲かせたいと思っているだけだ。しかしそれを達成したらさらに大きな目標が欲しくなった。それは武田信玄の軍資金でもなんでもいい。大きければ、刺激があれば結構なのである。彼等はこの穴掘りによって若い頃の情熱を取り戻したのである。何か血が沸き立つように感じられたのである。ボケ防止体操や釣りでは心が躍らないのである。

  この映画はいささか芸達者の人を集めすぎているので印象が散漫になる嫌いがある。彼等はアドリブを入れて楽しそうに演じていた。そしてまた話の筋があまりにも荒唐無稽であり現実離れしているので、そこから勇気を貰うと言うことはなかった。
  しかし白寿の森繁の実年齢は九十一歳、見事に半ボケ老人の役を演じている。加藤治子に到ってはいつまでも年齢不詳化け物のような人である。そして私と同世代の老人ホームの仲間はまだ現役バリバリ、映画やテレビで大活躍している。役を離れればとても老人ホームという顔ではない。
  サラリーマンと違って役者やタレントには定年はない。体が元気でその芸が燃え尽きるまで現役である。この人たちに負けないように頑張らなくては。

  最近目標管理が見直されている。それは成果主義人事が採用されるようになったからだという。一体何を基準に業績を評価するのか。そこで目標を明確にしてそれに対して達成状況を見ようということになった。
  我々が目標管理を導入した頃は、目標による管理とは目標を明確にする事によって人々がそれを達成しようという意欲が沸く。そしてそれが達成されれば次の更なる高い目標に挑戦しようという気持ちになる。さらにその目標作りに各人が参加する事によって、自分の目標、自分の仕事という気持ちが強くなり、自ら努力するようになる。・・・・と教えられた。
  この映画はまさにその目標管理の考え方を地でいっている。目標がいささか反社会的であるにせよ、全員が老骨に鞭打って、死に花を咲かせようと頑張る姿は尊い。そして目標を達成した時の喜びようは格別である。
  しかし歳をとっていたずらに高い目標を設定、達成できないといってくよくよせずに、何事も流れに任せてと人生達観して悠悠自適という人もいる。人それぞれの生き方であるが、周囲を見渡すと前者のほうが生き生きしているように見える。

                        ( 2004.06 )