閑中忙あり [観たり・読んだり・歩いたり] | 目次 |
近年アメリカが突出した武力を背景に、自らの意思を強引に押しとうそうと言う動きが何かと目に付き、パックス・アメリカーナ(アメリカによる平和)の将来に疑問がもたれるようになってきている。 そんな事もあってか、最近アメリカの政治・経済・社会について批判的な見方をする論評が、ちょくちょく見受けられるようになってきた。そんな中で佐伯啓思教授の「新『帝国』アメリカを解剖する」は示唆に富んで面白かった。 教授はまずフランシス・フクヤマの「歴史の終わり」とサミエル・ハンチントンの「文明の衝突」から話しを起こしている。 フクヤマは西欧近代文明は専制君主・全体主義・社会主義を倒し、やがて世界は一致して自由な民主主義に向かっていくだろうと述べた。事実この本が出版された翌年、ベルリンの壁が崩壊した。人々はフクヤマの言うように世界に平和がやってくると思った。 ところが冷戦終結とともに、世界のいたるところで民族紛争が起こった。ハンチントンはイデオロギーの争いは終わり、これからは文明の境界線で紛争がおこると述べ、世界を八つの文明園に分けた。 そして九・一一事件が突発した。ブッシュ大統領は「これは文明と野蛮との戦いである。世界の人々はいったいどちらにつこうとしているのか」、と呼びかけた。これをフクヤマ流に言えば、西欧に発し、アメリカが受け継いだ自由で民主的な文明に反する野蛮な行いであり、ハンチントン流に言えば、これは正に文明の衝突なのである。 ハンチントンはその後「引き裂かれる世界」の中で、八つの文明園が並列的に並んでいるのではなく、一極・多極構造になっていると述べている。 佐伯教授はこれを一つの文明と多くの文化との対立の図式と考えてみたらと提案している。つまりそれぞれの国や地域で持っている伝統的な文化を、アメリカは西欧文明、さらに言えばアメリカ文明で塗りつぶそうとしている。人権・自由主義・民主主義・グローバリズム・・・・といったアメリカの価値観を世界中に普遍化し広めようとしている。アメリカはそれを正しいもの、良いものと信じて疑わない。 「ラスト・サムライ」を観た。たった四ハイの黒船によって尊王攘夷も開国となった。西欧文明が怒涛のごとく日本に押し寄せてきた。日本文化の正統的継承者サムライも鉄砲には勝てなかった。チョンマゲは切られ、大小は召し上げられてしまった。西欧文明の花形、近代的軍事を日本に伝授しようと来日した軍事顧問は、いたく日本の武士道に感じ入って、サムライ側につき官軍と戦って敗れてしまった。 ラスト・サムライが滅び、日本は急速に西欧化していった。文明と言う言葉は福沢諭吉の言をひくまでもなく、優れた、進んだと言う意味を持ち、野蛮と対比した概念と受け止められた。 似たような事を私自身経験させられた。第二次世界大戦後マッカーサーがやって来た。将軍はアメリカ文明を日本に普及させることを使命としていた。マッカーサーは言った。「日本はまだ十一歳の子供である」と。 マッカーサーの施策が功を奏したのか、日本人の考え方が短期のうちに様変わりした。伝統的日本文化は悪いことのように言われ、それを口にするオヤジは封建的のひと言で片付けられてしまった。昨年末に小津安二郎の映画をテレビで立て続けに五本観たが、この頃の社会の移り変わる様子がよく描かれていて、大変興味がひかれ、又懐かしくもあった。 日本はアメリカ文明の恩恵に浴したのか、奇跡の復興をとげ、世界第二の経済大国にのし上がった。そこで又日本特殊論が出てきた。アメリカはグローバリズムを錦の御旗に押し立て、日本に第二の開国を迫った。日本はこのグローバリズムに乗って、バブル崩壊後の経済立て直しに必死の努力を払っている。 イラク戦争がはじまった頃、イラクの戦後の復興をどうするのかと言うことが論ぜられた。日本やドイツの戦後の復興をモデルにと言う話しが出ていた。これはとんでもない思い違いの話しである。現状を見るまでもなく、アメリカ文明とイラク文化の対立は大変深刻である。単にテロだテロだと騒いでも解決しない。アメリカがよき事と思ってやることはことごとくイラクの反米感情を煽る結果に終わってしまう。 日本は伝統を重んじ特殊な文化をもつ国と見られていたが、決してそんなことはない。異文化をとり入れることに極めて柔軟で、いとも簡単に伝統的なことを捨ててしまう。日本のような国は世界でも珍しいから決してイラクの見本にはならない。 アメリカ文明とそれぞれの固有の文化との衝突が世界各地で起こるのはもはや止めようもない。殊にその文化のベースになる宗教が絡むと手がつけられない。 佐伯教授はアメリカの国際政治学者ナイの言葉を引いている。「今日、アメリカは圧倒的な軍事力を有し、GDPは世界の二七%を占めている。しかし軍事的に経済的に過度に強大化したため、単独行動の誘惑に駆られてしまう。それはアメリカに孤立を齎し、国益を損なうことになる。重要なことは他国を説得する力、文化的に又価値観の上で惹きつける力である。このソフト・パワーが軍事・経済力等のハード・パワーを支えなければならない。・・・・」 アメリカは正に単独行動の誘惑に駆られている。国連の動きがままならないと、それを無視して行動を起こす。イラク問題に限らず様々な国際的な取り決めで身勝手な動きが目立つようになった。 最近アメリカはアメリカ文明の中でも、とりわけグローバリズムの普及に熱心になっている。国境無き世界と言って、世界を一つの経済圏にしようとしている。これは強大な経済力を誇るアメリカにとって真に都合の良い話しである。何しろ横綱と幕下とを同じ土俵で戦わせようと言うものである。勝敗は戦わないうちから分かっている。 佐伯教授はアメリカ文明の普遍化について、マクドナルドの例を挙げている。マクドナルドは世界の果てまで進出し、アメリカ文明のシンボル的存在になっている。アメリカはマクドナルドと言う食品を輸出しているのではない。マクドナルドと言うファスト・フードの食べ方の様式を輸出しているのである。同様にどこの国の大統領を誰にするかを言っているのではなく、その選出方法が民主的な手続きにのっとっているかを問題にしているのである。アメリカは中身と違って様式は普遍化しやすいと思っている。しかし文化と言うものは様式を問題にする。儀礼や儀式は重要だ。伝統は連綿と守られていく。 教授は又こんなことを言っている。アメリカは多民族国家である。白人中心の社会は全ての人が対等だと言う自由と民主主義の考えに矛盾するとして、多文化主義を生み出した。それが西欧的価値を批判し、アメリカ文明を批判すると言う矛盾を抱えている。・・・・ 先日朝日新聞に山崎正和氏の話しが載っていた。「アメリカはかって革命も敗戦も知らず、政治倫理における断絶した歴史を持たない。他の先進国と違って全体主義の罪も犯さず、植民地支配の汚点も少なく、外から責められて異質な正義の前に屈服した経験が少ない。・・・・」 失敗の経験、敗れた経験をもたないものは、全て自分のやることは正義であり、成功するであろうと考える。他人は自分の考えが正しいと認めてくれると信じて疑わない。挫折を知らないが故にアメリカの危うさが色々なところで出始めてきている。 ( 2004・03 ) |