閑中忙あり   [観たり・読んだり・歩いたり] 目次
暴走する世界          
              ―― アンソニー・ギデンス      
 

 イギリスの社会学者アンソニー・ギデンスは、ブレア首相お気に入りの知識人の一人。「暴走する世界」では、変化の読みにくい最近の世の中を五つのキーワード-―グローバリゼーション・リスク・伝統・家族・民主主義―-で解き明かしている。

  グローバリゼーションは今日世界最大の問題であるが、この言葉が使われるようになってからまだ20年余しか経っていない。従ってその将来に対する人々の見方はまちまちである。教授によるとそれは大きく二つに分かれる。一つは懐疑論者で、いま一つはラディカルズである。
  前者に言わせると、世の中そんなに変わるものではない。現に貿易立国日本ですら、輸出入の比率はそれぞれ10%位にしか過ぎない。ラディカルズは言う。グローバルな市場経済は飛躍的に拡大進化し、いまや国境はなきに等しく、国家の統治権は弱まっている。
  教授はラディカルズを支持している。マウスをクリックするだけで、一日一兆ドルの金が動く時代、最早グローバリゼーションを否定して、後戻りは出来ない。ただ注意しなければいけない事は、グローバリゼーションと言うと、人々は国際金融市場のようなものを想像しがちであるが、一国の文化、政治、社会、更に言えば家族問題にも影響がある。ソ連邦の崩壊も正にその例である。
  然し困ったことには、グローバリゼーションは必ずしも公平な結果を齎すわけではない。欧米以外の人から見れば、それは不平等な結果を生むと見られている。今やアメリカの一極支配の時代、世界の多国籍企業の大部分はアメリカに本社を置く。グローバリゼーションはアメリカが発信地となり、そのコントロール下に置かれる。
  アメリカはアメリカ流の民主主義の輸出に熱心だ。又マクドナルドに代表されるようなマニュアル化された文化様式を世界に輸出している。
  教授はグローバル・コスモポリタン社会はできると言っている。然しそれは秩序ある安定した社会でなく、不安だらけの社会で、様々な相乗作用によって出来上がる秩序である。
  ギデンズ教授は近著「第三の道」によってその社会の目指す道を示している。この考え方がブレア首相の「第三の道」に影響を与えていることは想像に難くない。イギリスの旧左派は公正のために効率を犠牲にした。サッチャーは効率の為に公正を犠牲にした。果たして効率的な公正な社会はあるのだろうか。自由と平等は両立するものであろうか。
  教授が挙げた「第三の道」が重視する価値は次の通り。
    平等
    弱者保護
    自主性としての自由
    責任を伴う権利
    民主主義に基づく権威
    世界に開かれた多元主義
    哲学的保守主義(経験に照らした現実的対応)

  教授が二番目に挙げたキーワードはリスクである。リスクと言う概念は近世のものである。リスクは二つに分けられる。自然に起因するような外部リスクと、人間が作った人工リスク。前者は地震とか洪水、後者は地球温暖化とか遺伝子組み替え食品と言ったものである。
  教授は人工リスクを避け、自然に帰れ式の考え方には組しない。リスクは管理されなければならないが、リスクに積極的に挑戦することが、経済を活性化させ、社会を改革させる原動力になると言っている。唯そのためには、技術者の言う事を鵜呑みにしない、情報を公開すること、煩い警告屋を大切にすることなどが必要であると述べている。

  三番目に伝統を挙げている。人々は伝統と慣習を拠り所として生きてきた。それは生活に連続性を与えてくれる。近代の啓蒙主義者は伝統を排すべきものとして取り扱ってきた。それは為政者が自らの統治に都合よいように作り、利用してきたものだからである。然し先進国に於いても、伝統を排してきたのは、公的機関や経済に関する所で、日常生活に於いては伝統や習慣は強固に残っている。
  もし伝統がなくなると、日常生活に於いて,個人の意思決定がいちいち求められるし、常に自らのアイデンティティが問われる事になる。伝統や慣習に縛られないで生きる事は実は大変難しいことなのである。
  教授はコスモポリタンの社会を求めているが、伝統や慣習を否定するものではない。教授が忌避しているのはファンダメンタリスト(原理主義者――-宗教以外を含む)である。彼等が牢固として守る伝統や慣習はしばしば民族紛争の種になっている。

  次に家族の問題を採り上げている。いまや先進国に於いては、家族制度は衰退ないし崩壊しつつある。特にわが国に於いてはその傾向が顕著のように思われる。自分自身の経験に照らしても、子供の頃とお爺ちゃんといわれる今日とは大違いである。
  教授は恋愛関係、親子関係、友人関係などは伝統や制度に縛られることのない純粋な関係にあらねばならないと言っている。それは正に民主主義の理念そのものである。そう言えば、戦後煩い親父の事を、封建的だ、民主的でないと決めつけたものだ。
  教授が強く反対しているのは、ここでもファンダメンタリストである。そこでは男女平等が著しく損なわれている。最近「カンダハール」という映画を観たが、アフガニスタンの男女差別には改めて愕然とさせられた。こんな事が今の世の中に罷り通るのか。

  終りに民主主義が採り上げられている。20世紀の最後の四分の一世紀で、世界の殆どの国が民主主義国家になった。然し半面憂慮されるのは、先進国に於いて、民主主義の根幹となる投票率が下がってきていることである。それは市民が政治に関心をもたなくなったのではなく、政治家に対する信頼が薄らいだからである。
  政治家が自己の利益を優先させ、市民の利益や市民の関心のある事を考えなくなったからである。更に言えば経済がグローバル市場経済に移行し、政治家のコントロールする力がなくなったからである。意識の高い市民は、非政府組織(NGO)を作り、これに対抗するようになってきた。
  教授は今こそ民主主義を進化させ、グローバル化させないといけないと訴えている。
健全な民主主義は政治・市場・市民社会の三つの調和が必要である。経済大国日本は市場には関心が高いが、政治には無関心だし、市民社会は未成熟である。そんな中で最近投票率がどんどん下がっていくのは極めて憂慮される。

  「暴走する世界」とはコントロール不能なという意味のようだ。情報化社会、何処でも、何でも分かる時代。自分達が何処へ行くのか、何処へ行きたいのか、その為には如何したらよいのか分からないと言うのが今日の時代である。そういった中、教授の論旨は明快であり、共鳴する所が多い。果たして人類は暴走する世界を止められるのだろうか。

                       (  2003.06 )