閑中忙あり [観たり・読んだり・歩いたり] | 目次 |
小泉首相は就任以来80%という高い支持率を得ている。その初めての参議院選で自民党は勝利を収めた。 93年、細川政権が誕生して38年間続いた自民党支配の体制が崩れた。それから8年間日本の政局は混迷を極め、この間首相が8人交代し、サミットの度に「初めまして」と挨拶する事になった。 「超」知日派と言われるコロンビァ大学のジェラルド・L・カーティス教授が、この程 「永田町の興亡」という本を著わした。日本の政治、永田町の政治を内側から見た外國人と紹介されている。教授は日本の大物政治家と親交が厚く、実際にインタビューした話を中心にこの本を纏めている。ジャーナリステックな話し、暴露記事の類いの物はない。日本の政治家もこの真面目な外國人である教授に存外本音で話しているところが覗える。 1955年に所謂55体制が出来上がり、それから40年近く自民党の支配が続いた。当初は労働組合を始めとする革新勢力をバックに社会党もかなりの影響力を持っていたが、高度成長と共に次第に力を失い、反対の為の反対を繰り返すに過ぎなくなってしまった。その安定していた自民党の支配が何故に崩れてしまったのであろうか。教授は次のように分析している。 55体制を支えてきた4本の柱があった。その中で最も中心をなしたものは「西洋に追いつけ」という国家目標の達成に必要な政策への幅広い国民的コンセンサスである。所謂GNP主義というものである。次いで政党と密接に結びつき全国規模の影響力を持つ巨大な利益団体。それに加えて絶大な威信と権力を誇る官僚制。そして自民党の一党支配。 この4本の柱が90年代を通じていずれも弱体化してしまった。その理由は色々あろうが、要は「西洋に追いつけ」の国民的合意が崩れてしまったと言うところに尽きる。 人々は貧しいときには集団の力、組織の力に頼る。集団が繁栄すればその恩恵に浴す事が出来る。然し集団が豊かになると、人々はその中で他よりより豊かになろうとする。又求める豊かさの中味が人によって違ってくる。 労働組合も経済団体も、農協も、医師会も・・・それぞれの中で求めるものが違ってきて一枚岩と言う訳にはいかなくなってしまった。利益集団は次第に細分化されナショナルな力を失っていった。 自民党はGNP教という国民的合意の上にたって、様々な利益集団と官僚とを結びつけ、その見返りに集金組織、集票組織としてこれを利用してきた。官僚は表に出ることなく自民党を利用して、巧みに自らの勢力を伸ばし保身してきた。 自民党、利益集団、官僚は不動のトライアングルとして日本を支配してきた。然し長期にわたって権力の座につけば、変化を好まなくなり、保身、腐敗が起こってくるのは歴史の常、このトライアングルも自壊の必然を孕む様になった。 折から市場経済、グロバリゼーションの波が押し寄せてきた。内外からの規制緩和の大合唱、さしも強固に見えたトライアングルも崩れ始めた。加えてたびたび起こる汚職事件、国民の自民離れ、政治離れは進み、政治改革を求める声が次第に高くなった。 そして93年非自民党の細川政権が誕生した。人々は清新なイメージの細川政権に期待した。然し1年も立たないうちに自民党はこともあろうに社会党の村山党首を担いで政権復帰を果たした。自民党を離れた代議士も次々と復党して旧をしのぐ議席を獲得した。自民党は元の政治に戻るものと思った。然し93年以降の日本の政治体制は元に戻る事はなかった。世の中は確実に変わっていった。然しバブル崩壊後の不況は一向に立ち直る気配を見せなかった。人々はそれはこの大きな変化に日本の政治がついていかないからだと思い始めた。変革・改革と言う声がそこかしこで叫ばれるよううになった。 細川政権成立以来、政党の分裂・合併・連立の変遷はめまぐるしく、人々はそれを追っていくだけでも大変であった。代議士はもはや名刺を刷らなくなった。 そうした中、社会党が自民党と連立を組んだのには国民は驚いた。その前提条件として行った政策協定で、社会党がそれまで金科玉条としてきた基本政策を変更した。自衛隊は合憲、安保は止む無し、日の丸・君が代は認める、消費税アップは止む無し。 いかに首相の椅子を供されたと言え、これでは社会党の存在意義を自ら否定する事になる。カーティス教授はこう観ている。社会党は長期にわたり野党の立場にあって、反対の為の反対を繰り返してきた。然し世の中の変化は自分達が一番良く知っている。殊に冷戦構造崩壊後の世界の中におけるわが国の立場を。建前としての看板は従来のものを掲げていたものの、本音としての社会党の立場はもはや従来のものとは違っていた。 然し片山首相以来と期待された村山首相もあえなく1年半で退陣、橋本首相にとって代わられた。社会党は衰退をつづけ、再び土居たか子を仰いだが、党勢が回復する事はなかった。 これらの政変劇で特筆すべきは、何と言っても選挙制度改革であろう。わが国の政治の諸悪の根源は中選挙区制であると言われてきた。そして8次に及ぶ審議会が持たれたが、各党の思惑は一致せず纏まらなかった。それが突如選挙制度改革を掲げていた細川政権成立と共に、共産党を除いて各党一致で可決成立してしまった。その後は新しい選挙制度の下で政局は動いていくが、狙いの二大政党対立の図式にはなかなかなりそうにもない。 週刊朝日を読んでいたら、堺屋太一の連載エッセー「今日と違う明日」抵抗勢力は官僚であると言う一文が目にとまった。氏はそれを三つの視点から捉えている。一つは改革を阻む手続き。二つには死の病にはまった官僚機構。三つ目には仲間に尽くしたものが出世する構造を上げている。 この中で「死に至る病」は氏の持論で、以前「組織革命」という本の中で展開している。組織は何かを行う目的をもった機能体である。所が組織は発足と同時にこれとは別の目的をもつ。組織を大きくし強くして、其処に所属するものの居心地をよくすること。この機能体の共同体化こそ官僚の本質である。氏は更に「環境への過剰適合」「成功体験への埋没」を死に至る病としてあげている。 守旧派や抵抗勢力を倒す事は容易でない。守旧派は橋本派だと言われているが、政治家は機を見るに敏であり、結構柔軟である。やはり本丸は官僚であろう。外務省の例を見ていると、これまで全くの治外法権であったような気がする。 革命はご破算で願いましてであるが、変革・改革というものは抵抗勢力と戦うのに膨大なエネルギーがいる。小泉さんもさぞ大変だと思うが、それを支えるのはやはり国民の声ではないだろうか。 ( 2001.08 ) |