閑中忙あり   [観たり・読んだり・歩いたり] 目次
   戦場のピアニスト 

       
 ポーランドのピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンが、ナチス占領下のワルシャワで、五年間の逃亡生活を続けた。その回想録が戦後間もない頃出版されたが、戦後の混乱の最中、それは人々の目に止まらなかった。1960年代にその復刻版の出版が試みられたが、ソ連の管理下故それは果たされなかった。
  今から10年程前、この本がドイツで出版されるや、俄然世間の注目を浴び、各国で相次いで出されるようになった。わが国でも2000年に発刊された。
  今回の映画「戦場のピアニスト」は、この原作にほぼ忠実に作られている。と言うのは、先日テレビを観ていたら、この映画にまつわる話をしていた。何でもこの話は過去二回映画化されている。「ワルシャワのロビンソン」と「不屈な都市」。その二作とも原作とは似ても似つかない代物に仕上がり、冒険映画風になっていたようである。それもやはりソ連の管理下にあったが為である。
  「戦場のピアニスト」は昨年カンヌでパルムドール(最優秀作品賞)を受賞した。文字通り大変な力作である。この作品は、これまでのホロコースト物やゲットー物とは一味違う雰囲気を持っている。それはピアニストと言う芸術家にまつわる話だからであろう。

  最近は少なくなったが、ナチスのユダヤ迫害の話は昔から繰り返し映画化されてきた。比較的新しいものとしては、「コルチャック先生」「シンドラーのリスト」が印象に残っている。更に新しいものとしては「ビューティフル・ライフ」というイタリア映画がある。
  ユダヤ迫害の映画は暗い。「コルチャック先生」はスイスに亡命する機会があったのに、あえて教え子と運命をともにする。「シンドラーのリスト」は亡命者を援ける話なので、様々な迫害シーンはあるものの救いがある。「ビューティフル・ライフ」は前半がイタリアン・コメディで笑ってみていたら、後半はホロコーストの話になり、主人公は銃殺されてしまう。
  そしてこの「戦場のピアニスト」は、ゲットーを脱出、ワルシャワの町を逃げ隠れし、最後は音楽が縁で一命が助かるという話。途中は陰惨な話が多いが、終りに救いがある。
  
  1939年9月、ドイツ軍がポーランドに侵攻した日、シュピルマンはワルシャワの放送局でショパンの演奏をしていた。そこへ爆撃が始まり、英仏対独宣戦布告のニュースが入ってきた。
  程なく町はドイツ軍に占領され、ユダヤ人迫害の幕は切って落とされた。ドイツ兵とユダヤ人警察(ユダヤ人がドイツ兵の手先になって働く)の人間狩りや虐殺行為が始まる。ドイツ兵は、ちょっとした事に言い掛かりをつけ、殴る・蹴る・辱める、果ては虐殺としたい放題。人間が同じ人間に対して、どうしてこんな残酷な事を楽しみながら出来るのか不思議に思う。しかもこれは映画用にオーバーに描かれているのではない。シュピルマンの回想録にその残虐な行為が克明に、感情を交えず、淡々と記されている。
  1942年、シュピルマン一家は収容所に送られるために貨車乗り場に集められた。その時誰かがシュピルマンの腕を引き列から離した。知人のユダヤ警察の人であった。シュピルマンの家族は貨車に詰め込まれ、死出の旅に立った。

  ここから後半に入る。シュピルマンの逃亡生活が始まる。シュピルマンはゲットーを脱出、知人を頼って荒廃した町をさまよう。知人の手引きで隠れ家に移り、僅かな食料で食いつなぐ。やがてその知人も捕われ、シュピルマンの隠れ家も隣人の知る所となってしまった。シュピルマンは万一の時と教えられていた隠れ家に移る。
  この頃ワルシャワでは地下組織が出来、かの有名なワルシャワ蜂起が起こる。然しこの試みはドイツ軍の前にあえなく失敗に終わる。
  その昔「地下水道」「灰とダイアモンド」という名画があった。いずれもポーランドのレジスタンすに関る話だが、結末はいずれも悲惨なものであった。
  シュピルマンは廃墟の中を逃げ回り、何とか壊れた家の一角に隠れ場所を見出す。然し食料と水はない。ドイツ兵は下をうろうろしている。所がその家に何と埃まみれなピアノがあるではないか。勿論弾く訳にはいかない。空中に指を浮かせて弾く真似をする。やがてその隠れ家にドイツの将校がやって来て見付かってしまう。将校は音楽好き。シュピルマンがピアニストだと知って、何か弾いてみろという。
  シュピルマンは寒さと疲労により動かない指で、ショパンのバラード1番を弾く。(実際弾いたのはノクターン20番との事)ドイツ人将校はシュピルマンを見逃して去って行く。間もなくソ連軍がワルシャワの町に入って来るだろうと言い残して。
  この五年間に及ぶシュピルマンの逃避を可能にしたものは、一体何であったろう。飢え、寒さ、恐怖・・・。それらに打ち勝つには強靭な精神と肉体がいる。その精神力を支えてきたものは音楽であったのかも知れない。ポーランドの魂とも言われるショパンの曲が全編に流れる。

  戦後シュピルマンは、命を救ってくれたあのドイツ人将校を何とか助けたいと努力した。その将校がソ連のある収容所にいる事は突き止めたが、その試みは果たせなかった。「戦場のピアニスト」の本に、この将校の日記が抜粋されている。この将校はナチスの国家社会主義とユダヤ人迫害に反対している。シュピルマンを助けたのは単に音楽好きだけではなかった様だ。

  ポーランドの近・現代史は真に惨めである。大国に挟まれ、独立国としての体を保ったのは、二次に亘る大戦の間と、1990年の変革後の僅かの期間に過ぎない。
  1795年、ロシア、オーストリア、プロシャによる第三次分割案によって、ポーランド王國は一旦滅亡してしまった。第二次世界大戦末期、ヤルタ会談でポーランドは事実上ソ連の支配下に入った。
  ポーランドにはユダヤ人が350万人いた。それだけにナチスの迫害振りもすざましい。この種の映画の舞台は決まってポーランドになる。アウシュビッツはそのシンボル的存在である。
 ワルシャワ蜂起もまた歴史に名を残す。レジスタンスと市民の63日間に及ぶ死闘の末、死者20万人、建物の損壊80%を出しあえなく幕を閉じた。川向う迄きていたロシア軍は結局これに加担することなく、高見の見物を決め込んだ。それのみか、ポーランド占領後、このレジスタンスに加わったものはナチの手先だという烙印を押され、シベリア送りになってしまった。

  ショパンを生んだ国、昔通りに復興された美しい街並、一度は訪れてみたいものだと思いながら、何となく気が重くなるのは、その悲しい歴史ゆえか。

                      ( 2003・07 )