閑中忙あり   [観たり・読んだり・歩いたり] 目次

一度も植民地になったことがない日本

――デュラン・れい子

  藤原正彦さんが「国家の品格」と言う本を著したら、これが大当たり、たちまちベスト・セラーになった。氏は戦後わが国古来の「情と形」が失われ、欧米の「論理と合理」に身を売ってしまったことを嘆いている。

  これにあやかろうと、次から次へと「品格」物が出てきた。そして「女性の品格」(坂東真理子)に至っては三百万部を超えようとしている。続著「親の品格」も二百万部に迫る勢いである。本屋で立ち読みしていたら、女性のマナーとか子育ての方法が述べられていて、少し昔の常識のようなものに過ぎない気がした。ある座談会で「品格」は題名のパクリであると言っていたが、そうかも知れない。

  最近「一度も植民地になったことが無い日本」と言う本を読んだ。この本の著者は日本人であるが、スエーデン人と結婚し、ヨーロッパと日本を行き来しているアート・コーディネーターである。

題名の由来は、あるときパリで掃除婦に「貴方の宗主国はどこですか」と尋ねられてびっくりしたことに由来している。掃除婦はインドネシア人で、戦前永らくオランダの支配下にあった。彼女は当然日本もどこかの国の植民地であったに違いないと思っている。この一度も植民地になったことが無い日本は、世界の中でも独自の文化を持っていて、外人からは変った国と思われている。

こんな話が載っている。スイスの知人に日本で会った。知人は美術品を急ぎスイスに送らねばならないが、出発まで時間がない。彼女は親切にもそれを送ってあげることにした。知人が旅立った後、偶然スイスに行く日本の友人にあった。

彼女は荷物が早く確実に届くと思い、その友人に荷物をスイス国内から送ってくれるよう頼んだ。しばらくするとスイスの知人から連絡があり、猛烈に怒っている。なぜ私と約束したルートで送ってくれなかったのか。彼女は関税が高くなったので怒っているのかと思ったら違う。契約どおりの方法で送らなかったことを怒っているのだ。「気遣いと契約」今更ながらその文化の違いに驚いた。

ヨーロッパの人には小津ファンが結構いる。ある時そんな仲間が集まって小津監督が愛用していた茅ヶ崎の旅館でパーティを開くことになった。

都内のスーパーでワインを仕入れ旅館に届けるよう依頼した。ところが時間になっても来ない。電話をすると宅急便で送ったと言う。スーパーでは申し訳ないからこれから電車で持って行くという。何とかワインは間に合い面目は保たれた。一同日本のサービスの良いことに感嘆しきり、パーティは大いに盛り上がった。

次はインドのエリート・ビジネスマン、M.K.シャルマンの書いた「喪失の国、日本」と言う本。

インド人は日本にやってきて、その豊かさにびっくりした。飛行場に着きマンションに案内された。まずトイレにびっくり。炊事場は何もかも電化ずくめ。家具は何でも揃っている。

窓の外は小公園、そこでは異様な風景が展開されている。昼頃になると、乳母車を引いた奥様たちが集まる。中にボス的存在がいて、皆その人に挨拶している。どうもその人に認められないと、仲間に入れてもらえないらしい。更に驚いたことには夕方になると、奥様達が犬を引いて集まってくる。立派な犬が勢ぞろい、犬の品評会をやっているみたい。

インド人の世話をしてくれている人の奥さんが社交ダンスに凝っている。その大会ともなると大変だそうだ。貸衣装代、先生への謝礼、パートナーへのお礼、打ち上げの費用等々で何でも五、六十万円かかるという。インドのホワイトカラーの五、六年分の収入に当たる。

更にインド人が不思議に思ったことは、日本の営業と言うものだ。日本では相手の会社の偉い人を、宴席に引っ張り出せばまず成功である。そこでは商売の話は出ない。世間話が中心である。そして二次会、三次会と次第に怪しげなところに誘っていく。

このインド人は題名もそうだがどうも日本の将来に問題ありと見ているようだ。

少し前のことであるが、文春が「私が愛する日本」と言う特別版を出した。その中で「私は日本のここが好き」と言う特集が組まれている。日本で生活した経験のある世界三十二ヶ国五十二人にインタビューしている。彼らが異口同音に言うのには、日本人は正直、誠実、謙虚、平和、そして情けに篤く差別のない国ということである。読んでいて面映くなってしまう。確かにかつての日本はそうであったかもしれない。

同じ文春の最近号に、往年の悪役プロレスラー、アブドーラ・ザ・ブッチャーの話が載っている。ブッチャーの初来日はもう三十八年も前のこと、それから来日回数は百三十回を超えているそうだ。彼が言うのには、初来日の頃の日本は治安が良く、礼儀正しく素晴らしい国であった。それが最近めっきり悪くなってきた。アメリカナイズされ過ぎたのではなかろうか。

NHKで鶴瓶の「家族に乾杯」と言う番組がある。日本の各地を廻って、ぶっつけ本番で家族を訪問する。そこには失われたと思われた日本のよき家族が残っている。人懐っこく、情けに溢れた人々の笑顔がある。

MBSの「世界ウルルン滞在記」という番組もなかなかである。若いタレントが単身、主として世界の僻地に派遣され、一週間ばかりホーム・ステイする。我々の日常生活とは違いが大きく、言葉の通じない世界に飛び込み、さぞ大変だと思うが、立派に現地の生活に融けこんでいる。そして最後は現地の人と共に、ウルルンの中で別れてくる。日本の若者もまだ捨てたものではないなと思う。

外人から見た日本人を色々と取り上げてみたが、外人が異口同音に言う情けの深さ、几帳面さ、真面目さ、治安の良さはブッチャーの話のように今日失われてしまった。近頃やたらと偽装事件が起こる。家族崩壊を告げる凶悪事件も連日報ぜられている。果たして日本は外人が礼賛していたような、よき時代の良い日本を取り戻せるものだろうか。

                    ( 2008.03 )