閑中忙あり [観たり・読んだり・歩いたり] | 目次 |
これはなかなか上質の映画である。少々コメディタッチに描かれているのがまた好い。 どうもナチスが出てくる話は暗くなりがちで、何となく敬遠したくなるが、この映画はそんな心配は要らない。 イタリアが生んだ鬼才ゼッフィレッリの自叙伝のはじめの方に、ゼッフィレッリの子供の頃の話と青年時代の話が出てくる。この映画はその中に出てくる話がベースになっている。監督は勿論ゼッフィレッリ自身。ゼッフィレッリはフィレンツェやトスカーナの田園をこよなく愛している。この映画は正にそこが舞台。地元も協力を惜しまず、通常ではカメラが入らないウフィツィ美術館の中でもロケを行っている。数年前、私もこの町を訪れ、一日かけて町中を歩き回ったので、映画に出てくるシーンが懐かしかった。ドウモも見える、ジョットの鐘楼も、そしてウフィツィ美術館やポン・テ・ヴェッキオも・・・・。どこから見てもこの町は絵になる。美しいトスカーナの田園風景も、ヴェネッアからの車窓越しに堪能した。 第二次世界大戦の前夜、フィレンツェのコロニー(外国人居留区)に、イギリスからきた女達の一団が住んでいた。彼女達は郷に従わず、あくまでもイギリス流の生活習慣を押し通し、フィレンツェの人達から「さそり」と渾名されていた。そこにアメリカから来た大金持ちが現れ、これまたアメリカ流の生活習慣を持ち込み、傍若無人に振舞っていた。当然イギリス人とは反りが合わなかった。 そんな時、母を無くし、後妻から嫌われ、孤児院に入れられていた一人の少年が、孤児院を脱出してやってくる。彼女達は役割分担を決め、この少年を英国紳士として育てようとする。アメリカの金持ちは密かに信託基金を設け、少年を援助する。 戦雲迫る頃、イギリス排斥の運動が起こった。さそり軍団のリーダーは元領事夫人のうるさ型。早速イギリスのジャーナリストを連れ、ムッソリーニのところへ乗り込んだ。ムッソリーニは英国式ティ・セレモニーで二人を迎え、イギリス人の保護を確約する。 やがてムソリーニはヒットラーとの関係を強め、ローマ皇帝の再来などとおだてられ、ファッシズムは強化されていった。そしてイギリスと国交断絶。さそり軍団は近郊のサン・ジミニヤーノの寺院に収容されてしまった。そのうちアメリカが参戦、アメリカの金持ちも収容所送りとなった。 そこにオーストリアに留学していた少年が、立派に育って帰ってきた。青年はパルチザンに身を投じ、ユダヤ人脱出の仕事を始めた。アメリカの金持ちは実はユダヤ人であった。遂に逮捕の手が伸びてきた。青年は仲間と共に、この恩人であるアメリカ人を無事脱出させる。 連合軍のイタリア上陸で、ドイツ軍は撤退を始めた。撤退を前に、この美しいサン・ジミニャーノの塔を爆破しようとする。イギリスの女達は貴重な絵画を土嚢で隠し、自らを塔に縛り付け、爆破から守ろうとする。そこへイギリス軍がやって来た。ドイツ軍は塔を破壊することなく逃げていった。この話は本当にあった話で、先日日経紙にも紹介されていた。 ゼッフィレッリの自叙伝を読むと、このパルチザンに身を投じた頃の話が面白く、さながら小説を読んでいる楽しさがあった。 ローマの町を歩いていたら、ベネツィア広場に出た。その前に建つベネツィア宮殿のバルコニーで、ムッソリーニは数万の群集を前に大演説をぶった。ローマ皇帝の再来、ムッソリーニ得意の絶頂であった。今この広場は車の洪水で、遥かバルコニーを見上げると、ムッソリーニが両手を挙げて吼えている姿が浮かんでくる。 ムッソリーニは当時台頭してきたヒットラーに共感し、手を組んだ。最初はこの小僧子がと思っていたようだが、やがてはヒットラーに牛耳られてしまった。イタリアは日独に先んじて、43年に無条件降伏をした。ムッソリーニは45年スイス国境付近でパルチザンに捕らえられ、無残な処刑に合った。 この映画の最後のシーンはなかなか感動的である。謂わば敵国であるイギリス人が、敵国の文化財を守ろうとするのである。ヨーロッパの人は文化財や古い物を大切にする。二度の大戦でヨーロッパの町の多くは破壊されてしまった。然し今日それらの殆どは昔の姿に復元されている。 先日サンクト・ペテルブルグを訪れた。その近郊にプーシキンと言う緑豊かな美しい町がある。そこにエカテリーナ女帝の宮殿がある。この街はドイツ軍に占領され、宮殿は略奪と破壊を欲しいままにされた。然し共産主義のソ連は、戦後50年、営々とその修復に努めてきた。エカテリーナは共産政権にとって許されざる敵であったのに。 日本の建造物は木と紙で出来ている。焼夷弾が落とされたらひとたまりもない。東京大空襲の夜、我が家から池上本門寺の大伽藍が焼け落ちるのが見えた。今つくづく思う。東大寺の大仏殿が焼け落ちたら如何だったろう。薬師寺の三重の塔が、唐招提寺の金堂が。 桜井の安部文殊院の境内に碑が立っている。そこに京都と奈良を空襲から守ってくれたウオーナー博士への感謝の言葉が刻まれている。「ありがとうウオーナー博士」本当によかったなあと思う。 毎週日曜日の夜遅く、世界文化遺産を紹介する番組がある。先日その写真展を大丸でやっていた。いずれも長い間の天災・人災に耐え、今日の我々に引き継がれている。我々 もこれらを出来るだけ其の侭の形で後世に引き継いでいかなくてはならないと思った。 ( 2000・12 ) (追補) この映画を見て塔の町サン・ジミニヤーノを見たくなり、昨年北イタリアのツアーに参加した。小高い丘の上にある小さな美しい町だが、塔が多いのが特色となっている。往時は32本あったが、いまでは14本になってしまった。ガイドが7本の塔を一度に写せる場所を教えてくれたので、早速シャッターを切った。砦からの眺めは素晴らしかった。 |