閑中忙あり   [観たり・読んだり・歩いたり] 目次
      村の写真集       
 

    

  昨年の秋、四国の秘境を訪ねるバス・ツアーに参加した。近頃紅葉の名所は車と人であふれかえり、何を見に来たのか分からなくなってしまう。まあ四国の秘境まで行けば、ゆっくり紅葉狩りが楽しめるだろうと出かけた。

  大歩危・小歩危・祖谷渓・かずら橋・・・昔から一度は訪れたいと思っていた所である。しかし来てみていささか拍子抜けがした。立派な道路が通り、鉄筋コンクリートのトラベルセンターもあるし、催し物広場まである。ガイドの話では、昔は道路が狭くてバスが離合するのに大変だったそうである。そこを抜けバスは渓谷に沿って走る。周囲の山々は段々畑に切り開かれ、農家が点々と見える。ガイドが「この辺りが平家の落ち武者が隠れ住んでいたところです」と説明する。さすが追っ手もこの辺りまでは来なかったろう。

  このようなひなびた山間の村に、一軒の写真館がある。何か祝い事があると田舎の人はよく記念写真を撮る。写真館の主人はもう相当な年である。昔から持っている古くて大きい写真機を大事に使っている。ここの主人は早く妻を亡くし、次女と二人で暮らしている。長男は東京でプロカメラマン目指して修行中。長女は田舎の生活がいやで、早々に都会に出てしまった。

  村役場の一人の青年が、消え行く村の美しさを永遠に残したいと考え、村の全ての家族写真を撮り、「村の写真集」を作ることを企画した。そしてその制作をこの写真館の主人とその息子に依頼した。息子はうるさい親父との仕事なので気が進まなかった。しかし恋人の勧めもあり、仕方なく引き受け田舎に帰ってきた。

  親子の共同作業が始まった、といえば聞こえがいいが、やはりスムースには行かない。息子は重たい荷物を担いで、ただ黙々と親父の後を少し離れてついていくのみ。山道を登ったり降りたり、田んぼのあぜ道を辿ったり。そして撮影も全くの親父のペースで事が運ぶ。何の為にはるばる東京からやって来たか分からない。  

  山村の家は親子三代や四代に亘る大家族あり、老夫婦のみひっそりと暮らしている家もある。しかしいずれもこの山深い村の生活を愛し、心豊かに暮らしている。主人はそういった人達の表情を丁寧に写し取っていく。そして写し終えるとこれ又丁寧に頭を下げる。人々は皆それぞれにいい顔をしている。

  花嫁行列、お祭りなどの行事も加えて撮影は順調に進んでいく。ところが親父の様子がおかしい。親父は体調の悪いのを隠して撮影をつづけていたが、ついに倒れてしまった。残りの写真は息子が撮ることになった。やれやれ煩いのがいなくなった。しかし息子は愕然とした。どんなにシャッターを押しても、親父のような生き生きとした写真が撮れない。今更ながら親父の偉大さを知った。息子は最後の写真は親父に撮らせたいと、親父を背負って険しい山道を登る。最後の写真を撮り終えると、親父は息子の手を握る。

  息子が東京に戻りしばらくすると、一台の車が写真館の前に停まった。息子と長女と孫が降りてきた。親父と次女を加え一家揃ってセルフ・タイマーで撮影。かくして[村の写真集]は完成した。

  この映画は徳島の秘境が舞台でなければ成り立たなかったであろう。山の斜面に点在する家々。足もとに広がる棚田。遠く近くに望める山々。もちろん平家の落ち武者が隠れていた頃とは格段と開けているのだろうが、やはり秘境である。映画が終わってエンディングロールが流れる。キャストがものすごい人数。恐らく写真集に関係した人たち、催物に参加した人たち全員の氏名なのであろう。秘境の村人がこの映画にかける期待の大きさが知れる。

  男親と言うものは子供に対して自分の気持ちを語らない。ことにこの親父の年代はそうである。息子は息子で親父に言ってもどうせ分かってくれない。言うだけ無駄だと思っている。折角の共同作業なのに、機材を担いで五、六歩離れて黙々と歩いていくことになる。息子は東京でプロの写真家の下で、最新鋭の機器、最新鋭の技術で技を磨いている。実はまだ下働きで掃除係なのだが。親父の古い機材や、技術を秘かに馬鹿にしている。

  しかしびっくりしてしまった。親父が倒れて自分が代わってみて。村人の生き生きとした表情がまるで伝わってこないではないか。親父のキャリアーは無駄ではなかった。村人との長年の付き合いも大事であった。親父が車で機材を運ぶことを断り、重い荷物を担いで山道を登るのにも意味があるのだ。そこに村人との共感が生まれるのだ。

  息子がいくら頑張っても所詮よそ者、しかも相手は年寄りが多い。表情を引き出すには撮る人の人柄が出る。シャッターを押せば誰でも同じように撮れると思うがそうはいかない。カメラを使いこなすことが大切だ。第一近頃のカメラは何でもオートになっているが、昔のカメラはそうはいかない。露出計で測ったり、手動でピントを合わせたりせねばならない。

  父が病に倒れ、息子が仕事を引き継いでみて本当に父の偉大さが分かった。また父が息子のことを、東京でプロカメラマン目指して勉強していると自慢げに話していたことを友人から聞けされ、初めて父が自分のことを気にかけ期待していることを知った。男親と息子の関係は所詮そんなものである。

  私はたまたまこの映画を観る半年ぐらい前にこの地を訪れていた。そのためか映画を観ても何となくイメージがわき、親しみが持てた。同じような経験がある。河瀬直美と言う地元奈良出身の監督がいる。その処女作「萌えの朱雀」は西吉野の山村を舞台にしている。私は毎年その地に梅を観に行くのでその映画を観てとても親しみを覚えた。そこには都会の喧騒を離れて、ゆっくりと時が流れている。

  四国の旅は秘境を訪ねて更に進む。四万十川の上流やら石鎚山やら秘境中の秘境、観光バスの離合困難な山道を行く。ここまで来るとさすが観光客も少なく。紅葉は秋の陽に照り輝いていた。

                         ( 2006.10 )