閑中忙あり [観たり・読んだり・歩いたり] | 目次 |
若き日のエルネスト(チェ・ゲバラ)が友人と二人で、南米縦断のバイクのたびに出る話。彼らはその無銭旅行でさまざまな人と出会い、さまざまな事件に遭遇し、人生における貴重な体験を持ったのである。 チェ・ゲバラといえば革命の神様、ゲリラの神様と讃えられ歴史にその名をとどめている。何ゆえに数ある革命家と違って神様なのだろうか。私はチェのことは名前を知っているだけで、その足跡はほとんど知らない。そこで三好徹の「チェ・ゲバラ伝」を読んでみた。なるほどチェは他の多くの革命家、殊に中南米の革命家とは大きく異なるものがあるなと納得した。 チェはアルゼンチンのロサリオで生まれ、医学校を卒業した。両親はともに名家の出身でありながら共和派に同情的であった。特に母親は左翼的リベラルであり、チェはこの母の影響をたぶんに受けている。 チェは子供の頃から放浪の旅が好きで、徒歩で、自転車で、バイクで、殆ど無銭で南米各地をめぐっている。この映画のバイク旅行はその集大成のようなものである。 チェがメキシコで始めてカストロに会ったのは二十五歳のとき、カストロは二十九歳であった。チェはカストロの下でゲリラ部隊を率いて戦った。二年間の戦闘の後、革命軍は勝利し、パチスタ大統領はドミニカに亡命した。 チェはカストロ首相の下で、国立銀行総裁や工業相の大役に就き、キューバの近代化に日夜奮励努力した。チェは農村の貧しさを良く知っているので、この国を豊かにするには工業化しかないと思った。チェは世界各国を回り、日本にもやって来た。しかし日本での認知度は低く、あまり歓迎されなかった。ここで普通の人ならば、カストロのナンバー2として政権の中枢に座り、その生涯を送ったであろう。 チェの革命家として血がそれを許さなかった。チェは再び革命戦線へと乗り出した。チェは有志を募りボリビァでゲリラの軍を起こした。CIAが操る政府軍は、レインジャー部隊を繰り出し、革命軍を猛攻、次第に山岳地帯の密林に追いやった。チェも遂に捕らわれ処刑されてしまった。チェ・ゲバラ三十九歳、まだこれからの人生であった。 さて、映画のほうであるが、こちらはゲリラ戦とは無縁の青春時代の一齣、友人とバイクによる南米大陸縦断の話である。 エルネスト(チェ)は医学生であるが、幼いときから喘息もちである。あるとき七歳上の生化学者の友人のアルベルトと、ポンコツのバイクにまたがって南米大陸縦断の放浪の旅に出た。文無しの彼らはいきなり食べるもの、寝るところを工面しなくてはならなかった。アンデス山脈を越え、ようやく国境を通過しチリに入ると、二人のドクトルがベネゼイラに向けて旅行中という記事が新聞に載った。幸いそれに便乗、一宿一飯にありつくことが出来た。 幾度の修理の甲斐なく、ポンコツはついに動かなくなってしまった。二人はバイクを捨て徒歩により旅を続ける。重病の老婆を診て手持ちの薬をすべて与えてしまったり、二人の姉妹の親切に甘えたり、旅は様々な人との出会いがある。 やがて灼熱の砂漠を歩いて抜けた二人は、インディオの貧しい夫婦に出会う。彼らは政治的信念から土地を奪われ、仕事を求めて鉱山に向かう途中であった。二人は徒歩の旅行で始めてラテン・アメリカの真の姿に気づき始めた。そしてマチュピチュの遺跡に接し、インカ文明の偉大さを知り、現在のリマと比べて歴史の興亡を身をもって感じるのであった。 やがて人の紹介により、二人は南米一のハンセン氏病施設に勤めることになった。二人は差別偏見なく病人と触れ合い、患者の信望を集めた。ここの施設は川を挟んで患者が隔離されている。エルネストは二十四歳の誕生日、施設の人の祝う中、真っ暗なアマゾン川を泳いで患者のもとまで渡ろうとする。喘息もちのエルネスト果たして泳ぎきれるか。この映画のクライマックス。多くの患者の迎える中、エルネストはアマゾンを泳ぎきった。 二人の一万キロにも及ぶ旅は終わった。二人はこの旅でラテン・アメリカの貧困と矛盾を身をもって知った。後の革命家としての思想が形成されていったのだ。 中南米というと、常にテロとかゲリラとか革命といった血なまぐさい話が絶えない。スペインがやってきて植民地になる。やがて独立運動が起こり独立国家が誕生する。人々が喜こぶのもつかの間、それは独裁政治、利権政治に変わる。それを排除せんと血の抗争、クーデターが起こる。そこには軍事政権が絡む。「戒厳令下チリ潜入記」ではピノチェト軍事政権の恐怖政治の様子が、「エビータ」ではペロン大統領夫人の豪華な乱費振りが描かれている。人は権力を、富を得んがため革命を起こす。軍事政権であろうと社会主義政権であろうとそれは変わらない。 チェは理想主義者であった。純粋で無私で献身的であった。それだけに部下にも厳しかった。ゲリラに加わって一旗上げようという功利的な輩を嫌った。 キューバの革命政権ではその中枢に座り、金融・工業といった低開発国にとってこれ以上ない重要な仕事に取り組んだ。その仕事の重要性も十分認識していたであろうし、その仕事に興味を持って関連の勉強を猛烈にしていた。別にカストロと不仲になった訳でもない。カストロの現実主義とチェの理想主義との組み合わせも好ましかった。チェはその上喘息を抱えそれが次第にひどくなって、すでに肉体的にも無理がきかなくなってきていた。 それでもチェは革命家として生きる道を選んだ。しかしボリビアでのゲリラ戦はさしたる戦果を挙げることなく、無残な最期となってしまった。やはりカストロは偉かった。組織力もあり、政治力もあり、かつ戦略家でもある。単に理想に燃えてというだけではゲリラ戦は成功しない。今日キューバは世界の中で数少ない社会主義国家として独立独歩頑張っている。それは他のラテンの革命家のごとく、権力を握ると革命の理想を忘れ、自らの利益を得る事に汲々とするところがなかったからであろう。 バイクの旅といえば「イージー・ライダー」を思い出す。ヒッピーがアメリカに現れた頃の話である。物質文明の極みを嫌い、管理社会から抜け出し、自由に生きたいと若者達がバイクの旅に出かける。南部のコンサバティブの保安官に撃ち殺されるエンディング。 一方この映画では金持ちの息子達が無銭旅行を試みて、世の中の下層に生きる人々の苦しみを身をもって体験する話。北と南、富める国と貧しい国、若者達がバイクの旅で体験したものは様々な矛盾を孕んだ世の中である。 ( 2005・05 ) |