閑中忙あり [観たり・読んだり・歩いたり] | 目次 |
奈良が生んだ英才、河瀬直美、九十七年のカンヌ映画祭に於いて「萌えの朱雀」でカメラドール(新人監督賞)を受賞、一躍その名を知られるようになった。この映画は西吉野が舞台で、過疎化が進んでいく中、一家が次第に離散していく様子を描いたものである。家族と言うものを考えさせられる映画であった。 私はこの映画の舞台の賀名生には毎年観梅に出かけるので、この作品には大変親近感を持つことができた。山の斜面に沿って農家が点在し、遥か遠くには熊野の山々が望まれる景勝の地である。ここは又南朝最後の地でもある。 それから五年ほどたって「沙羅双樹」と言う作品が作られた。この作品も奈良が舞台、まさにその中心の奈良町でロケされている。幼い子が神隠しに会うという話だ。見慣れた風景なので、そちらに関心がいってしまった。 そして今回、パルムドールから十年、河瀬直美はカンヌに於いて、「もがりの森」でグランプリ受賞の栄に輝いた。この映画も奈良が舞台となっている。奈良公園を抜けて東に進むと春日原始林に入る。そして一山越すと田原の茶畑が広がる。その一隅には大安麻呂の墓がある。奈良公園と違いのどかなところだ。映画は主としてこの地区でロケされている。 封切りの初日、河瀬直美のトークショウがあると言うので出かけた。河瀬直美と一緒に出てきたのはこの映画に主演した奈良町のおじさんである。この人は奈良町で小さな喫茶店兼古本屋を営んでいる。河瀬直美に映画に出てみないかと誘われ、ワンサかと思ってOKしたのだが、なんとこれが主演、驚いたこと。おじさんの話によると、カンヌでこの映画の上映が終わったとき、何とスタンディング・オベーションが十分以上続いたそうである。何が彼らの心を動かしたのであろうか。カンヌでの評判は大変で、その後世界各地で上映されたとのことである。 物語はこの茶畑に囲まれたグループ・ホームで始まる。冒頭葬儀の列が茶畑の中を進み、この映画の前途を暗示する。 このグループ・ホームでは軽い認知症の人が、介護スタッフとともに共同生活を送っている。 その中の一人の老人は三十三年前に妻を亡くしている。老人は妻と過ごした日々の思い出を胸に仕事一筋に励んできた。そして年老いた今、その思い出を大切に静かに老後を送っている。そこには誰も入り込めない妻との二人の世界がある。 そこへ新任の介護士が赴任してきた。彼女は最愛の子供を事故でなくし、それが元で夫と別れざるを得なくなった。 ある晩のこと、介護氏が老人の思い出の詰まったリユックサックを手にとってしまい老人の逆鱗に触れる。介護士は戸惑うが、やがて誠意が通じ心を許しあえるようになった。 ある日二人は老人の妻が眠る森へ墓参りに出かけることになった。介護士の運転で車は茶畑の間を走っていたが、悪路に車を脱輪させ動かなくなってしまった。介護士は老人に絶対車を離れるなと言って、助けを求めに行く。しばらくして戻ってくると老人はいない。声はりあげ探しまわり漸く見つける。 老人は制止も聞かず森の中にどんどん入っていってしまう。墓は一向に見つからない。太陽は傾き、あたりは薄暗くなる。風は木々を揺らし、雨さへ降ってくる。なにかオドロオドロした様子である。この辺り私も良く歩いているので雰囲気が良く出ていると思う。やがて二人は巨木の前に立つ。春日奥山は万古不伐の世界遺産。巨木は霊を帯びている。 二人は漸く墓に辿り着く。老人は墓の前に穴を掘り始める。介護士も手伝う。やがて老人はその穴に横たわる。老人は亡き妻と交流しているのであろう。生と死との間に最早境は無い。 この映画のクライマックスは、二人が春日奥山を彷徨するところであろう。特別の許可を得て原始林の中でロケをした。河瀬直美のカメラワークには特色がある。長回しとハンドを多用する。ニュース番組でカメラが対象物を追っていくような撮り方、見ているものは疲れるが迫力がある。 河瀬直美はカンヌで受賞したとき、挨拶でこんなことを言っている。人々は人生において、物質的なものによりどころを求める。しかしそういうものが満たしてくれるものはほんの一部で、眼に見えないもの――誰かの思い出とか、光とか風とか亡くなった人の面影とか――私達はそうゆうものに心の支えを見つけたときに、たった一人で立っていられる。――この映画はそのことを見事に表している。カンヌで受賞した所以であろう。 映画の終わりにスーパーが流れる。 もがり――敬う人の死を惜しみ、偲ぶ時間のこと。又その場所の意。万葉時代には貴人が没すると、その徳を偲んでもがりが行われた。 ( 2008.01 )
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