閑中忙あり   [観たり・読んだり・歩いたり] 目次
メディア・コントロール
             ―― ノーム・チョムスキー      
  

  これは恐ろしい話である。アメリカが世界に広めようとしている民主主義とは、かくなるものかと考えさせられてしまう。 
  少し前テレビを見ていたら、戦争とプロパガンダの問題を取り上げていた。ヴェトナム戦争の頃は、従軍記者は比較的自由に取材して、自由に報道していた。戦争の生々しい光景がお茶の間に飛び込み、国内の厭戦気分を誘い、ヴェトナム戦争も終結を見た。
  湾岸戦争のときは、まるでテレビゲームを見ているようで、むごたらしい兵士や住民の死傷の有様は殆ど報道されなかった。湾岸戦争の頃になると、メディアはプロパガンダの武器として、世論を操作するようになった。テレビを見ていたら、イラクの兵士に赤ん坊を投げ捨てられたと、涙ながらに訴えているクエートの若い母親の映像が出てきた。然しこれは完全なプロパガンダ用のやらせで、母親を演じていたのは何とクエートの大使の娘であったことが後で分かったという。

  著者ノーム・チョムスキーはマサチューセッツ工科大学教授。ヴェトナム戦争以来、アメリカの対外政策を厳しく批判し続けている。「9・11アメリカに報復する資格は無い」「テロの帝国アメリカ」等の著書がある。
  チョムスキーは本著の冒頭でこんな事を言っている。民主主義社会の概念には二つある。一つは,一般の人々が自分達の問題を自分達で考え、その決定にそれなりの影響を及ぼせる手段を持っていて、情報へのアクセスが開かれている環境にある社会。我々も民主主義とはかくなるものと教わった。
  そしてもう一つの概念は、一般の人々を彼ら自身の問題に決して関らせないで、情報のアクセスは一部の間だけで厳重に管理しておかねばならないとするものだ。昔から日本でも言われた。よらしむべし、知らしむベからずと。これは皮肉で言っているのではない。チョムスキーは優勢なのは後者の方であると言っている。

  近代政府による組織的な宣伝活動はウイルソンに始まる。1916年,平和主義を掲げてウイルソンは大統領に選ばれた。然しウイルソンは宣伝委員会を発足させ、半年足らずで平和主義の世論を、ヒステリックな戦争賛成論に転換させてしまった。ドイツ兵がベルギーの赤ん坊の両手をもぐというような残虐行為が、イギリスの宣伝省によって捏造された。
人々はドイツ憎しで固まった。
  このような世論形成に知識人が大きな影響力を持ち始めた。彼等は組織的な合意形成が人為的に出来ると思うようになった。そして万人の為になる公益は所詮少数のエリートしか分からない。自分達が一般市民に知らせ導いていくのだと思い込むようになった。
  政治評論家リップマンはこう言っている。民主主義には複数の市民階級が存在する。一つは専門的知識を持ち、政治・経済・社会の諸問題の解決に参加していく。残り大部分の人は「とまどえる群れ」である。彼等は観客であり、選挙のときだけリーダーを選ぶのに参加するが、すぐに観客に戻ってしまう。それでも選挙に参加すればいい。最近のわが国の選挙は参加率50%を切っている。
  
  このような背景から、アメリカに於いては広報(PR)産業が生まれ、発展を遂げてきた。その目的は「大衆を操作する」事にある。1920年代この試みはほぼ成功を収め、企業が大衆をコントロールするようになった。
  30年代に入り、労働組合の力が強くなった。彼等は観客から参加者に変貌しようとした。然し企業側は対策を講じた。何も暴力団を雇ってスト破りをしようと言うのではない。巧みな広報活動によって、スト参加者への反感を世間に広め、彼等を公益に反する破壊分子だと思わせた。
  第二次世界大戦を通じて組合の力は弱まった。アメリカニズム(アメリカ第一主義)のスローガンのもと人々は結集した。中身の無いスローガンでも繰り返し流されるとその気になってしまう。

  グァテマラ・グレナダ・パナマ・ニカラグア・エルサルバドル・レバノン・東チモール・アフガニスタン・イラク・・・・アメリカは世界各地の内戦や紛争に関ってきた。人権問題・テロ対策・紛争の調停・自由民主主義の擁護・・・・それぞれに正義の御旗を掲げ、メディアをコントロールして聖戦の世論を形成して来た。あるときは知らぬ顔の半兵衛を決め込み、あるときは針小棒大に。この書ではそれぞれの紛争に於いて政府の言っている事の矛盾をついているが、一般大衆には分からないし、知識人も敢えて抗議しない。
  メディアをコントロールするには外に共通の敵がいると効果的である。ソ連は格好の敵であった。ソ連を悪者にしていれば国民はついてきた。イデオロギーは宗教の様なもので、信じる者には理屈は無い。

  冷戦終結後、世界各地で紛争が起こった。介入するにはそれぞれの理屈がいる。ソ連のような分かり易い敵はいなくなった。分けてもイスラムの世界の事は分かりにくい。
  今回のイラク戦争では、アメリカは大量破壊兵器の保持を問題にした。そして開戦直前には、独裁者サダム・フセインからの解放、自由民主主義国家の樹立を強調していた。幸い戦争は短期に終わった。然し大量破壊兵器はまだ見付かっていない。巨悪フセインを倒したアメリカにイラク国民の感謝の気持ちは盛り上がらず、反米運動が各地で起こっている。フセインの銅像が引き倒される映像ばかりが、繰り返し流される。

  ノーム・チョムスキーに辺見と言う人がインタビューしている。貴方の様に反戦の論陣を張っていると、さぞ言論統制や、保守派の攻撃に遭うのではないのか。教授は答えた。今から40年前、ケネディ大統領の頃はヴェトナム参戦に異を唱える者もおらず、反戦運動が起こっても妨害にあった。然し今ではこの国には言論の抑圧などもないし、反戦運動も盛んに行われている。恐らく世界一自由な国であろう。
  然しそうは言っても、このインタビューの前日、MITでは教授を批判する大規模な集会が開かれた。教授はそんなことは一切気にしないといっている。昨今アメリカではネオ・コンサバティブが急速に勢力を増してきている。その中で、教授のような発言は大変勇気のいる事だろう。教授は格好ばかりつけ、影響力の無いハト派の知識人に厳しい。

  イラク戦争では様々な映像が流された。然しアメリカのテレビでは、薬も麻酔も無い中で、泣き叫ぶ子供達の姿は見られなかった様だ。降伏するイラクの兵士達、軍需施設に対するピンポイントの爆撃、フセインの像の引き倒し、リンカーン艦上でのブッシュ大統領の勝利宣言・・・。いかに市民を傷つけずに勝利を得たかが流された。
  それかあらぬか、開戦当初60%の戦争支持率が、今や80%に上がっている。独裁国家でないから確かに教授が言うように、言論の自由は健全のようだ。しかしメディア・コントロールにより、政府の思うままに世論が、民意が形成されていくと言うのは恐ろしい世の中ではないか。

                         ( 2003・05 )