閑中忙あり   [観たり・読んだり・歩いたり] 目次

キトラ古墳

 

  


もうだいぶ以前のことだが、キトラ古墳の壁画が発見されたというニユースが飛び込んできた。早速行ってみようと言うことになって、高松塚に車を置き、田圃の中の道を20分ほど歩いた。この辺り観光客も少なく、至ってのどかな田園風景が広がる。秋の日は心地よい。もう少したつと彼岸花が畦道を飾ることだろう。やがて道が少しのぼりになる。左側の山裾に、土盛りが見えてきた。これがキトラ古墳のようである。年取ったおじさんが,向かいの飯場に一人ポツンと座っているだけ。説明書ひとつない。
高松塚古墳が調査員の出入りが激しく、かの有名な天平の美人画が台無しになったのに懲りて、新兵器ファイバースコープを持ち込んで、調査を行った。これでは見る物も何もない。早々に引き揚げてきた。
それから暫くして、キトラ古墳の修復が進み、4神のうちの一つ、白虎が一般公開された。大変な人出と報ぜられていたので、比較的空いている夕方に出かけた。飛鳥資料館に着くと、前庭は人で埋まっていた。これでは今日中に入館できるかと心配させられたが、それでも40分ほどで何とか入館できた。行列の人の話を聞いていると、なんでもその知り合いの人は、東京からやってきて、橿原のホテルに泊まり、朝の7時から並んだそうだ。
世の中には,随分熱心な古代史愛好家がいるものだ。
  さあこれからが大変だった。中に入ってから白虎にたどり着くまで30分かかった。しかも残念なことに、白虎を見れたのはほんの5,6秒のことだった。係員の誘導で一同後ろ髪をひかれる思いで白虎を後にした。白虎は中央部が汚れていて、時間もないのでよく見えなかった。東京から泊りがけで来た人には、まことに気の毒な見学会であった。   

  その後玄武、朱雀の取り外しに成功、先に取り外した青竜とともに4神揃っての公開となった。さあ大変1神でもあの混雑、4神ではどうなることか。それでも懲りずにまた出かける。資料館の近くに行くと、もうえんえん車の列が続いていている。少し離れた臨時駐車場に何とか止める。資料館の方も前回に懲りて今回は陳列に工夫して観客の分散を図ったのでさほど並ぶことはなかった。

  4神は墓を守る想像上の動物で、東壁には「青竜」西壁には「白虎」南壁には「朱雀」そして北壁には「玄武」が描かれている。これを取り外し保存した。いずれも「亡くなった墓の主が、あの世でも安らかに暮らせるように」との思いを込めて描かれている。
  朱雀は中央部分が汚れているが、顔は気品に満ちて美しい。白虎は今度はゆっくり見られた。やはり中央部の汚れが目立つが、今にも飛び出しそうな迫力がある。青竜も全体に汚れが目立つが、躍動感が素晴らしい。玄武は蛇が亀に絡んだユニークな姿をしている。 

キトラには、4神の他天井に描かれた「天文図」と4神のまわりに描かれた「12支」があり、レプリカが展示されていた。

近頃テレビで世界遺産をよく放映している。幾多の戦乱の歴史をくぐり抜け、よく今日まで歴史の遺産として、残されているものだと感心させられる。まさに人類にとってかけがえのない遺産である。残念ながら彼等が石の文化に対して、我が国は木の文化、保存が難しい。それでも飛鳥には多くの石造物が残されている。正体不明のものも多い。そして僅かな埋蔵物から色々と推定を行う。
そういえば最近甘橿丘の麓で、蘇我蝦夷,入鹿の屋敷跡が見つかった。明日香では一等地に居を構えているではないか。それは甘橿の丘の登り口の環境の良いところ、石積みが発見されて推定されたものである。・
驚いたのは斉明帝の古墳が発見されたというニユース。石積みが天皇陵に特有の八角形をしているので、天皇陵に違いないということになった。但し宮内庁が認めている斉明陵は別にある。例によって説明会には200人余の人が詰めかけ、1時間繰り上げて行われた。残念ながらニュースを知ったのが遅かったので参加できなかった。
近頃我が国に古代史愛好家が増えたようだ。われらの祖先は何を考え、どんな生活を送っていたのであろうか。わずかに残された遺跡や遺物から推察するのは楽しいことであろう。明日香はまさに遺跡。遺物の宝庫である。

最近海外の遺跡異物を訪ねるツアーが盛んに企画され、若い娘さんもよく回っているようだ。中近東、中南米、中国等むかし栄えたところには古い遺跡,遺物がたくさん残っている。彼等は石の文化であるから風雨にさらされても形を止めている。        
われらの祖先の歴史を知ることは、今日の我々の姿を映すことに通じる。はるか遠い昔に思いをはせるのは楽しいことである。

                 ( 2010.09.)