閑中忙あり [観たり・読んだり・歩いたり] | 目次 |
キトラという変わった名前の古墳を見ようと車を走らせた。もう三年ぐらい前のことだが。道の脇に小高い土盛りがあって、覆屋で囲われていた。プレハブの小屋に工事のおじいさんが一人ポツンといるだけで、質問をしても要領を得なかった。 昭和五十八年、ここの盗掘口からファイバー・スコープを入れ、北壁に玄武が描かれているのを確認、一躍有名になった。その後平成十年、超小型カメラを、更に三年後にはデジタルカメラを入れ内部を撮影、その壁画の全容が明らかになってきた。今回その壁画の一部が公開されることになり、大変な評判となった。
会社のOB会から明日香を案内してくれないかと言う依頼があった。その下見に年が明けてから二度明日香を訪れた。冬の明日香は寂しいが、春の明日香は華やかだ。万葉の昔を偲びながらのそぞろ歩きは楽しい。 少し強行軍と思ったが、高松塚から飛鳥資料館に至る行程を設定した。当日は参加者二十六名を数え、解説は頼りなかったが、天気に恵まれ楽しいツアーであった。その最後の行程飛鳥資料館ではキトラ古墳特別展が開催されていた。残念ながら、その大目玉である白虎の展示は日が限られていて、その日は観ることが出来なかったが、写真やビデオや展示物ではその姿をうかがうことが出来たが。 それから一月ばかり経った頃、いよいよ白虎が公開されることになった。世は考古学ブーム?多くの人が殺到した。はるばる東京から夜行バスで馳せつけた人、橿原神宮の近くのホテルに宿を取った人、いやはや大変な人気である。地元奈良に住んでいる人が行かないでは申し訳が立たない。 数日が過ぎた。今日は平日だし、マニアは一巡しただろう。夕方の方が空いているそうだ。そこで昼過ぎに恐る恐る出かけた。明日香に着いてびっくり、広い駐車場は満車、臨時駐車場に行ってくれとのこと。どこかと聞けば万葉文化館、先日歩いたら二十分近くかかった。仕方なく車を回し、とぼとぼ歩いて引き返してきた。 困難はこれからだった。チケットを買おうとしたら、七十五分待ちと言われた。戦中派は行列が大の苦手だ。フェルメールの時も、二度挑戦して果たせなかった。だが此処まで来て帰るわけには行かない。ままよとチケットを買って入館すると、なんと館内は全て行列の人で埋まっているではないか。列も崩せず、展示物も見ることもできず、ひたすら七十五分を耐えた。きっちり予告どおりの時間で白虎の前にたどり着いた。白虎との対面時間は僅か十五秒、実物を見たということで終わってしまった。それでも実物は価値がある、写真とは違う。自らを慰めながらすごすご引き揚げた。
キトラ古墳の壁画は高松塚と同様、天井の天文図と日、月像、四壁の四神と十二支からなっている。キトラの方はこの十二支が獣頭人身像であるが、高松塚の方は四人一組の男子群像と四人の女子群像が四神の前後に配されていて、高松塚のシンボルになっている。 さて、キトラの白虎でだが、なにぶん十五、六秒という短い時間の見学であり、感想も乏しいが、何より黒く細い繊細な輪郭が描かれているのが印象的であった。石壁の上に漆喰を塗り、色料を塗った和紙を下絵との間に挟み、下絵を尖筆で刷り、色料を漆喰に写すといった方法がとられている。従って壁面に溝が出来ている。これを筋彫りというそうだ。 高松塚の白虎が左向き、キトラが右向きの違いはあるが、ほぼ同形をしている。キトラの白虎の本体は簡単に石膏と石がはがれて取りだすことが出来たそうだが、割れ目から先の足の部分が石と強力に接着し、取り出すのに大変苦労があったようである。果たして高松塚の壁画は無事取り出せるのであろうか。 この行列に疲れたのか、人々は白虎を観ると満足して、他のキトラ特別展殆ど目もくれず早々に引き揚げて行くようであった。やっぱり本物の力は強い。この十五秒が偉大な経験になるのだ。人々がこの十五秒の見学でどれだけ飛鳥時代の生活を身近に感じたことであろう。
近頃遺跡の発掘が伝えられると随分人が集まる。私も結構明日香だ、葛城だ、平城旧跡だと最近も足を運んでいる。しかし日本は木の国、外国と違って柱の跡とか溝の跡とか道路の跡しか出てこない。そして調査が終わると埋め戻してしまうので何も見えない。結局説明会に行って、専門家の話を聞き想像を膨らませるより他はない。 壁画の場合は難しい問題が沢山ある。一旦石室を開けたら壁画は劣化し始める。高松塚も立派な覆い屋があって、エアー・コンも完備し、温度・湿度の管理には充分配慮しているが、それでもカビは止められない。仮に完全に保存できたとしても、密閉状態で人目にも触れず、石室内に眠っていることにどんな意味があるのか。今回の白虎の公開に人々がどんなに喜んだか考えてみる必要がある。 高松塚が現地保存を諦め、取り出して設備の整った別の場所で修理・保存をすることになった。たちまち地元の猛反対。高松塚の壁画は明日香にあっての壁画である。明日香にとっては大切な観光資源、明日香を離れることは相成らんという。どうも人の話では、博物館に持っていって修理をすると、保存の名目で取られてしまうらしい。結局近くの広場に作業場を作るようだ。
白虎は十七日間で七万人の人を呼んだ。やはり実物の威力はたいしたものだ。現地保存にはそれなりに意味があるのだろうが、人目に触れず、精一杯保存の努力を重ねても次第に劣化していくのを防ぎようもないとすれば、やはり設備の整ったところで補修して、時には一般の人々目に供すべきであると思う。今回の公開の成功がそれを示唆していると思う。それにしても千三百年の間、風雪に耐え、今日その姿を残しているというのは、先人の知恵が、技術がいかに素晴らしかったかということを物語っている。
( 2006・07 ) |