閑中忙あり [観たり・読んだり・歩いたり] | 目次 |
「格差はどこの社会にもあり、格差があることは悪いことではない」。小泉前首相は国会でこう述べた。どこの国の政府でも、不平等社会だといわれるのが不本意であるのに、この発言は珍しい。以前OECDのある調査で、フランスが最も不平等な国であるという結果が出たのに対し、ディスカール ・デスタンが直接抗議したという話がある。 京大教授橘木俊詔が少し前に「日本の経済格差」という本を出して話題を呼んだ。マルクスもびっくりの平等社会、日本は先進資本主義国の中では群を抜いて平等な社会であった。それが高度成長期も終わり、バブル経済期に入り、やがてそれが崩壊した頃より、どうも日本は格差社会ではないかという声が出始めた。 教授は再び筆をとり「格差社会」という本を上梓し、今日の日本の格差問題を取り上げ警鐘を発している。 教授はまず世界各国の格差度をとり上げ比較している。国によりデータが異なるので厳密な比較は難しいが、一応の傾向は?める。教授はイタリアの統計学者が考えた格差を計測するジニ係数というものを用いている。OECDの一九九0年の調査によると、日本は先進国中ポルトガル・イタリア・アメリカ・ニュージランド・イギリスについで不平等の高い国にランクされている。そしてその日本の中を見ると、八十一年の頃よりジニ係数はかなりのスピードで上昇を続けている。 このように日本は格差の大きい国であり、最近格差が拡大しているということをまず認識しなければならない。と同時に格差社会を容認するのかどうかという事が日本にとってもっと大切なことではないのか。 わが国は戦後五つの大改革があった。財閥解体、農地改革、労働の民主化、税制改革、教育の機会均等。これ等の改革が日本に平等社会を齎した。その上に日本人の勤勉さに朝鮮特需が加わって、世界でまれに見る高度成長期に入った。平等の中の高度成長、これぞ世界中の人が求める理想の社会であった。 しかしいいことは続かない。やがてドル ・ショックに石油ショック、日本経済の成長も鈍化してきた。そしてバブルが起こり、あたかも景気が回復したかの錯覚を起こしたが、やがてバブルは崩壊、不毛の十年間がやってきた。平等で成長という神話はもろくも消え去ってしまった。 サッチャーが退いたとき、「サッチヤー回顧録」上、下二巻の大部の書を出した。鉄の女サッチヤーは平等と敢然と戦った。産業革命で成功したイギリスは七つの海を支配し、世界一の金持ちとなった。その過程で金持ち階級が生まれ、貧乏人の生活は惨めなものとなった。その故かイギリスでは社会主義的な考えが強く、労働組合は次第に力を持ってきた。そして国家的規模で絶えずストが行われ生産性は低かった。 サッチヤーは断固これに挑戦した。鉄鋼ストにしても、炭鉱ストにしても、どんなに長期化しても一歩も譲らなかった。サッチヤーはこの労働組合との紛争に勝利するや、自由主義、市場主義的思想を大胆に持ち込んだ。イギリス経済は不死鳥のごとく生き返った。やがてアメリカではレーガンが大統領となった。サッチャーは大統領と親交を結び、所謂レーガノミックスといわれるものに多大の影響を与えた。 アメリカは機会の平等ということにはうるさい。結果において成功するものを妬まないところがある。レーガンはフリードマンやハイエクの主張する自由主義 ・市場主義を推し進めて成長を勝ち取った。 わが国でも小泉内閣のとき、長期の不況を脱却すべく、小泉首相は竹中参謀を使い市場主義経済を推し進めてきた。そして長期の不況を脱し景気もようやく回復を見せ始めた。しかしその政権末期には格差是正の大合唱となり、神武景気を上回る好景気といわれても国民はピンと来ず、貧困層の増大ばかりが目立った。 この景気回復の裏には猛烈なリストラがあった。そして契約社員・派遣社員 ・アルバイトといった非正規労働者が増加した。最近正規社員の採用も復活しているが、雇用の柔軟性、コストを考えると、非正規労働者の雇用も手放せなくなってきている。 かくして日本の貧困率(中位所得の五十%以下の人の比率)は先進国では五番目に高くなってしまった。生活保護世帯は百万件にのぼり、貯蓄ゼロ世帯は二十%を超えている。そして国民保険の滞納は十八%、国民年金の未納は四十%という状況である。対GDPの教育費は先進国中で最低、雇用関連費用も最低に近い。その上最低賃金も先進国の半分ぐらいに過ぎない。 民主党が声高に格差是正を叫ぶのも無理もない。日本が平等な国と思うのは錯覚に過ぎず、諸外国と比較しても格差は大きく、貧困層が広がりつつある。 更に教授の心配しているのは、日本では機会平等でなくなっている事である。つまり良い仕事に就こうとすれば一流大学を卒業しなくてはならない。その為には有名私立校に学ばねばならない。その為には有名塾に通わねばならない。小学校の頃から莫大な教育費がかかる。近頃政治家や医者を見ると世襲が起こっているのも気にかかる。 機会が平等なら、結果は本人の努力次第であるといっていたアメリカも、さすが最近の経営者の高額所得には問題になっているようだ。先日新聞を見ていたら、こんな記事が載っていた。アメリカのCEOは六十五年には労働者の二十四倍の収入を得ていた。それでは二六二倍に増えている。小売大手のホーム ・デポのCEOは二億一千万ドルの退職金を受け、ファイザーのCEOは二億ドルを得た。ともに就任前の株価が大幅に下落しているのに。さすがのアメリカでも、最近の経営者の高額所得は問題になってきているようだ。 サッチャーが退いてイギリスでは労働党の天下に戻った。アメリカはこのところ共和党が押さえてきたが、遂に両院ともに民主党の支配するところとなった。日本は一時期混乱があったが、大体自民党の天下が続いている。 高度成長時代、世の中の矛盾は隠されてしまうが、低成長時代にはいると、いろいろな問題が露呈してくる。自由と平等、効率と公平はトレードオフの関係にあるといわれている。教授はこれを両立できるといっているが、現実には大変むつかしい事である。フランスでは国旗にトリコロールを掲げ、「自由 ・平等 ・博愛」という人類の理想を追求しているが実現には程遠い。自由と平等をトレードオフの関係だと見ずに、両者のバランスを取って発展させていくのが政治ではないのか。 ( 2007.04 )
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