閑中忙あり   [観たり・読んだり・歩いたり] 目次
異形の将軍
     田中角栄の生涯
                 ――― 津本 陽

   
  
  もうかれこれ30年ほど前になるか、政治記者戸川猪佐武が「小説吉田学校」と言う大部な本を著わした。その初めの方に次のようなことが書かれていたのが印象的であった。
  芦田内閣崩壊後、当時リベラルであったGHQは、ウルトラ・コンサバティブの吉田茂の首相就任を忌避していた。自民党もGHQの意向には逆らえず、大勢止む無しになっていた。そのとき総務会の末席を汚していた若干20歳代の田中角栄が、真っ赤な顔をして、それでは日本はアメリカの属国になってしまうではないですかと大声をあげて反対した。吉田茂もその声に励まされ、総裁に留任、首相になった。ここに五五年体制が確立し、以降長期にわたって自民党が政権を握る事となった。
  田中角栄は金権政治の行き着く果て、自ら身を滅ぼしてしまったが、その後の首相は何れも短命であり、リーダーシップ弱く自ら独自の政策を打ち出さずに次々と交代して行った。サミットでは毎回初めましてと言う事になり、世界中で奇異の目で見られた。
  そんな中、角栄に関する研究書、伝記が数多く出されるようになった。又日本の理想の指導者を問うアンケートでは角栄は常に上位に顔を出した。そしてごく最近歴史小説家津本陽が「異形の将軍 田中角栄の生涯」と言う本を著わした。面白そうだったので早速読んでみた。

  田中角栄は新潟の片田舎で生まれた。祖父は宮大工で働き者であったが、父は牛馬商を営み大変山っ気の多い人で、次第に競馬にのめりこんでいった。そのため家は大変貧乏で、母親は子育てにとても苦労した。角栄は幼い頃からお金の大切さ、お金の力を身にしみて感じていた。金が全てだ、金は力だ、金は人の心も買える。角栄の哲学は作られていった。
  角栄は高等小学校を出ると、暫く地元で働いていたが、やがて単身上京した。建築関係の資格をとるために夜学に通いながら働いた。才覚があり骨身を惜しまないので何処でも可愛がられた。
  やがて応召、北満の地に赴くが、結核を患い除隊となった。角栄は田中土木を起こし、折からの軍需景気に乗って事業を拡大していった。角栄は学校を出ていない悲しさ、学友がいない。そこで積極的に人脈づくりに精を出した。そんななか小佐野と知り合った。利権と金でがっちり結ばれたこのタッグは、角栄の活動に重要な役割を果たすことになる。

  角栄は頭が切れ努力家で行動派であった。その上親分肌で人情家であった。集めた金は惜しみなく人に与えた。28歳で新潟三区より初当選を果たし、翌年早くも法務政務次官になった。自民党内で忽ち頭角を現し、39歳の時史上最年少で郵政大臣に就任した。その後大蔵大臣、通産大臣を歴任した。郵政大臣の時、テレビ放送が始まりその利権に多くの人が群がったが、これを大胆に裁いた。大蔵大臣のときには山一危機が発生し、日銀特融という荒技でこれを切り抜けた。通産大臣の時には日米繊維交渉があり、利害が反する難問を無事切り抜けた。所管ではなかったが、学園紛争激化の中、大学運営臨時措置法を周囲の反対を押し切り強行採決に持っていき、学園紛争にピリオドを打った。
  そして再度にわたる幹事長。自民党の金庫番として長期に及ぶ一党支配に大きく貢献した。角栄は地元では越後交通会長、小佐野の関連では日本電建社長を務め、金脈のルートとして活用した。目白詣でという言葉があるが、利権を求めて人々は集まった。角栄は即断即決依頼者の信頼は厚かった。角栄はまた役所にも目配りを怠らず、その影響力は大きかった。
  やがて決戦の時がきた。角福戦争の火ぶたが切って落とされた。戸川猪佐武の小説吉田学校にも一巻が割かれている。政治の裏は真にすざましい。金が全てだ。金は人の心も買える。角栄は惜しげもなく金をばら撒いた。角栄は遂に栄光を手にした。人々は角栄を「今太閤」と讃えた。
  
  これより先、角栄は「日本列島改造論」を発表した。農村を都市化しようというものである。新潟の片田舎の貧しい村の生活体験から来ているのだろう。これが火付け役になってとんでもない土地ブームが起こった。不動産の売買を巡り政治がらみのキナ臭い事件があちこちで発生し、巨万の富をうる者が出てきた。その一部が政治に還流した事は言うまでもない。
  人々は次第に角栄の金脈に胡散臭いものを感じ始めた。マスコミも黙っていない。自民党内にも反対派はいる。最後には文春に載った立花隆の「田中角栄研究・その金脈と人脈」と児玉隆也の「淋しき越山会の女王」の二篇が引き金になり、退陣に追い込まれてしまった。
  田中角栄の在任期間は二年と三ヶ月、その上りつめて行く道程に比べるとあっけなかった。角栄の偉業は何と言っても日中国交回復であろう。そのざっくばらんな性格が周恩来の心を捉えた。そして在任中に起こった石油ショックでは、何とかエネルギーの自由戦略をとろうと関係各国に働きかけた。これがアメリカ・石油メジャーの怒りに触れ、かのロッキード事件に連なったと言う説がある。
  
  この本の下巻の帯にこんなことが書かれている。そしてカリスマの「遺伝子」だけが残った。角栄の地元利益誘導は有名である。トンネルが掘られる。道路が敷かれる。新幹線がやってくる。河川敷が農地になる。地元は大喜び。金と票と利権、選挙民と代議士はがっちり結ばれる。地元だけではない。全国に様々な利益者集団がある。これがやはり金と票と利権で族議員とがっちりと結ばれている。この構造を作り上げるのに角栄は大いに貢献してきた。最近高速道路民営化推進委員会が族議員の抵抗にあってもめた。元はと言えば道路三法は角栄の議員立法になる。巨大な赤字で行き詰まっている住宅金融公庫も角栄の発案である。
  小泉首相がよく敵は内にありと言う。抵抗勢力,族議員は角栄のDNAをがっちり受け継いで揺るぎがない。郵政族・道路族・建設族・・・を打ち破るのは至難の技だ。石原ジュニァーも大変だ。公団に天下る高級官僚も族議員とがっちり手を組んでいる。野党の攻勢をかわすほうがよっぽど楽のようだ。
   最近元建設大臣中村喜四郎がゼネコン汚職で斡旋収賄罪に問われ、議員辞職に追い込まれた。野党は早速公共工事を受注した会社の政治献金を禁じる法案を提出しようとしている。色々な汚職が起きると取り締まる法律が生まれる。するとすぐさまそれを潜り抜ける方策が開発される。角栄は司法に詳しく、自分は絶対に捕まらないと信じていた。然しロッキードでは敗れてしまった。アメリカ石油メジャーの陰謀とすれば、そこまでは読めなかったであろう。

  田中角栄が首相の座を降りてからも倫理の問題はやかましかった。あまり煩いので中曽根首相はりんりん、りんりん虫が鳴いていると揶揄したものだ。清く、正しく、美しくは首相の必須条件であるが、リーダーシップもポリシーもない首相が次々と盥回しのように生まれるのは如何なものか。さりとて角栄のように清濁併せ呑むと言うタイプは今時流行らない。
  そこで我々は小泉首相に大いなる期待を持った。その支持率も当初非常に高かった。然し角栄のDNAは残っていた。抵抗勢力のパワーは衰えていない。どういうものか世間もマスコミも抵抗勢力をあまり叩くようには見えない。そればかりか構造改革そのものを批判する声が高くなってきている。
  田中角栄がわが国の政治に及ぼした影響は計り知れない。それは日本の政治の構造を作ってきたからである。いつまでもそのDNAは消えないのであろうか。

                       ( 2003. 01 )