閑中忙あり [観たり・読んだり・歩いたり] | 目次 |
別れの宝塚、襲名の歌舞伎とよく言われるが、最近襲名披露がよく行われるような気がする。襲名は人を呼べる。それだけではない。襲名すると不思議に貫禄がついてきて、芸に磨きがかかってくる。 今回は辰之助の松緑の襲名披露。団十郎・鴈次郎・菊五郎、そして雀右衛門までも顔を見せるという。平日だったが満員の盛況であった。 松緑というとどうしても二代目をイメージしてしまう。三代目は早世してしまったので印象に薄い。並み居る面々の口上でも、二代目松緑の思い出話がメインであった。二代目は芸達者であるばかりでなく、大変面倒見のよい人であったようで、口上の端々にその話が出ていた。 辰之助は新之助・菊之助と共に若手三之助と呼ばれ、将来の歌舞伎を担う者として夙に嘱目されて来た。是非松緑の名に恥じないように頑張って欲しいものだ。 さて当夜の出し物に堀川波の鼓があった。近松門左衛門の三大姦通物の一つに数えられている。今回は団十郎と鴈次郎の顔合わせで、それぞれに好演であった。 今から300年程前、近松が実際にあった事件を素材に三段の浄瑠璃を書いたのが始まり。明治35年に新派で、大正3年に歌舞伎で上演された。それから今日まで歌舞伎に於いていく度か上演されてきたが、それぞれの時代的背景の違いによって脚本が違っているようだ。昔は姦通物の描写は厳しい制限を受けた。戦後は逆に好色的,扇情的になった。今回のものはヒロインの酒癖を表に出している。 「亭主丈夫で留守がいい」今日サラリーマンの単身赴任は多いが、結構奥様には歓迎されているようだ。この劇のヒロインお種の主人彦九郎は江戸詰め、お種は実家に帰っている。妹お藤を相手に盛んに夫恋しさ、弧閨の辛さを訴える。 養子の文六は京都から泊りがけで来ている鼓の師匠に稽古をつけてもらっている。やがて稽古が終わり、実家の父の帰りが遅くなっているので、お種が変わって師匠に酒をもてなす。ところがお種はアル中気味。差しつ差されている内にピッチが上がる。妹と養子はそれぞれ家に帰ってしまう。師匠は他人の奥さんと二人で飲んでいるのに気が差し、奥の間に引っ込む。 そこへ予てよりお種に気がある夫の同僚磯吉が忍んできてお種を口説く。あまりうるさいのでお種は心にもない逢引の約束をする。その時奥から謡の声。磯吉は慌てて逃げる。お種は師匠にこのことが聞かれたのではないかと酒を勧めながら口止めをする。師匠は他人の口に戸が立たないとお種をからかう。酒の酔いも手伝ってお種は思わず師匠と過ちを犯してしまう。これを陰から伺う磯吉、飛び込んできて二人の袖を証拠の品と引きちぎる。 やがて主人彦九郎が国許に帰る事になった。磯吉によって姦通は既に知れ渡っている。お藤や文七達は解決策を見出せない侭おろおろするばかり。彦九郎は実の妹おゆらから例の二つの袖を見せられて、初めてお種を疑う。この辺りのそれぞれの人の遣り取り、苦悩の様はこの演目の見所である。 やがて彦九郎は妻を仏間に呼ぶ。お種は自らの小刀を胸に刺して言う。「わが夫様を袖にしての不義ではない。・・・」彦九郎は小刀を抜きとどめを刺し、女敵を打つと宣言。同行を願う文六・お藤・おゆらに彦九郎は何故尼にしても命乞いをしてくれなかったのかと訴え、いとしい妻に羽織を着せ掛け忍び泣いた。 この出し物を見ると、やはりお種の酒癖に起因していると思わざるを得ない。人一倍夫を愛している妻としては大分脇が甘い。男を避ける方法は幾らでもあった筈だ。この後の演目で、落語で有名な「らくだ」があった。これも酒癖が悪く、飲むほどに人が変わっていく様を面白く描いている。げにアルコールの害は恐ろしい。 歌舞伎では心中物は多いが姦通物は処理が難しく比較的少ないようだ。心中は許されぬ相手と結ばれるが、結末は死であり同情を呼び美化される。姦通は江戸時代の倫理からすればご法度、同情する人もいるかもしれないが、少なくとも表面的には非難される。 姦通した女は夫に処刑される。イスラム社会では今でも同じ。だが、姦通した女には必ず男がいる。その男はどうなるのだろう。あまりにも一方的ではないか。然しこの芝居のように、夫が女敵を打つ事になる。打たなければその夫に卑怯者の烙印が押される。そして仇討ちは仇討ちを呼び連鎖する。 今の世の中、心中も姦通も無くなってしまった。親や周囲が許さなくたって、子供は勝手に相手を選び結ばれていく。姦通は浮気、そして不倫と名を替えまかり通っている。有名人の不倫は絶好の話題となり、週刊誌やワイドショーを賑す。彼らにとって勲章でもある。それを又喜んで見たり読んだりしている人が多いのはいかがなものか。 先日国会の雀のあいだで鴈次郎の浮気が話題になった。一国の大臣の夫が浮気をするなんて如何なものであろうかと。扇千景はあれは夫の事と我関せず、鴈次郎は浮気は芸の肥やしと嘯いている。確かに芸の肥やしになっているかも知れない。然し鴈次郎はその当たり役のお種を一体どんな気持ちで演じているのだろうか。 ( 2002・07 ) |