閑中忙あり   [観たり・読んだり・歩いたり] 目次
      母べえ                  

  母べえ、かあべえと呼ぶ。私が子供の頃、三人兄弟だったが、お互いに「べえ」とか「ぺえ」をつけて呼び合っていた。この映画、親子共に「べえ」を付けて呼んでいる。何となく懐かしく親近感を覚える。

  この物語は今から七十年近く前の太平洋戦争が始まる頃の話である。当時私はまだ小学生で、記憶も定かでないことも多いが、映画はその時代の雰囲気を良く伝えており、改めて当時の回想にふけったものだ。

  その頃は軍国少年の時代、大本営発表に心躍らせたり、軍人さんを見るとあこがれを抱いたものだった。当時小学校は国民学校と改称され、私はその団長に任ぜられた。鼓笛隊の先頭に立ち、指揮棒を振り振り、駅まで出征兵士を見送りに行ったものだ。なんとも晴れがましい気がした。

  しかし良くは分からなかったが、暗い話も時折耳にした。それは特高と言う怖いおじさんがいて、戦争に反対すると捕らえられてしまうということだ。当時反戦分子はアカと呼ばれ、子供心にもアカは恐ろしいものと植え付けられていた。

  シナ事変が拡大し、太平洋戦争が勃発する前夜、夫婦と娘二人、今日も家族揃って楽しい夕食を囲んでいた。これが最後の晩餐になるとは露知らず。・・・・

  翌日かの怖ろしい特高がやってきて、治安維持法違反で父は検挙された。父はドイツ文学者であったが、政府批判になる反戦を唱えたと言う罪である。「べえ」と呼び合っていた仲良し家族に、この日から困難な生活が待っていた。

  そこへ父の教え子がやってきて、父の居ないこの家を何かと援助してくれ、父と面会可能な手続きを調べてくれた。母は幾度か検事局や警察に出向き、漸く面会が許されたが、夫のやつれた姿を見て愕然とした。

  夫は改心したという転向上申書を書いたが、内容がなっていないと検事に厳しく非難され、釈放などとんでもないことになってしまった。母は小学校の代用教員として勤め始めた。母の父親は警察署長、娘婿が思想犯で逮捕されたとあって止む無く職を辞し、娘に離縁を迫った。娘が応じようとしないので勘当してしまった。

  やがて太平洋戦争が始まり、世は戦時色一色に染まつた。母は娘達に父への手紙を読んでやる。それは夫への愛、家族の愛に満ちたものであった。

  そして年が明け、戦況が激しくなる頃、この家に一通の電報が届いた。それは父の死亡を知らせるものであった。

  この映画のテーマは家族である。父親がいなくなった家を母親がしっかりと守っている。母親は単に経済的な面だけでなく、精神的な面でも父がいなくなったあとの家庭をしっかりと支えている。母親は娘のことを深く考え、やさしく接しているが、決してべたべたした関係ではない。娘達も次第に自立心が強くなり、母親を援けていく。

  家族の関係だけではない。親戚、知人との関係も素晴らしい。教え子は家族の一員のように振る舞い心の支えになってくれている。遠方から見舞いに来てくれた父の妹は娘達に姉のように慕われる。変わり者の小父さんは自由人、婦人会の小母さん達と悶着を起こすが、この家に明るい空気を持ち込んでくれる。そう言えばこの当時婦人会は贅沢は止めましょうという運動を起こし、当時何かとうるさい存在であった。

  この家族、及び関係する人々、母親を中心として心温まるグループをつくっている。その求心力は人情である。

  TVを見ていたら、幼い子供の虐待が報ぜられていた。もう珍しくも無く見る気もしない。そう言えば昔アメリカでそんな話しがあると聞いたが、とんでもないことを真似するものだ。そればかりではない、親が子を、子が親を殺し、夫が妻を、妻が夫を殺す事件も最近では珍しくなくなってきた。世界に誇るべき日本の家族は一体どうなってしまったのだろうか。

  携帯の時代である。同じ部屋で親子が携帯で会話しているCMがある。これは極端な話であるが、同じ家の中ならありうる話である。対面で会話ができない家族、下宿屋のようだと言われるが、確かに家族でないのかもしれない。

  あるバラェティ番組を見ていたら、司会者が二、三十人の若い女性の聴衆に向って、この中で「母べえ」を観た人と言ったら、挙手する人は一人もなかった。若い人に是非観てもらいたいと思っていたが、残念であった。

  吉永小百合はこの映画に出演を依頼されたとき、戸惑ったそうである。なにしろ子供が十歳の役であり、還暦を越えた吉永小百合にしてみれば、母親と言うより祖母の年に当たる。しかし名優吉永小百合、母親役を立派にこなしていた。情愛を秘めた優しさの中に、きりっとした厳しさを備えて。

  吉永小百合は既に百十二本の映画に出演、名実共にわが国を代表する名優、今後の更なる活躍を期待したい。さゆりすとも高齢化してきたけれど。

 

                    ( 2008.03 )