閑中忙あり [観たり・読んだり・歩いたり] | 目次 |
この映画には徹底して実名が出てくる。アメリカは訴訟社会、実名は敬遠されると思ったらさにあらず。勿論訴訟対策は十分打ちながらではあるようだが。 日本では訴訟は余程の事がなければ起こらないが、逆に実名は極力避けたがる。そして最後に、この物語はフィクションであり、特定な個人や団体を表わすものではありませんという字幕が流れる。 CBSに60ミニッツと言う人気のニュース番組がある。田原聡一朗みたいに、遠慮会釈なく質問を浴びせる名物ニュースキャスターがいる。そしてその番組を制作・演出するプロデューサーやディレクター連中は命を張って仕事に取り組んでいる。 この映画は、大手タバコ会社が、ニコチンの害を隠しているのを暴こうとするジャーナリストとその証人とタバコ会社との闘いを描いたものである。 CBSの60ミニッツのプロデューサーの所に一通の匿名の書類が届いた。それはタバコ・メーカーの極秘のファイルであった。プロデューサーはこの書類の意味する所(ニコチンのある種の人体に対する害)を知っている人を突き止めた。それは全米第三位のタバコ・メーカーの元研究担当の副社長であった。彼は会社の方針に合わないので最近会社を辞めている。しかし彼には重い病気の娘がいて、その治療手当てを貰う為、会社との終身守秘義務契約に同意していた。プロデューサーの熱心な説得が始まる。TVとの接触を知ったタバコ会社は、様々な嫌がらせを仕掛けてくる。元副社長は意を決し、逆にインタビューに応じ裁判の証人にも立つ事になった。 タバコ会社はCBSの上層部に圧力を欠け、CBSも遂にインタビューの一部をカットする事になった。その上タバコ会社は元副社長の過去を徹底して洗い、人格破綻者で証言は信用できないとアンチ・キャンペーンを張った。妻は離婚を申し立て、娘を連れて去っていった。 プロデューサーは60ミニッツを降板させられる。怒ったプロデューサーは、ジャーナリストの生命を賭け、CBSの番組もみ消し事件を内部告発しマスコミに流す。ついにこの番組は放送されることになり、裁判も会社側の敗訴となった。然しこのプロデューサーはCBSを去っていった。 この話は実際にあった事件で、タバコ会社は天文学的数字で和解している。登場人物も実在しており、タバコ会社の役員も全て実名で出てくる。アメリカのジャーナリストはアメリカの民主主義を守ってきたという自負がある。ジャーナリスト魂は健在である。往年の名画「市民ケーン」や「紳士協定」をはじめとしてジャーナリストを扱った映画は多く、アメリカ人には人気がある。 「アメリカ・ジャーナリズム」という本を読んでみた。著者は下山進という文芸春秋の編集部の人で、アメリカのジャーナリスト育成の為の学校コロンビア・ジャーナリズム・スクールに一年間留学した。そのときの体験やアメリカ・ジャーナリズムの問題点として感じた事を著わしている。大変面白く、アメリカの事情が良く分かったし、日本との相違も理解できた。 アメリカには調査報道というものがあり、アメリカのジャーナリズムの特色を成している。それは政府や官庁の発表に依らないで、自らが調べ、自らの責任で報道するというものである。時には数年がかりの調査になる。そして優れた報道にはピリッツァー賞の栄誉が与えられる。ニクソンを退陣に追い込んだウォーターゲート事件が有名である。 わが国にも同様の企画がない訳ではなく、文芸春秋に立花隆がロッキード事件をレポートして、田中角栄退陣のきっかけを作っている。然し大部分は記者クラブがあり、政治家や官僚から情報を得て管理され、顔のないただの画一的報道を流しているに過ぎない。ジャーナリストの生き甲斐は、他社を出し抜いて、一分一秒でも早くニュースを流すことに集中されている。 下山進氏が帰国に際し、かの有名なハルバルスタムにインタービューし、日米ジャーナリストの違いに就いて問うた。彼はこう答えた。「アメリカではジャーナリズムといえば、権威に挑戦し、疑問を投げかけ、物事の意味を捉えると言う事です。日本のジャーナリズムは広報された事をそのまま伝える側面が強いという気がしました」。 日本では何かというと、報道の自由、ニュースソースの秘匿と言い、ジャーナリストは治外法権にいるように振舞う。アメリカでは自らが調べ、自らの責任で報道する。場合によってはニュース・ソースも秘匿しない。したがって訴訟事件は頻発する。マフィアに殺される人もいる。新聞社はその対策を講じているが完全でない。裁判に負ければ暗い所に入ればいいのだと胸を張っているジャーナリストもいる。 然し、このような伝統あるアメリカの調査報道もかげりが出てきた。調査報道で名をはせてきた地方の有力紙が、次第に大資本の系列に入るようになった。新聞は各種メディアの一つにしか過ぎず、利益至上主義の経営に変わっていった。又アメリカでは活字離れが進んできて、35歳以下の75%は新聞を読まなくなってしまった。 今日アメリカの新聞の中で、辛うじてクオリティを維持しているのは、ニューヨーク・タイムス、ワシントン・ポスト、ウォール・ストリート・ジャーナルの三紙ぐらいであろうと言われている。 最近ロバート・キャパ賞展を観に行った。キャパは55年にインドシナで死んだ。彼の功績をたたえ、キャパ賞が設けられた。その受賞者34名、200点の作品が出展されていた。日本人は澤田さん一人であった。べトナムから始まって、世界の隅々までの紛争や貧困が激写されている。百聞は一見に如かず、写真は迫力がある。其処に書いてあった。この間300名のジャーナリストの命が奪われた。その中カメラマンは135名に及ぶと。 わが国の識者はたいていマスコミに不満を持っている。アメリカのような調査報道は極めて稀である。その代わり大本営発表があると一斉に同じ記事が出る。そして他社に抜かれまいと、その周辺のつまらない記事をしつっこく探る。どの新聞を見ても大同小異である。 命を張って世の中の大事件を明るみにだし、世界の世論に訴えようと言う人は少ない。タレントやスポーツマンを地の果てまで追いかけ回すマスコミの姿を見ると、なんだか情けなくなってしまう。 ジャーナリズムは社会の木鐸と言われている。わが国の現況をみていると、衆愚政治の扇動家ではないかと思われる。然しニーズのない所にサプライはない。やはり新聞を読んだり、テレビを見ている我々が悪いのではなかろうか。 ( 2000.09 ) |