閑中忙あり [観たり・読んだり・歩いたり] | 目次 |
お正月と言うと、善男善女が初詣に出かける。昨年の元旦少し歩こうかと、近くの押熊神社に出かけた。この辺り古い村落があるところで、さぞ氏子が沢山お参りにきているだろうと行って見て驚いた。参詣人は殆ど見当たらず、近所の古老がお神酒を前に手持ち無沙汰の様子。拍子抜けして近くの八幡様に梯子したが同様であった。 テレビを見ていると、有名ブランドはものすごい人出である。百万人を超すところもあるようだ。まあ初詣と言う国民的行事も観光化して、人が行くので我もいかんとすっかり観光化してしまっている。 そんなこと言っても、私も毎年あちこちに初詣に出かける。冬は花が無い。そして寒い。どうしても家に閉じこもりがちになる。初詣に出かければ少しは運動になるし、多少のご利益も期待できるのではなかろうか。 (一月二日) 昼過ぎに一人で春日神社に行く。私は東京で生まれたが、すぐ横に春日神社があった。そのお祭りは本当に楽しかった。お小遣いを握り締め、いそいそと出かけた。買い食いやガラクタのおもちゃを買うのが、半分大人になったような気がした。 奈良に住むようになって、近くに本家本物の春日神社があり、何か氏子になったような気がして、時々お参りに出かけている。 興福寺を横切り、杉木立の長い参道を進む。屋台が出ていないのがなんともすがすがしい。晴れ着姿に殆ど会えないのが残念。以前は多くの人が破魔矢を買っていたが、近頃とんと少なくなってきた。代わっておみくじが大繁盛、若い娘が大吉をひいてはしゃいでいる。 さすが藤原氏代々のゆかりの社、杉の大木に囲まれた朱塗りの社殿は、美しく厳かなたたずまいを見せている。笛と太鼓の音が響く。往復三キロの道のり、いい運動になった。 (一月三日) 恒例の京都。スケジュールの都合で清水寺はパス。四条河原町は人人人。混雑を避け祇園を抜ける。残念ながら舞妓さんには出会わなかったが、お正月の祇園は一入風情があつた。 八坂さんは狭い境内に人で埋まっている。賽銭も遠投せざるを得ない有様。まだ若い頃、子供を連れて真夜中に八坂に参り、火縄を回しながら家に帰ったことを懐かしく思い出した。 円山公園を抜け、知恩院の門前に立つ。いつ見ても此処の山門は立派だ。又石段が堂堂としている。昔ここでCM をとるのに立ち会ったことがある。坊さんと芸者がこの石段ですれ違う。坊さんがよろめく。“喝” 石段を避けてわき道を上がる。今回初めて庭園に入ってみる。大きな書院の前に池があり、裏山の緑を写して見事であった。 (一月五日) 例年通り橿原原神宮に向う。戦中派は橿原神宮と言うと何となく身が引き締まる思いがする。どうも参道の屋台がいただけない。行列ができているので何かと覗くと、たこ焼き屋であった。 巨大な絵馬の前で、お父さんは子供の記念撮影に余念が無い。拝殿では拍手の音が響きわたっている。背後に畝傍山が横たわる。この山には二回登ったことがある。まだ自然林が残っているので、低山ながら深山幽谷の趣がある。境内には大きな池があり、鴨が群れを成して参詣人の撒く餌を奪い合っている。 大和の三社参りと言えば三輪神社が残っている。帰路に当たるので寄ることにしていたが、遠方から大渋滞。少しも動かない。さればと言って石上神宮に参ることにした。ここは神宮である。規模は小さいが格は上である。参道は杉木立に囲まれ荘厳な雰囲気がある。木々の間に鶏が見え隠れするのも伊勢神宮を思わせる。飛鳥時代には武器庫があったところで由緒が深い。 (一月八日) 人ごみを避け浄瑠璃寺に参る。冬の浄瑠璃寺は静寂そのもの。例年なら池に氷が張っているのだが、今年はまだ無い。三重塔が特別開扉され、薬師様を拝むことができた。 少し歩こうと、人気の無い当尾の里を巡る。すっかり葉を落とした木立が冬の日に照らされ、春や秋とは違った趣があった。 (一月十日) テレビを見ていたら、石光寺の寒牡丹が見ごろといっていた。もう遅いと思ったが出かけてみた。残念ながら菰をかぶった牡丹は殆ど花びらを落としていた。それでも僅かな花にカメラマンが寄り集まっている 仕方なく寒空の中、当麻寺に向う。此処の牡丹は見事に花を咲かせている。但し冬牡丹と言って、温室で咲かせたのを持ってきているので、何となく風情に欠ける。 (一月十四日) 三輪神社に再度挑戦する。今日は振り替え休日、混むかもしれない。やはり大渋滞。辛抱強く待っていると何とか駐車場に滑り込めた。 三輪神社は信者が多いので何となく雰囲気が違う。破魔矢を買っている人も多い。この社のご神体は三輪山。美しい山容から万葉集にも詠まれている。一度登ったことがあるが、台風の後だったので、山が荒れていて雰囲気が損なわれていた。末社を三箇所めぐり帰路に着いた。 (一月十五日) 生駒聖天に詣でる。いつも車で上るが、久し振りにケーブルで行こうということになった。ケーブルには他の客四、五名、至って寂しい。五分で聖天に着く。驚いた。いきなり急坂と石段、あえぎあえぎ登る。此処の門前市は昔栄えたところだが、今はその面影も無い。参詣人も車で来て、さっさと帰ってしまう。 聖天さんは商売の神様。熱心な信者が線香のもうもうたる煙の中、熱心に拝んでいる。不況脱却、願いは通じるのか。奥の院の道は猶厳しい。今日は入り口で失礼させてもらうことにした。 (一月十六日) いよいよ残るは石清水、あの長い坂道が目に浮ぶ。今年からケーブルにしよう。僅か三分で山上に着いた。 さすが石清水全国の八幡様の総元締め、平日であってもかなり混んでいる。参詣人の多くの人がお祓いをうけている。巫女が信者の前で舞い,お祓いをして破魔矢を授ける。 帰路は旧道を下り、松花堂の庵の跡を横目で見て往時を偲び帰路に着いた。 いったい初詣のご利益はあるのだろうか。冬の最中、運動になったことだけは確かだ。 ( 2008.01 ) |