閑中忙あり   [観たり・読んだり・歩いたり] 目次
 初詣

  お正月になると日本人は初詣に出かける。何故かお寺より神社が多い。年末から溜まったアルコールを抜くためか、新しい年に向かって新しい誓いをたてるためか、いやそれより良いおみくじを引いて今年の運勢に期待するためか。・・・人それぞれの思いを抱いて出かけていく。
  我が家も例外ではない。毎年奈良や京都のメイン・ストリートは巡っている。昔は真夜中に京都まで出かけたり、近くのゴルフ場で日の出を拝んだりしたものだが、近頃トンとそんな元気はない。

  元日は昼過ぎに近所の神社にお参りする。おんたけさんはなかなか賑わう。広い拝殿の中で太鼓が打ち鳴らされ、熱心に祈祷している人がいる。もうすぐ春、境内は一面桜で埋まることだろう。
  八幡さんは二つあるが訪れる人は至ってまばら。神主と近所の有志が所在なさそうに焚き火で暖をとっている。神酒も振舞われるが飲む人もいない。

  大和の三社詣でと言うと春日大社、大神神社(おおみわじんじゃ),橿原神宮を言う。私の生まれたのは東京の大森という所だが、すぐ近くに春日神社があった。いわば私は今も昔も春日神社の氏子である。そう言えば家内の生まれたのも大森で、近くにおんたけさんがある。これも奇しき因縁か。
  春日大社の参道は長い。以前はこの参道に人が埋マリ、神殿に到着するまで一時間近くかかった。今はそれ程でもない。この参道の両側に灯篭が並び、節分とお盆に灯がともる。その夜の春日の森はひときわ荘厳に見える。拝殿に近づくと杉木立の間から雅楽が流れてくる。このあたり春になると山藤が一面木々を彩りそれは美しい。

  大神神社のご神体は背後にそびえる三輪山である。そのためここには神殿はない。三輪山は万葉集にも詠まれている大和を代表する山である。いつぞやの正月に思い切って登ってみた。残念ながら前年の台風でやられ、山は至るところ倒木で荒れていた。三輪山はささゆりの原生でも有名である。
  大神神社は商売人の信仰が厚く、月参りしている人も多い。屋台も出て初詣はなかなかの賑わい。ここから天理の石上神宮までが山の辺の道の銀座通りで、シーズンはハイカーの列ができる。

  三輪山から畝傍山が遠望される。その麓に橿原神宮の神苑が広がる。鬱蒼とした森林、天をつく大鳥居、清らかに敷き詰められた玉砂利、さすが日本三神宮の名に恥じないたたずまいである。ただなんとなく玉砂利を踏んで歩く軍人の姿が目に浮かんでくるのは戦中派の所為であろうか。
  ここの拝殿には巨大な干支の絵馬がある。人々は競ってその前でシャッターを切っている。橿原神宮の初詣は華やかさより荘厳さが感じられる。近頃隣の神武天皇陵に参る人がいなくなったのは淋しい。
  この他毎年お参りするのは天理の石上神宮と生駒の聖天さまである。石上神宮は小なりと言え神宮である。それなりの格式を備えている。大木に覆われた参道を歩いていると鶏が放たれ、なにやら伊勢神宮を思わせる。今年は鶏年さぞ張り切っているだろうと思ったが、姿が見えず、ながながしい鳴き声が聞こえるのみであった。
  生駒聖天は「現世利益」と大きく書かれているだけあって、商売熱心。至る所に賽銭入れが置いてある。殊に奥の院に上る両側の石仏は一つ一つに賽銭入れが置いてあって、一円玉が投げ入れられている。受付で二百円を一円玉に両替しているのには恐れ入った。

  正月二日か三日には京都に行く。京阪を五条で降りて、陶磁器を冷やかしながら坂を登り、清水さんに参る。今は桜ももみじもない。人並みに押され三年坂を下り、円山公園を経て八坂に至ると言うお定まりのコース。ともかく大変な人。おそらく京都の初詣ではこの道が一番賑わうだろう。八坂は狭い境内に人が埋まり、もはやお賽銭は遠投するより他はない。昔夜中にやってきて、おけら火を採って家まで持ち帰ったことがあった。火の明かりがぐるぐる回り、いかにも京の春を呼ぶにふさわしい光景であった。
  今年は平安神宮から下がってきた。平安神宮はいかにも着物が映えるのだが、残念ながらほとんど見られない。知恩院から円山公園を抜け八坂神社にメイン・ストリートを歩く。四条までは祇園を抜ける。粋筋はまだ歩いていない。一力の近く、突如見えてきたのはパチンコ屋。何で祇園のど真ん中にパチンコ屋が、嘆くことしきり。
  
  京都もお定まりのコースだけでは飽きてくる。たまには下賀茂神社や上賀茂神社に遠征する。鬱蒼と大木が茂る下賀茂神社、広大な芝生が広がる上賀茂神社、それぞれに趣が違うがどちらも好きな神社である。八坂のような喧騒はないが、初詣にふさわしい静謐な雰囲気をもっている。小川の流れも心が洗われるようで好ましい。

  松の内が過ぎると、初詣の人もまばらになる。そのころ岩清水八幡にお参りする。ここの石段はなかなか厳しい。ケーブルに乗るのも癪だ。二十分以上かかって頂上に着く。全国の八幡の総元締め、格式がある。ここで破魔矢を買うと、巫女が鈴を鳴らしながら舞い、お祓いをしてくれる。
  ここの竹はエジソンがはじめて電灯をともしたときに使われたので名高い。残念ながら今や竹林が荒れ放題、さぞエジソンも嘆いていると思う。
  石段の途中松花堂の跡がある。今では弁当でその名を全国に知られている。山裾の松花堂公園にはいくつかの茶室がある。入り口のレストランでは吉兆が松花堂弁当を供している。
  京都の行き帰り伏見を通る。ここは全国区、テレビや新聞でも賽銭や参詣人の数が報ぜられる。あまりの人込にいつも素通りしてしまう。

  かくして奈良・京都の初詣は終わるのだが、日程が余ると生駒のトンネルを越えて大阪側に足を伸ばす。枚岡神社とか石切神社に出かける。枚岡神社はもうすぐ梅だ桜だ新緑だと忙しくなる。生駒山ハイキングの出発点。石切は商売の神様、熱心にお百度参りをしている人を見かける。

  統計によると、日本には神道系の信者が一億一千万人余いるそうだ。尤も仏教徒も九千万余いることになっているが。つまり人口に匹敵するような信者がいて初詣に繰り出すのである。多神教の日本人の面目躍如と言うところか。
  私たちの幼いころは専ら氏神様にお参りした。たまに父親が靖国神社とか明治神宮に連れて行ってくれた。いまや新興住宅地が開発されたが氏神様はない。時々自治会が音頭とって、わが町に氏神様をとやるのだけど一向に皆が乗ってこない。
  初詣は国家的イベントである。しかし晴れ着もなく、ジャンパーとジィーンズとケイタイの三種の神器では頂けない。そう言う我々だって、ハイキングの代わりに初詣に出かけているのではないか。
                             (2005.01)