閑中忙あり   [観たり・読んだり・歩いたり] 目次
 京の春 

  年が明けて、日、一日と暖かくなると春が待たれる。京の春はとりわけ雅で華やかである。毎年京都の観梅と言うと、二条城と北野天満宮に出かける。二条城の梅林は小さいが、一本の木に赤と白が咲く源平と言う品種が珍しい。尤も家の近くの大和文華館の庭には、一本に七種類の梅の花が咲く木がある。二条城の梅林は周囲の石垣や堀と調和してなんとも言えず美しい。偶々そこに三人の着物を着た美女が現れたので夢中でシャターを切った。樹下美人。

  二条城は徳川家康によって築かれ、大政奉還の舞台になった所で、国宝の二の丸御殿、重文の本丸御殿などが立ち並び、世界文化遺産にも登録されている。此処は梅もよいが、実は桜が素晴らしい。枝垂れの大木の並木が内堀を囲んでいる。とはいえ、これまで二条の桜は見たことがない。今年は是非共ここの枝垂れを観に来ようと決心し、北野天満宮に向った。

  北野天満宮と言えば菅原道実公が祭られており、謂わば梅の元祖のようなところである。山門の横手に梅林がある。今年は天候不順の所為か、手入れが悪かった所為か、あまり花つきが良くない。その崖下の堀沿いの遊歩道の方は、枝垂れ梅も多くなかなかの風情である。着物姿のお嬢さんが数名、花びらの散る中をやってきた。絶好のチャンス、慌ててシャッターを切る。此処はなんと言っても朱塗りの社殿をバックにした梅がいい。近くの上七軒の綺麗どころが時折現れるのも余得である。

 

  さていよいよ桜のシーズンに入ってきた。今年は当初開花予想が早かったが、三月の末になって急に寒い日が続いたので、結局平年並みになってしまった。毎晩夕刊の開花予想と天気予報を首引きで明日の予定を立てる。

  例年醍醐の花見だけは欠かさない。此処の霊宝館の枝垂れは京都一であろう。境内に八本の枝垂れの大木がある。手入れが良いのか、年々枝を伸ばし、花つきもすこぶるよく見事である。つい霊宝館のお宝はパスして桜に見とれてしまう。

  三宝院の枝垂れは昔から有名だが、すっかり樹勢が衰えてしまった。目下懸命に手入れしている。その裏手にある桜の園は、陣幕と毛氈が桜と調和してお花見らしい雰囲気を演出している。残念なことに、本堂の前の優美な五重塔をバックに二本の枝垂れがあるが、すっかり弱って殆ど花がつかなくなってしまった。

  醍醐を後にして地下鉄で蹴上に向う。南禅寺は桜は少ないが、新緑に包まれていかにも京の風情がある。此処を起点として疎水に沿って哲学の道を銀閣寺まで歩く。桜は七分程度。久しぶりにやってきたが、いつの間にか店屋が増え、すっかり俗っぽくなったのにはがっかりさせられた。これでは哲学の道とは言いがたい。

  途中法念院に寄る。この寺は椿が多いので、新緑といっても少し暗い感じがする。折から特別展を開いていた。襖絵の名品を観る事ができた。やがて銀閣寺、少々疲れたのでパスして岐路に着いた。

 

  待望の二条城にやってきた。梅と違って大変な人出。二の丸にも入らずに早速桜の園に向う。本丸を囲む内堀に沿って枝垂れの大木が並ぶ。折からの満開、圧巻というより外はない。枝垂れは通常一本桜が多い。此処の枝垂れ二百本が立ち並ぶ。更に場内には四十五種類三百八十本の桜がある。石垣や建物との調和もよく、京の花見の第一候補に挙げたい。

  時間はまだ充分ある。地下鉄の便利の良いとこと言って植物園に向った。桜だけでない、花壇の花も綺麗だろう。植物園の桜の園は家族連れで賑わっていた。ビニールシートを敷いて弁当を広げている。酔っ払いのいないのがいい。桜は満開、空は青空、絶好のお花見日和といえよう。

  チューリップはまだ早く、残念ながら花壇はこれからと言うところ。此処の植物園のよいところは木々が大きいことである。林の中に入るととても街中とは思えない。まだ新緑には少し早すぎたが。

  植物園の横、加茂川沿いに半木の道がある。下賀茂神社まで枝垂れの並木になっている。此処の枝垂れは色が濃く少し小ぶりで、芝居に出てくる桜のようだ。春霞の中この道を歩くとジス・イズ京都という風情がある。

 

  京都に入らないが宇治にもよく出かける。宇治の植物園は小振りながら手入れが良く楽しめる。此処に珍しく八重桜がかなり植えられている。訪れたときは満開で、青空に映えてそれは美しかった。

  桜のシーズンも終わり宇治の三室戸寺の躑躅がよいと言うので出かけた。残念ながらまだ五分程度。シャクナゲもいたって花つきが悪く、早々に引き揚げた。

  それではと近くの平等院に向った。大変な人出。残念、入り口に今年の藤はよくありませんと断り書きがしてあった。それでも入場してみた。やっぱり藤のたれ具合は半分程度。此処の宝物館は整備されている。飛天が真近に見られるのもいい。

  

  若葉の季節に入った。新緑といえばやはり嵯峨野。京都は楓が多いので若葉が優しい。ことに嵯峨野の若葉は京の春に相応しい風情がある。

  今年は天竜寺に寄らず、大河内山荘から出発した。この山荘は手入れが良く、木々も立派に育ってきた。秋もまたいい。展望台からの谷越えの嵐山の新緑の眺めは絶品である。 

  銀座通りのような人波を掻き分け、常寂光寺に至る。楓が覆い被さる正面の石段は秋もいいが、この季節も素晴らしい。始めてこの寺を訪れたときは、その名のとり寂れた寺であった。今日の賑わいは到底想像出来なかった。

  二尊院はパスして久し振りに祇王寺に寄る。此処の楓は細くて枝分かれせず上に伸びている。 昔を偲びながら狭い境内を一回りする。

  終点はあだしのの念仏寺、野仏に手を合わせて嵯峨野に別れを告げた。

 

  秋の京も錦秋に彩られ華やかさの中にもしっとりとした情感がある。しかしなんと言っても桜、そしてそれにひき続いての新緑、これに勝るものはない。さすが王城千年の地何処をとっても絵になる。京の春は素晴らしい。

 

                       ( 2008.05 )