閑中忙あり   [観たり・読んだり・歩いたり] 目次
 今年の花見    
 
                                            
     世の中に 絶えて桜の なかりせば
        春の心は のどけからまし      在原業平
昔から日本人は桜を愛してきた。毎年春になると、花の便りに落ち着かなくなる。朝テレビのスイッチを入れると、各地の桜が競うように映し出され、夕刊には花便りが載り、三分だ五分だ満開だとやっている。雨が降らねば、風が吹かねばと心配は絶えない。
  まだ寒さの残る頃、月ヶ瀬だ、賀名生だ、大阪城だと梅の名所を訪ね歩いた。その梅がまだ散り終わらぬ頃、桜の蕾が膨らんでくる。今年の桜は早いと言うから気もそぞろである。
(三月二十一日) 浄瑠璃寺
  春の訪れは浄瑠璃寺から始まる。参道の右手にはもう馬酔木が鈴蘭のような花をいっぱいつけている。左手の茶店の庭には百花が入り乱れ、咲き競っている。木蓮・彼岸桜・花すもも・花桃・さんしゅゆ・みずき類・・・・。正に春の使者に相応しい彩りである。
(三月二十三日) 馬見丘陵公園
  少し早いと思ったが、待ちかねて馬見丘に出かける。奈良盆地の中央に広がる広大な公園。何でも奈良公園の三倍あると言う。
  さすが桜には早く、まだ二、三分と言うところ。辛夷と木蓮が青空に映え、春を呼んでいる。その根元には雪柳が雪の小山を作っている。
(三月二十六日) 奈良公園
  三月堂の前の柳を撮りに出かける。氷室神社の前を通ると大変な人だかり。名木の枝垂れが満開。公会堂の地下に車を置き、慌ててカメラをぶら下げ引き返す。一本の桜を中に円陣が出来ている。勿論プロ級はこの時間にはもういない。社殿の白壁と朱色の柱をバックに、氷室の桜は優雅に枝垂れている。
(三月二十七日) 宇治植物園
  今年の桜は早いと言うので、醍醐に出かける。残念、まだ二、三分。直ちに引き返し宇治の植物園に寄る。彼岸桜が満開。花壇のチューリップの蕾がそろそろ膨らんできている。
(三月二十八日) 浄瑠璃寺 ( 再 )
  先日は咲きかけの花が多かったので、再度挑戦する。僅か一週間、花はこんなに変わるものか。百花繚乱とはこの正にこのこと。三重塔をバックに百花が競い合っている。中でもここの木蓮の大木は見事だ。見上げると青空いっぱいに白い花が広がっている。
(三月三十日)  枚岡公園
 電車の窓から眺めていると枚岡公園の桜がもう満開である。小雨混じりだったが雨もまたよしなんていって出かける。新緑の芽吹きが始まり桜が一層美しい。訪れる人もなく、渓谷の水音だけがさわやかに響いてくる。
(四月一日)  醍醐寺・毘沙門堂・山科疎水
  いよいよ本格的な花見シーズンの到来。今度こその願いをこめて再び醍醐へ。ここは枝垂れ桜と里桜と山桜の三種類の桜があり、それぞれ花期が異なる。枝垂れ桜が一番早く咲く。
  三宝院の玄関先のしだれ桜は有名だが、樹勢が衰えて来ている。素晴らしいのは霊宝館の庭にある七、八本の枝垂れ桜。その大きさと言い、枝の枝垂れ具合と言い、花つきと言い、正に京都一と言っても過言でなかろう。
  時間があったので山科まで足を伸ばす。毘沙門堂の桜をめでた後、少し山科疎水を歩く。三井寺から南禅寺まで二つの山をくりぬいて流れるこの疎水は、水量が豊かで流れが速く、花筏が前へ前へと人々を誘う。
(四月二日)  大野寺・長谷寺
  いよいよ花の寺で名高い長谷寺を訪ねる。まず大野寺による。ここの川向こうにある磨崖佛は有名だが、近年殆んど見えなくなってしまった。この寺の境内は狭いが花木が沢山植えられ、春のコーラスを聞くようだ。
  長谷寺に向かう。まず山門脇の枝垂れの大木に圧倒される。だらだら登っていく回廊越しに、本堂を見上げると、これはもう花で埋まっている。桜はもとより、さんしゅゆ・木蓮・辛夷・れんぎょう・雪柳・・・・正に花の寺の名に恥じない景観。観音様もさぞお喜びであろう。
(四月六日)  竜安寺・仁和寺
  石庭で有名な竜安寺。ここの桜がこんなに美しいとは最近まで知らなかった。裏山から垂れ下がる枝垂れ桜、池面に映る里桜、桜の園に咲き競う各種の桜、どれをとっても美しい。しかし何と言ってもこれが竜安寺の桜と言えば、石庭の塀越しにのぞく紅白の桜であろう。厳しさと華やかさ、見事な調和である。
  竜安寺から二十分、御室の桜で有名な仁和寺に到る。「お多福」と称する背の低い八重桜の事である。まだ十日位かかるであろう。境内には一重の桜があちこちに咲いている。それと最近山つつじが大きくなり、桜に負けず見事な彩りを添えている。
  ここの門跡寺院は格が高い。山門も、庭園も、方丈も堂々とした構えである。
(四月八日)  吉野山
  いよいよ本命の吉野山。如意輪寺の裏に車を置き、谷を越えて中千本の中心地の展望台に行く。今や中千本が満開、上千本が七、八分と言うところ。吉野の桜は山桜、一本一本の種類が異なるので、全山を埋め尽くす桜はさながら絨毯を敷き詰めたように見える。
  喧騒を避けて上へ上へと水分神社めがけて登っていく。この道は急坂、途中であごを出して尾根道を如意輪寺に戻る。この道がなかなかいい。桜が新緑に混じり合って素晴らしい景観を呈している。遠くに蔵王堂が浮かぶ。
  帰路大宇陀に寄り又兵衛桜を見る。この枝垂れの一本桜は近年有名になり、早朝から沢山の人を集めている。背後の桃畑が良く調和して写真写りが好い。
(四月九日)  平安神宮
  会社のOBのカメラ・クラブに誘われて、再び山科の地を踏む。桜は先週きたときが満開、もうかなり散っている。地下鉄で蹴上に出て、南禅寺を経由して平安神宮に向かう。ここの紅枝垂れは遅いのでちょうど見頃。しかし平日と言うのに大変な人出。記念撮影の人が多くて流れない。
  さすが谷崎潤一郎が京都一の桜と讃えただけあって、その優雅な佇まいはいかにも京都にぴったりである。舞妓さんでも立っていたらと思う。
(四月十日)  若草山
  若草山ドライブウエイは桜並木の下を走る。途中大仏殿が見下ろせる所がある。よくポスターに出るアングルであるが、早朝行くとカメラの放列で埋まっている。私は若草山の頂上から谷間に広がる山桜が好きだ。若草山の山頂から花に埋まる大仏殿を眺めていると、小野老の歌が口に出てくる。
       あおによし ならの都は 咲く花の
          にほふがごとく 今さかりなり
(四月十三日)  生駒山
  あまり知られていないが、生駒山の中腹から山上にかけて広がる桜の園がある。この山の下に住むある食品会社の社長が、万博のとき全国から桜の苗木を集め寄付したものである。その為か一本一本種類が違うので、吉野山のように絨毯を敷き詰めたように見える。おまけにこの頃新緑が燃えて、桜と混じりあい、人も訪れない山腹に真に贅沢な景観を呈してくれる。花見の最後を飾るに相応しい眺めである。

  今年の花見は終わってしまった。北海道まで追っかけをやっている人もいるが、私の定番はこんなところか。もう躑躅だ石楠花だ牡丹だと目白押しにやって来ている。春の心はまことに慌しい。


                        ( 2004・04 )