閑中忙あり   [観たり・読んだり・歩いたり] 目次
    半落ち    

   「半落ち」聞きなれない言葉だ。警察用語で完全に自白したら「完落ち」、半分自白したら「半落ち」と言うのだそうだ。この映画はその落ちなかった部分を追求していく話である。
  寺尾聡も最近めっきり親譲りの渋みを発揮してきた。この映画でも殆んど喋らないのだけれど、雰囲気づくりに成功している。そしてこれを取り巻く助演陣はいずれも芸達者、この作品を揺るぎないものに仕上げている。
  この映画の背景には、骨髄移植とアルツハイマーという今日的問題がある。実はこの映画の原作者横山秀夫の子息は白血病に冒され、骨髄移植により一命を取りとめている。氏は息子の命を救ってくれたドナーに、感謝の意をこめてこの本を書いたそうである。映画はほぼ原作に沿って作られているが、原作の感じが良く出ている。

  警部梶聡一郎は、「三日前に、妻を自宅で首を絞めて殺しました」と最寄りの警察に出頭してきた。
  妻は二年前にアルツハイマー病を発症し、かなり病状は悪くなっていた。最愛の息子を七年前、十三歳のときに、急性骨髄性白血病で亡くしたのが引き金になった様だ。妻は息子の命日に墓参りをしたのを忘れ半狂乱になる。そして梶に「せめて息子のことを覚えているうちに死なせて欲しい」と迫る。梶は妻を絞殺した。
  取り調べにあたった敏腕刑事も、ついに梶の空白の二日間については落とせなかった。警察の人が妻を殺すなんて一大不祥事である。まして殺人から自白までの空白の二日間をつつかれたら煩い。県警の幹部たちは取調官に命じ、誘導尋問で、「この二日間、死に場所を探して県内を彷徨っていました」と言わせた。
  ところが新幹線の高崎駅のホームに梶が立っていたのを見た、というタレ込みがマスコミにあり、県警の周囲はにわかに騒然となってきた。

  やがて舞台は検察に。検事はこの自白は捏造と見て、警察に抗議をする。結局警察と検察の裏取引があり、半落ちのまま裁判に持ち込まれた。それをかぎつけた一人の記者が執拗に警察に食下がり、警察はやむなく別件のトク種を提供し、もみ消しを図った。そこへこの事件で一旗あげんとする弁護士が現れ、事件は裁判に持ち込まれた。
  梶は結局裁判でも空白の二日間についての真相は明らかにしなかった。梶の心情を察するに余りある。結果は嘱託殺人で四年の刑が求刑通り確定した。

  梶の空白の二日間は果してなんであったのか。家宅捜査により、新宿のいかがわしい宣伝物が出てきた。まさか女房の死体を置いて女に会いに行ったなんて。そんなことがあったら警察の大恥さらしだ。
  実は梶夫妻は子供を亡くした後、骨髄バンク・ドナー登録をしていた。そして梶に白血球の適合者が現れ、骨髄を提供していた。あるとき新聞に「命ありがとう」と言う投書が載った。投書の主は死んだ息子と同じ年で、新宿のラーメン屋で働いている。どうもその子が自分の骨髄の移植手術を受けた人らしい。梶はその子を一目見ようと新宿のラーメン屋を捜し歩いたのだ。そしてそれらしき人を見つけたが、殺人者なので名乗るわけにもいかなかった。梶はその子の元気な姿を見るだけで満足した。
  梶は又「人間五十年」と書置きしていた。これは何のことか。梶は四十九歳、も一年でドナーの資格がなくなる。それまでにもう一人の命を救いたい。だから今自殺する訳にはいかないのだ。

  テレビを見ていると時々骨髄バンク・ドナー登録の呼びかけがある。白血病で亡くなった夏目雅子が登場する。白血球の適合する確率は文字どおり万が一である。その為ドナーは沢山必要としている。しかし日本人ではドナーになる人は少ない。私はもちろん資格はないが、もし若くてもやはり躊躇するだろう。他の臓器のドナーも同様である。これは日本人の無宗教の故であろうか。
  アルツハイマーも今や社会的な大問題である。アルツハイマーでなくとも、近頃高齢化に伴って老人性痴呆の人が増えている。最近その介護のことを記した本をよく見かける。しかし所詮身内にそのような病状をした人を持たなければ、その介護の本当の苦労はわからない。
  私の母親は今年白寿を迎えた。いたって元気で姉と暮らしているが自分のことは殆んど自分でしている。お蔭でわれわれは普通の生活ができて助かっている。
  この映画の主任裁判官の父は元判事であるが、実はアルツハイマーを発症し病状はかなり進んでいる。嫁にはずいぶん迷惑をかけている。それだけに判決文を書くのには迷いがあった。しかし大勢には逆らえず、捏造調書に乗り裁判の早期終結を意図した。
  今後わが国で少子高齢化が進む中で、痴呆の問題は社会的に考えていかなければならない重要事項になってきている。
  
  この映画のもうひとつの見所は、警察内部のことなかれ主義、警察と検察の縄張り争い、そしてマスコミの行き過ぎた取材合戦である。警察と言う組織は、ことのほか面子を重んずる。検察は警察より一段高いところに立っているという意識が強い。マスコミは他社を出し抜いて特ダネを得るためには人の迷惑など考えない。
  以前に書いた"突入せよ「あさま山荘」事件"でもそうだった。警視庁から派遣された機動隊と長野県警との確執はすさまじい。マスコミとヤジ馬が全国から千人も集まり、救出作戦を妨害する。
  本事件の担当刑事は空白の二日間を追及していたが、上司の思惑、つまり警察の面子のために不承不承自白を捏造させられる。検察は臭いと睨んで、警察に怒鳴り込んだが、逆に検察内の不祥事を突っつかれ、裏取引を余儀なくされた。マスコミが空白の二日間の特ダネを掴みかけると、警察は別の件の犯人の名前を教えて抑えようとする。
  もちろんこれは小説であり実態はどうか分からないが、警察は身内に甘いとか、身内をかばうとかよく言われている。そういった中で、さいきん警察官の不祥事がよく報ぜられるようになった。これは周囲の目が厳しくなって、情報を公開せざるを得なくなってきたのか、実際不祥事が多くなった故であろうか。

                       ( 2004.01 )