閑中忙あり   [観たり・読んだり・歩いたり] 目次
悪意なき欺瞞         
             ――― ジョン・K・ガルブレイス


  私の上司がよく言っていた。「知っていて悪いことをする奴より、知らないで悪い事する奴の方が悪い」。当時私はそんなことってあるかしらと思っていた。わが国では「知らぬこととは申しながら」と謝ればたいていのことは許されてしまう。
  ガルブレイスと言えば、七十年代の終わりのころ「不確実性の時代」と言う本を著し、当時の流行語を作った。氏は所謂リベラル(民主党に近い)の立場をとる経済学者で、昨今の市場経済万能の考え方を批判している。氏の著書はわが国でも数多く出版されている。我が家にも六冊を数える。中でも「バブル物語」は面白く印象に残っている。
  近著「悪意なき欺瞞」は氏の七十年に及ぶ思索のエッセンスを凝縮したもので、今日のアメリカの経済社会に警鐘を発したものと注目される。私の上司の言うように、世の中には「悪意なき欺瞞」がまかり通っていて、それが良いもの正しいものと一般に信じられてしまうことがよくある。悪意あるほうはそれは欺瞞だとすぐに見破られてしまう。

  資本主義は歴史的に見てさまざまな弊害を及ぼし、イメージを悪くしてきた。ヨーロッパではこれに代わって社会民主主義が広まった。社会主義の嫌いなアメリカは資本主義に代わって、市場システム・市場経済という考え方を編み出してきた。企業の規模は巨大化し、その経営は専門的に精緻になり、もはや従来の資本家の手におえなくなった。そこで経営者が登場してきて、市場システムと言う考え方を作り出してきた。物事は市場で決められる、つまり消費者主権なのだと言い出した。この言葉は消費者には心地よく響いた。規制・統制は悪であり、市場は消費者の自由な選択に任せれば自然によい方向に進むのだ。
  かくして弱肉強食、巨大企業は市場システムの名のもとにますます巨大化し、寡占独占を強めていく。そして高度なマスコミ技術を駆使し、消費者を巧みに操り消費者主権はどこかに行ってしまった。その結果経営者は目のくらむような報酬を得て、市場経済は良いシステムとしてますます世界に広まって行った。

  ガルブレイスは労働と言うことに触れている。世の中には生きるためにつらい労働をしている人がいる半面、裕福で仕事を楽しんでいる人に多額な報酬が支払われている。このことを「けしからん」と言う人はいない。アメリカでは働こうとしない人は怠け者で、無責任であり、社会のお荷物であると非難される。そして元々金持ちでまったく働かないのに公共への思いやりがあり、応分の寄付をする人が評価される。アメリカの選挙のテレビを見ているといつも思う。共和党を支持している人が必ずしもリッチに見えない。アメリカでは「今に見ていろ僕だって」と言うところがまだ残っているのだろうか。あるいは悪意なき欺瞞の類なのであろうか。

  GDPという言葉がある。経済や社会の進歩は国民総生産によって測られる。そしてその中身と大きさはほとんど生産者によって決められ、社会全体で決められてはいない。わが国でも高度成長時代にはひたすらGDPを追求してきた。それがバブルにつながり拝金主義を招き、社会を不安定なものにしてきた。ガルブレイスは人類史における至高の偉業は、GDPではなく、芸術・文学・宗教・科学にかかわる業績であると言っている。
    
  ガルブレイスの指摘は核心に及ぶ。今日資本家に代わって力を持ってきたのは経営者である。我々は教えられてきた。アメリカでは株主総会と、取締役会が経営陣の行動を監視している。日本ではしゃんしゃん総会と形式的な取締役会でけん制機能が働かない。・・・
ところがガルブレイスはアメリカの株主総会がいかにしゃんしゃんか、取締役がいかに名誉職化してしまっているかと述べている。今や経営者はやりたい放題、年俸や退職金は目もくらむような高額なものとなり、エンロンのような不祥事が起こる。
  かくして資本家の搾取から、有能な経営者が業績に見合った報酬を得ると言う欺瞞がまかり通るようになってきた。しかもその報酬は自分で決めるのである。

  ガルブレイスが心を痛めているのは、公的セクターに対する私的セクターの支配力が強くなってきたことである。それは財務や環境問題について、そして最近では外交問題についてまで介入しようとしている。そのことは産軍複合体への道を歩む危険性がある。氏はそれを一番恐れている。氏はこれぞ「悪意なき」ではなく「悪意ある」欺瞞であると言っている。
  わが国では官僚の支配を何とか打ち破らんと、政策決定の委員会に盛んに民間人を起用する。しかしなかなか官僚のガードが固くこれを打ち破れない。アメリカでは経営者がどんどん政府の要職に着き影響力を発揮している。

  ついでガルブレイスは金融・財政に触れている。世の中には経済予測に携わる人がいる。彼等は他人の知らないことを自分だけ知っていると信じている。金融機関はこのようなアドバイザーやコンサルタントの話を聞いて巨額の金を動かしている。
  このような予測の中には「悪意ある欺瞞」も含まれ、周到に仕組まれているものもある。ウォール街のコンサルタントは報酬が少なくとも厭わない。彼らは自分の予測が周知され、株価が上がればよいのだから。こうなると欺瞞はしだいに「悪意ある」に近づいてくる
ガルブレイスは連邦準備制度を極め付きの欺瞞としてあげている。グリーンスパーンは名議長として讃えられ、この制度が最善の経済政策と信じられているが、実際は何の役にも立っていないと手厳しい。インフレ・デフレ・好況・不況の調整役としての期待は大きいものの、現実には効果が上がっていないと決め付けている。

ガルブレイスは本書の結びで、企業と企業経営者が現代経済社会を統治していると言う現実に警鐘を発している。わが国では民活が叫ばれて久しいが、依然官僚の力が強く、天下りも後を断たない。アメリカでは逆に民が官に天下り、民の力が政府に圧力をかけ、政策に大きな影響を与えている。京都議定書に賛同しないのも、イラク戦争の強引な進め方を見てもその表れではないか。
本書を読んでいると、アメリカでは一部の人が密かに欺瞞を「悪意なき」と正当化し、それを広め、自らの利益を得ようとしているのではないかと思われる。一般大衆は「悪意なき」と思わされて、欺瞞と気付かず、良いこと、正しいことと信じ、乗せられているのではなかろうか。
                            ( 2005・01 )