閑中忙あり [観たり・読んだり・歩いたり] | 目次 |
京の冬は底冷えがする。春は桜に新緑、秋はもみじと華やかな都も、冬はひっそりとしている。そんな時、普段公開されていない文化財の特別公開がある。これを観て歩くのも冬の京の楽しみである。 昨年は大徳寺を訪ね、芳春院・真珠庵を見学した。折からテレビのお陰で芳春院はお松の方で賑わっていた。真珠庵はなかなか公開されずかれこれ四十年ぶりであった。 今年も下賀茂・上賀茂神社に初詣の後、大徳寺に寄ってみた。何か公開されているだろうと思って、調べもせずに行ったら残念、今年は公開はなしとの事。やむを得ず今宮神社に詣でた後、通年公開の竜源寺に寄った。禅寺の典型、表と裏に格調の高い石庭が配されている。冬の石庭は身の引き締まる思いがしていいものだ。 案内所で「京の冬の旅」のパンフレットをもらって眺めていると、今年は新撰組に因んだものが多い。島原の角屋、黒谷の金戒光明寺(会津藩の本陣後)。・・・・ 二月も半ばを過ぎると、さすが暖かい日がやってくる。そんなある日、先日のパンフレットを引っ張り出し、どこか特別公開を観に行こうと言うことになった。スタートが遅れたので、どこか近いところでと東福寺を選んだ。冬の土、日は道がすいていて走りやすい。 東福寺は京を代表するもみじの名所、シーズンは駐車する所もない。今は広い境内人もまばらである。ここの山門はいつ見ても美しい。殊にその円柱が素晴らしい。昔は上まで上ることができたのに。 まず入り口近くにある退耕庵を訪れる。小野小町のゆかりの寺で、入り口右手の地蔵堂には小町の作といわれる大きな地蔵尊が祀られている。何でもその体内には小町に寄せられた膨大な恋文が収められていると言う。そして本堂には小町自身が彫ったと言われる小町百歳の像がある。絶世の美人と謳われた小町も、百歳ともなるともはや仏様に近くなる。 客殿の茶室は石田光成、小早川秀秋、宇喜田秀家が、関が原合戦の謀議を凝らしたところ。緊急時の用心のための対策が色々施されている。こんな狭い部屋に、戦国の名だたる武将が集まって、天下分け目の謀議を凝らしていたのかと想像すると、歴史が俄かに身近になりわくわくしてしまう。 次いで光明院へ。ここの枯山水は「波心庭」と呼ばれ、白砂と苔が巧みに調和し、所々に仏様を模した石組みを配し見事なものである。東福寺の方丈庭園とともに昭和の名庭と言われている。 この寺の売りは表千家の呈茶である。庭を一望する書院に一同かしこまって正座する。お点前を勤めるのはこの道三年と言われるお嬢さん。なんだか頼りない。先生に時々注意を受けている。お茶をいただいてから、築山の上の丸窓のある茶室を見学、帰路に着いた。 それから数日、再びポカポカ陽気の日がやってきた。その陽気に誘われてまたまた虫が目覚めてきた。少し遠くなるが妙心寺に行こうと言う事になった。妙心寺は塔頭の数も多く、毎年順繰りに公開している。車を駐車場に入れ、昼食をとりながらパンフレットに目を通しての俄か勉強。 天球院が面白そう。ここは池田家の菩提寺で、池田光正の叔母天球院殿のために創建された。建立の際、地中から玉が出てきたので天球院と呼ぶことになった。 方丈内部の襖絵(重文)は狩野山楽・山雪の代表作で、中でも「竹虎図」はなかなかの迫力。この頃わが国には虎はいなかった。そこで献上された虎の皮を人にかぶせてモデルにしたと言う。ここの襖絵は禅寺には珍しく金箔の上に極彩色で書かれている。そしてその構図が幾何学的になっている。 ガイドの説明によると、天球院が公開されたのは今回が初めてで、今後はないだろうとの事。何とラッキーであることか。もう一つの公開塔頭竜泉庵に寄ろうと思ったが、ここには重文級のものはないし、方丈の襖絵も昭和のものというので、外からその堂々とした建物を見るだけにとどめ、思い切って金閣寺に向かった。 金閣寺はもちろん幾度か訪れているが、今回はその方丈が見学できると言う。この機会を逃してはと少し遅くなったが訪れることにした。いつもの入り口の右手に方丈がある。中はどんなかと心弾ませて入っていく。方丈は思ったより小ぶりである。苔と砂を組み合わせた庭も小さい。庭の向こうに松の枝に見え隠れして金閣が見える。方丈北側の狭い庭園には、義満のお手植えと伝えられる「陸舟の松」がある。帆掛け舟を模した立派な松である。果たして六百年前のものかは問うまい。義満がこの松の横に座り、金閣を眺めている図を想像すると楽しくなってしまう。 方丈の襖絵は狩野外記が描いたと言われる墨絵で、なかでも「仙人高士図」が有名である。三人の老師が渓谷に立っている図である。世の堕落を嘆いた老師が一生この渓谷を渡らないと決心して、山にこもり修行していた。そこへ友人二人が訪ねてきた。友人の帰りを送りながら、話しに夢中になってついその渓谷を渡ってしまった。夢中になると大切なことを忘れてしまうと言う中国の戒めの故事の絵。 ここでもガイドの説明によると、金閣寺の方丈が公開されたのは初めてで、今後ももう公開されないだろうとの事。真についていた。我々は生涯二度と観る事のできないものを二つ観てしまった。これぞ本当の一期一会か。 京都は優れた文化遺産が沢山ある。しかし日本の建物は木と紙でできている。その保存は大変難しい。観光客が押し寄せればたちまち痛んでしまう。さりとて人目に触れないようにすれば、文化財の意味がない。 昨秋、もみじを訪ねて黒谷の真如堂に行った時のこと、茶室の襖が凹んでいる。ガイドの話しでは、観光客の不注意により傷つけてしまったと言う。真に心痛む話しである。最近観光客のマナーがずいぶん良くなったように思えるが、日本の文化財は繊細なだけに、くれぐれも注意して見学したいものである。それでないと公開しなくなってしまう。 ( 2004・03 ) |