閑中忙あり [観たり・読んだり・歩いたり] | 目次 |
もう五十年近く前の事、ミナミは御堂筋に面して新歌舞伎座が落成した。その柿落しに、海老蔵の「若き日の信長」が上演された。信長が柿の木の下で童と戯れている最初のシーンが、何故か印象に残っている。 この九代目海老蔵は女性、わけても花街筋にファンが多く、彼女らが、海老を食べるのはけしからんといきまいたので、一時海老が売れなくなったと言われている。 昭和三七年、九代目海老蔵は実に五九年ぶりに団十郎を襲名したが、僅か三年で他界してしまった。それから三十年の空白を経て現在の団十郎が誕生した。その団十郎が、病を得て、息子の海老蔵襲名披露公演に、途中から降板せざるを得なくなったとは、真に残念と言わざるを得ない。 新之助は辰之助、菊之助と共に三之助と呼ばれ、次の時代を担うホープとして早くから期待されてきた。まだ遊び盛りの二十歳を過ぎた頃、ある週刊誌に座談会が載った事があった。司会者が手を変え、品を変え梨園の異質性に就いて引き出そうとするのだが、答えは一つ、我々は同年代の若者となんら変わらず、赤坂や六本木で遊び明かしていますと話していた。なるほどグラビアを見ると、そこらの若者となんら変わるところは無かった。 それがどうであろう。最近NHKが海老蔵襲名の三時間の特別番組を組んだ。その中で新之助が話す事が先の座談会とは全然違う。祖父から、父から受け継いだ、いや三五O年に及ぶ市川家代々の伝統を両肩にがっしり受け止め、これを伝承、発展させようと言う意気込みが言葉の端はしから伝わってくる。更に言えば、市川家代々の伝統と言うよりは、日本を代表する伝統芸能を伝承発展させていこうと言う使命感のようなものが感じられた。 新之助と言えば「武蔵」、大河ドラマですっかり有名になり、ファンも増えた。しばしば目をむくところを嫌う人もいるが、舞台ではこれが大受けする。いずれにしても従来の武蔵とは違う独自のものを作り上げた事は間違いない。 堂々たる体格、きりっとした目鼻立ち、ジムで鍛えた身のこなし、メリハリの利いた朗々とした台詞回し、市川家得意の荒事にはうってつけの大器として将来が嘱望される。その反面、昨年演じた源氏物語では、やさおとこ光源氏の役を立派に務め、硬軟自在のところを見せている。 私の母は長唄をやっていた。「旅の衣はすずかけの」に始まる「勧進帳」は十八番で、子供の頃よく聞かされたものだ。幕が上がり長唄衆が「旅の衣は・・・・」と唄い始めると懐かしさがこみ上げてくる。 「勧進帳」は最近松竹座で二度見ている。平成九年は団十郎(弁慶)、菊五郎(富樫)、雁冶郎〈義経〉、平成十年には辰之助、新之助、菊之助。(役は前に同じ)後者はまだ二十歳を過ぎたばかり、親の代の前者が伝統を重んずる演技とすれば、舞台を楽しむ若さのようなものが感ぜられた。それから六年、新之助は海老蔵を襲名し、弁慶の役で舞台に立った。団十郎との親子共演は果せなかったが。富樫は仁左衛門、義経は雁治郎といずれもベテラン揃い。 勧進帳は天保十一年、七代目団十郎が能の「安宅」から題材をとり創作したもので、「歌舞伎十八番の第一として市川家に伝えられている。長唄の出だしは謡曲そのものである。昨秋安宅関の横をバスで通ったが、荒涼たる砂浜が続き、芝居のイメージとは随分違っていた。 勧進帳の見所は、なんと言っても富樫と弁慶の山伏問答であろう。弁慶の朗々たる台詞は聴き取りやすく素晴らしかった。時折切る見得は、大きな目を見開き黒目が寄って舞台栄えがした。たまたま席が前であったので、新海老蔵を堪能できた。 面白かったのは、一行が無事通り過ぎた後、富樫が弁慶の忠臣ぶりに感じ、酒をもてなす所があるが、弁慶の飲みっぷりがコミカルで、いかにも酒好きの様子が出ていた。そして最後の山伏の舞、さすがジムで鍛えた体、若さも手伝って素晴らしくキレのある舞を見せていた。 この後の演目は御存知「弁天娘女男白波」。菊五郎の弁天小僧、仁左衛門の日本駄右門といずれも手馴れた役をこなしていた。海老蔵は忠信利平の役で、勢揃いに顔を見せたにとどまった。 スター誕生。十一代目海老蔵は、歌舞伎界に華ある大物スターとして登場してきた。小泉首相も出席しての帝国ホテルの披露パーティに始まって、歌舞伎座における口上に到るまで、スターに相応しい行事が、歌舞伎界の仕来たりに従い進められ、いやがうえにも前人気を高めていった。 スポーツや映画や演劇あるいは音楽と言った世界にはどうしても人気スターが要る。最近プロ野球の合併話や、一リーグ制の話が喧しい。かっての野球人気は何処へ行ってしまったのだろう。娯楽が多様化したとか、サッカーに取られたとか言われるが、やはり大物スター選手がいない事には人気の盛り上がりにかける。野球少年が夢見るスターが要るのだ。 地味だが技術的にしっかりした玄人好みする人も勿論必要だが、それだけでは駄目なのだ。長島や貴乃花あるいはジャンボは要るのだ。朝青竜が如何に連続優勝しても満員御礼にはならないのだ。 NHKの海老蔵襲名の特別番組の中で、山川静男アナと新劇の加藤武の対談が出てきた。いずれ劣らぬ歌舞伎狂である。十一代目団十郎を中心として、次から次へと昔の名優の名演技の話が出てきて尽きるところを知らない。そのうち名台詞の声色まで飛び出してくる。彼らが言うのには、役者は素質が八分、努力が二分であると。よくあの人には華があると言うが、華こそ正に素質であって努力では生まれない。華なくしてはスターは生まれない。 名優花柳章太郎が「役者は不器用の方がいい」と言ったそうだが、これは素質のある役者がそれに慢心し、努力を怠り、あたらその素質を活かせないで終わってしまうのを諌めたものであろう。 華ある役者、素質ある役者海老蔵が是非精進を怠らず、名実とも大スターとして育って歌舞伎の人気を盛り上げて欲しいものである。 周りを見回すと女性ばかり、男は一割もいない。関西歌舞伎を育てる会が愛する会に変わって久しくなる。財界・労働界挙げて応援してきたのにどうしたのだろうか。幸い歌舞伎人気は高まってきたが、華を求めてやってくるおばさん人気だけでよいのだろうか。 ( 2004.07 ) |