閑中忙あり [観たり・読んだり・歩いたり] | 目次 |
なんともいたましい、また健気な話ではないか。こんな話って本当にあるのかと思われるが、これは実際にあった事件をもとにして作られたものであるという。 驚いたことには、この映画で主演した十三歳の少年柳楽優弥君が、日本人初のカンヌ映画祭の最優秀男優賞を受賞したのである。徹子の部屋を見ていたら、柳楽君が出ていた。鉄砲玉のような徹子の質問に、柳楽君はてきぱきと答えていた。前途有望な俳優の誕生である。これには大人の俳優達も完全にシャッポを脱がざるを得ないだろう。 この映画では柳楽君だけではない。四人の子供が皆実にうまい。いずれもオーディションに合格した素人という。そして母親のゆうがまたすばらしい。 アパートに母親と四人の子供が引っ越してきた。大家には息子が一人で、父親は海外赴任中といってある。子供はベランダに出ない、大声を出さないと約束させられる。 おかしなことには、四人の子供はそれぞれ父親が違う。母親は一人というのに。母親 はデパートに勤め、家事は十二歳の妹が受け持ち、それなりに幸せな日々を送っていた。 ある晩母親は酒に酔って帰り、子供たちにそれぞれの父親の話をする。そして長男に、「好きな人が出来て近く結婚することになる。そうなれば大きな家に住めるし、学校にも行ける」という。しかし母親は二十万円と長男宛の置手紙をしていなくなってしまった。 長男は三人の子を抱え生活していかなくてはならない。子供たちは外に出られない。長男だけが外界との接点である。少年を中心として奇妙な生活が続く。やがて手持ちのお金も底をついてくる。小さい子は次第に我侭が出はじめる。 突然母親が帰ってきた。鞄に冬物を詰め込むと、クリスマスには戻ると言い残してまた出て行ってしまった。しかし母親はクリスマスには帰ってこなかった。 やがて少年に友達が出来、家に遊びに来るようになった。子供たちも外で遊ぶようになり生活に活気が出てきた。しかしいよいよお金が無くなり、コンビニでおにぎりの残りを分けてもらい飢えを凌いできた。 そのうち少年は不登校の少女と知り合いになり、少女は子供たちの世話を焼いてくれる。あるとき少年が野球の仲間に入れてもらい、久しぶりに楽しく遊んで家に帰ってくると、下の子がベランダから落ちて死んでいた。少年は死体を旅行鞄に入れ、少女と羽田空港の近くに埋めた。少年がいつも飛行機を見たいといっていたからである。(実話では秩父の山中に埋めた。父の勤め先があったところ)家に帰ると妹から封筒を渡された。久し振りの母親からの送金であった。 なんとも信ぜられない話だ。随分身勝手な母親もいるものだ。四人も男を作り、その一人ひとりと子供を作っている。そして今また新しい男を作り、子供を放って同棲している。しかし偉い子供もいるものだ。学校にも行かず、僅かなお金で食い延ばしをして母親の帰りを待っている。 最近実の親が子供を虐待して、大怪我をおはせたり、死に至らしめたりする事件がよく報ぜられ暗い気持ちにさせられる。また生活苦から子供を道ずれにしての心中事件も後を絶たない。 アメリカでは以前から幼児虐待の話があり、何で可愛いわが子をいじめるのか不思議に思っていた。何でもアメリカの真似をする日本、やっぱり恐れていたことがやってきた。 昔から赤ん坊は泣くのが商売といわれ、泣く子は育つといわれたものだ。近頃食料、医療も充実し泣く子が少なくなった。少子化のせいもあって近所で子供の泣き声を久しく聞かなくなった。それでも子供の虐待事件が起こると、赤ん坊が泣き止まないからだという理由が挙がる。そして子供が懐かないと腹を立てている。何故懐かないのかと考えたことがあるのだろうか。いったい彼らに子供を生み育てる資格があるのだろうか。 虐待がひどいと行政が引き取る。どういうものか子供を育てるのが嫌な親が子供を連れ戻しにくる。行政は仕方なく渡してしまう。そして悲劇が起こる。これはもはや病気である。我子をいじめることで快感を得るという奇妙な病気である。 ずっと以前のこと、小泉信三先生の著書を読んでいたら、こんなことが書いてあった。先生が息子の出征を見送りに行くときの話しである。息子はこれまでの短い生涯の間、十分親孝行が出来なかったことをしきりに嘆いていた。先生はこう言った。親というものは子供がいて、それを育てるということ自体が楽しみなのである。息子の存在そのものが親孝行なのである。 親馬鹿と言われようが子供は可愛いものだ。「這えば立て、立てば歩けの親心」子供が片言交じりで口を聞くようになり、伝い歩きをするようになる頃は本当に可愛いものだ。どうして虐待なんか出来るものか不思議でしょうがない。 近頃結婚しない女性が増えた。結婚しても子供を産みたくないという女性も多くなっている。しかしこの映画の母親はおかしな人だ。男を次から次へとこしらえるところをみると、結婚願望は強い。また子供を一人ずつ作っているとところをみると、子供が嫌いではないようだ。時たま家に帰ったときの子供への接し方を見ていると、結構子供に愛情を持っているようにも見える。しかし男のほうの引力が断然強いところをみると、身勝手なのか、無責任なのか理解に苦しむ。どういうものか子供たちは母親を恨まず、明るく暮らしている。そこにこの映画の救いがある。実話にもとづいていると言われれば虐待の話より余程ましと思わざるを得ない。それにしても奇妙な話である。 ( 2005・05 ) |