閑中忙あり   [観たり・読んだり・歩いたり] 目次
      眉  山                 

  眉山、何となく中国か韓国の山かと思わせる。その昔万葉集にも詠まれた阿波の美しい山、徳島の人にとっては家族のような存在である。

  徳島と言えば阿波踊り、この映画のクライマックスを飾る大スペクタクル、映画はその中でエンディングを迎える。阿波踊りがこの映画のもうひとつの主人公である。

  原作はさだまさし、娘から見た母親像を描いたもの。映画はほぼ原作に沿って作られている。

  娘は東京で旅行代理店に勤めている。徳島の母が入院したとの知らせを受け、久し振りに故郷の徳島に帰ってくる。病院で担当医に会うと母の病は末期ガンであると言う。娘は驚いたが母にはこのことを知らせない。

  母はチャキチャキの江戸っ子。神田のお龍と呼ばれていた。故あって徳島にやってきて小料理屋を開いた。その気風のよさで地元の有力者に贔屓が多かった。曲がったことが大嫌いで、気に入らない客は有名人でも追い出してしまう。 

  母は最近店をたたみ、ケァー・ハウスに入ったが、娘には一切相談なくことを運ぶので、娘は大いに不満であった。母は自分のことは自分で決め自分で実行すると言う主義なのである。病院に入っても看護婦にづけづけ物を言うので評判が悪い。そんなある日医師の暴言をとらえ説教したので病院中の大問題となった。しかしこの医師が後ほど自らの非を認め誤りに来たので事なきを得た。

  そうこうする内に娘と医師との間に恋が芽生え、母親もこれを察するが、医師の詫びに心許すものがあった。

  娘は母親と愛人の間に生まれた子であるが、母親は父親は死んだの一点張りで、何も語ろうとはしなかった。

  そんな中で、母親の病は日一日にと進行し、この夏が越せるかどうかという所まで来た。抗ガン剤をやっているので、その苦しみは大変なものであったが、母はその苦しみを一切表に出さずに耐えていた。

  そんな或る日、母は信頼の置ける知人に、自分が死んだら娘に渡して欲しいと小さな包みを託した。知人は母の死を待たず、その包みを娘に渡してしまった。そこには父と母の若かりし頃の写真、父から母への手紙がはいっていた。父の顔には僅か思い出が残っていた。母は昔父と旅行で徳島に来たときの印象が良かったので、この地で店を開いたのだ。

  娘は手紙の住所を頼りに東京に行く。町外れの一角に古びた医院が見つかる。そこの医師に幼い頃の見覚えが僅かに残っている。父は娘を、娘は父を、それぞれ認めたものの、お互いに知らないことにしてぎこちない会話を交わす。別れ際に娘は父に言う。もうすぐ阿波踊りですね。遊びに来ませんか。

  母の病状はますます悪化してきた。母のたっての願いで阿波踊りを観に行くことになった。医師もやむなく了承し同行することになった。車椅子で人ごみをかき分け進んだ。母の大好きな阿波踊り、死を前にしてその歓びは如何ばかりであったろう。

  その時人混みの中に父の姿が見えた。やがて父と母はすれ違う。父は目を赤くして母を見つめる。母は遂に父に視線を向けることはなかった。

  近頃、親子の間を描いた映画によく出会う。先日「東京タワー」を見た。この映画は母親と息子の物語である。こちらも母親はガンで死ぬ。抗がん剤の副作用で大変な苦しみ、息子がその最期を看取る。その苦しみがこの映画のクライマックスになっている。息子は幼いときから母親に色々迷惑をかけてきた。母親は息子の成長を楽しみにしてきた。その矢先助かる見込みのない末期がん。その苦しみを見守る息子の胸中いかばかりであろうか。

  「眉山」の方は母親と娘の話。母親はやはり末期がん。しかし大変な苦痛に耐えて顔色一つ変えず頑張っている。この期に及んでも娘には父親の名を明かさない。父親は死んだの一点張りである。母親は人に迷惑をかけたり、傷つけたりすることを極度に嫌った。愛する人の家庭を壊したくない。自ら身を引き、愛する人との間にできた子は自分で立派に育ててきた。

  最近この母親、神田のお龍のような人にはめったにお目にかからない。ことに関西に住んでいる所為か、損得が先にたつ大阪のおばさんが目に付いてしまう。

  お龍さんの啖呵は見ていて気持ちがいい。演ずるは宮本信子、さすがである。小料理屋でタレントを追い出すところ、暴言を吐く医師に説教するところ、こちらまで胸のつかえが降りるようである。

  江戸のお龍さんは今や阿波の人、病院を抜け出して人形浄瑠璃見物、そして阿波踊りを見たいという。この映画の圧巻はなんと言っても阿波踊りのシーンであろう。カメラ五台を使い、四日間かけての実写。フイルムの量は六時間に及んだという。そして翌日から市内の演舞場を使い、延べ一万五千人のエキストラの全面的協力を得てロケが行われた。リオのカーニバルに匹敵する迫力。さすが四百年の伝統がある。

  先日祇園祭に出かけた。動く美術館といわれ、山鉾が優美に巡行する様は美しい。テレビで放映されていた東北三大祭も豪快である。しかし祭りではないがこの阿波踊の迫力に勝るものはなさそうだ。眉山は徳島の山であり、徳島は阿波踊りである。この映画は阿波踊りなくしては成り立たなかったであろう。

  娘は死を前にした母に接することで、次第に母の生き方を理解するようになった。その上母は献体を申し出ていたのだ。

  親子の関係は人さまざまであるが、人間の関係の中で最も密なるものである。近頃耳にするのも嫌な事件が報ぜられるが、世の中一体どうなっていくのだろう。

                         ( 2007.08 )