閑中忙あり   [観たり・読んだり・歩いたり] 目次
 湖東の寺
 
井上靖の「星と祭り」は二人の父親が、琵琶湖で死んだ子供の霊を慰める為に、湖北・湖東の観音様を巡礼する話である。素晴らしい作品なので、琵琶湖周辺に住む知人に薦めたところ、それが広まって観音様にお参りする人が出てきた。当のご本人は一向にお参りしないのだけれど。湖北・湖東は昔から観音信仰が篤い。この地は歴史的に戦乱の絶えない所であったが、それぞれの土地で人々は観音様を守り継いで来た。
  湖北の高月町に渡岸寺と言う小さな寺がある。その寺は田圃が広がる集落の中にポツンと建っている。山を背負うでもなし、森に囲まれるでもない。然し国宝に指定されている十一面観音が素晴らしく、多くの人の信仰を集めている。最近では観光バスも訪れるようになった。
  いつぞや大津の付近でタクシーに乗ったら、運転手が話し掛けてきた。わが国で最も寺の多い県はどこか。京都では。いや滋賀です。真偽の程は調べて無いが、滋賀県には名刹が多い。 

  湖東の寺と言えばやはり湖東三山が挙げられる。北から西明寺・金剛輪寺・百済寺と続く。新緑によし、紅葉によし、それぞれ小高い丘の地形を生かし、周辺と一体になって見事な景観を呈している。いく度訪れても新たな感動を覚える。
  寺というものは何処も参道がいい。最近駐車場が本堂の近くに設けられることが多く、有り難味が薄れてしまう。西明寺もそうだ。ここの石段は素晴らしい。楓が左右からせり出し、太陽をさえぎる。車で駐車場に入るのは真にもったいない。
  西明寺の紅葉の美しさは、一本いっぽんその色が違う事である。黄色から真紅まで様々に入り混じっている。木漏れ日が射し、紅葉が逆光に映えるのが最高。これぞ極楽浄土と思わせる。西明寺の参道の脇に小さな庭園がある。此処に春秋二度咲く珍しい不断桜がある。
  西明寺は天台宗の寺院で、信長の焼き討ちにあったが、幸い本堂・三重塔・二天門は難を逃れ、その本堂は国宝第一号指定の栄誉を担っている。
  
  金剛輪寺は駐車場が下にあり、参道をかなり歩いて上らねばならない。年寄は入り口の庭園で休んでいる。金剛輪寺の本堂と三重塔は真に風格がある。血染めの紅葉に彩られた本堂を、三重塔側から眺めるとさながら一幅の絵になる。
  金剛輪寺も天台宗の古刹であるが、やはり信長の焼き討ちに遭っている。幸い宗徒の防衛により、本堂・三重塔・二天門は焼け残った。本堂は国宝。
 
  百済寺こそ是非車を下にとめて参道を歩いてもらいたいものだ。少し長いがだらだら坂で登りやすい。両側から楓がせり出してトンネルになっている。この寺も天台宗で、最盛期三百余坊を数えたと言うが、失火と信長の焼き討ちにより荘厳な古建築物の多くは焼失してしまった。現在の建築物はその少し後に建てらた物で、本堂・仁王門・山門等がある。
  然しこの寺の見事なのはその庭園にある。本坊の前に広がる池泉回遊式庭園と背後の山に造られた素晴らしい眺めの庭園。湖東の平野が眼下に展開し、遠く比叡から連なる湖西の山々が眺望される。いかにも伸びやかで私の好きな湖東の眺めの一つである。

  さて湖東三山からすこし離れて東の山に入っていくと、これも紅葉で名高い永源寺がある。愛知川渓谷に沿って山の中腹に切り開かれた古刹は臨済宗、如何にも禅寺らしい佇まいを見せている。本堂の葦ぶきの大屋根が素晴らしい。この寺も戦乱で焼け再興されている。
  ここの管長は京大出身、法話を聞いた事がある。管長は僧籍とは無関係な人なのだが、偶々同室の人が僧侶で、そのいたって簡素な生き方に痛く感銘を受け、自らも僧侶となった。なんでも祇園の真ん中で三味の音を聞きながら修行したそうである。多分建仁寺であろう。ここ永源寺のような全く俗界から隔絶された所は、環境が良すぎて修行に向かないのではないかと言っていた。やはり適度な誘惑があり、それに打ち克つのが修行なのかも知れない。お釈迦様もそうだったように。なんでも全国には一万余の無住職の寺があるそうで、皆さんいかがですかには参った。
  永源寺はこんにゃくと日野菜漬が名物になっている。また精進料理も出している。

  湖東にはまだまだ名刹が多い。近江八幡の長命寺は湖岸からいきなり808段の石段を登る。今では車道が整備され7割ぐらいは車で上れる。眼下に沖ノ島が浮かび景色の好い所。西国三十三箇所の札所。聖徳太子の創建。本堂と三重の塔がいかにもがっしりしていて見応えがある。その名のとおり延命長寿のご利益があると言われている。
  長命寺のすぐ近くの小高い山の上に村雲御所瑞雲寺がある。286メートル,昔は子供がロープウエイで上ると言うので半分走りながら競争したものだが、もうだめ、見上げるだけで身が竦む。ここは秀次が八幡城を築いた所。秀次の母堂が秀次の菩提を弔って建てた寺で、近年京都から移築されたもの。近江八幡の町や琵琶湖が一望される。素晴らしい眺望。近江八幡には昔の街並や堀が残っていて、散策するのによい。ここの左義長の火祭は有名。
  珍しい寺としては八日市の石塔寺。日本最古最大の三重石塔がある。朝鮮からの渡来人が建てたと言われている。石塔寺には石仏が沢山ある。地元の人が彫って献じた物と言われている。嵯峨野の念仏寺とは規模が違う。数倍あるであろう。

  お寺の事はこの位にして、花の見所、史跡の見所を少し紹介したい。年が明け、まだ湖畔を渡る風が冷たい頃、琵琶湖大橋の袂に菜の花が咲く。それほど大きい菜の花畑ではないが、琵琶湖の対岸に連なる比良の残雪がバックになっているのが素晴らしい。ちょっと信州の早春の様にも見える。早速カメラマンの大放列。近頃は夏に向日葵を植えているが、こちらはまだ有名でなく人が少ない。
  日野には石楠花渓がある。渓谷沿いに山の上まで石楠花が密生している。こんなに群生している所は見たことなかった。なんでも江戸時代に植えられたと言う。然しアイルランドに旅してびっくりしてしまった。ともかく国中が石楠花で埋まっている。この辺り新緑も美しく、遊歩道もしっかりしているので歩くのに最適。
  夏になると草津の水生植物園が素晴らしい。ここの湖畔の入江には見渡す限り蓮が群生している。その規模は他に類をみない。園内の庭園はモネの庭園を模して睡蓮が浮かんでいる。また温室には珍しい睡蓮や水生植物が植えられている。
  安土城祉も一見の価値がある。信長が七層の天守閣を丘の上に築いた。その急坂を登っていくと、左右に秀吉や家康と言った戦国大名の屋敷跡が並んでいる。天守閣の跡は思ったより小さい。この近くにある博物館にその五層、六層のレプリカが展示されている。堺屋太一監修によるもので、外人も驚いた金ぴかで豪華な装いが再現されている。
  安土城からほど近いところに、五箇荘と言う古い街並がある。近江商人発祥の地で、今でも古い家が残され、幾つか見学出来るようになっている。昔から家代々に伝わる家訓が飾られている。バブルに踊った経営者に是非見て貰いたいと思う。

  最後にごく最近訪れた所、八日市の万葉の森船岡山を紹介する。万葉集の中で最も有名な相聞歌,額田王と大海人皇子の交わした歌の歌碑がこの丘にある。
      あかねさす 紫野行き 標野行き
        野守は見ずや 君が袖振る   ―――額田王(巻一 ― 二十)
      紫草の にほへる妹を 憎くあらば
        人妻ゆえに われ恋ひめやも  ―――大海人皇子(巻一 ― 二十一)
  この歌が詠まれた蒲生野はここだという。周囲を見渡すと一面稲穂が揺れている。真偽は問うまい。しばし万葉の昔に思いをはせ「茜さす・・・」を口ずさむのもいいだろう。
                        ( 2002・08 )