閑中忙あり   [観たり・読んだり・歩いたり] 目次
   マイ・ビッグ・ファット・ウェディング 

  ビッグ・ファットとは「大仰な」という意味だそうだが、まあ大変大仰な結婚式である。この映画は僅か5百万ドルという超低額予算で、宣伝もせず、口コミで広がり、実に2億ドルの売上を上げた近頃珍しい作品である。因みにこの年2億ドルを越えた作品は6作品あるのみだそうだ。勿論制作費は桁違いである。まあ久し振りに面白い映画を観る事が出来た。
  
  ギリシャの移民、主人公の父は、ギリシャ料理店の経営に成功、一族のボスに納まっている。娘はその店のウエイトレスとして働いているが、子供の頃から色気のない眼鏡をかけ、およそ恋とかファッションには無縁な存在である。齢は既に30を超えようとしている。
  あるとき背の高いハンサムな青年がこのレストランにやって来た。娘はこの青年に一目ぼれ。然し自らを振り返ると、とてもこの青年に接近できる状態ではない。そこで娘は一大変身を決意する。髪形を変える、化粧を変える、ドレスを変える、そして眼鏡はコンタクト。女は化け物、あっと驚くギリシャ美人に変身。彼女は更に父親の反対を押し切って、学校に通い、コンピューターの技術を習得、伯母の経営する旅行代理店に勤めるようになった。
  その店の前を、偶々例の青年が通りかかった。彼女を見て入ってくる。変身は大成功、レストランでは目にも掛けなかった彼だったが、一遍に彼女に引かれる。二人はあっという間に恋に落ち逢瀬を重ねる。
  父親を始めとして家人の猛反対の中、青年は娘にプロポーズ。娘は承諾してしまうがとても結婚できる状態ではない。娘は青年に駆け落ちしようと言うが、青年は断固反対、娘の父親の言うとおりに従う事にした。
  さてここからが大変。父親はがちがちのギリシャ人。世の中はすべてギリシャから発していると思い込んでいる。世界中の言語はすべてギリシャ語に語源がある。日本語ですらたちどころにその語源のギリシャ語を言う。
  やがて青年の両親をこの一族に引き合わせる儀式となった。青年の父親は弁護士、いかにもアングロサクソンと言った生真面目な両親。その上ベジタリアン。いやはや驚いた。一族郎党集まっての飲めや歌えやの乱痴気騒ぎ。ウーゾと言う強い酒をあおり、両親もしたたか飲まされグロッキー。
  最大の難関は改宗。プロテスタントからギリシャ正教へ。正教は儀式が煩い。洗礼式は大変だった。しかし青年は黙々とこれに従った。
  そしていよいよクライマックスの結婚式。正にビッグ・ファットである。ギリシャ正教のおごそかな結婚式の後、自らのレストランを専用しての大披露宴。すべてギリシャ式の大宴会はいつ果てるともなく続いた。
  青年も両親も偉かった。養子に来たわけでもなかろうに、自分達の仕来たりは全く無視され、ガチガチのギリシャ様式で事が進められていくのに、文句一つ言わない。どう見ても男のほうがハンサムに思えるが。

  アメリカにはギリシャからの移民が結構多い。我々はギリシャの事は歴史で学んでいるが、現在のギリシャは殆ど知らない。以前にギリシャを訪れた事があるが、ガイドから、ここに住んでいる人は、かつての栄光のギリシャ人の子孫ではありません。全く別の人だと思って下さいと言われた。
  この映画を見ていると、よく出てくるイタリアの家族に似た感じがするが、もっと濃密な民族性が出ている。特にこの父親はギリシャが世界一優れた国とかたく信じ、自宅をパルテノンに模して建て、生活習慣もどっぷりギリシャ様式に浸かっている。

  最近日本でもそうだが、アメリカでは個人中心の社会になり、結婚の相手も、結婚式も親に関りなく本人同士で決めてしまう事が多いようだ。昔の生活習慣や伝統が次第に薄らいでいく中、このような映画が大うけするのは、古いものに対するノスタルジアなのであろうか。

  多民族国家のアメリカ、この2百年余の歴史を見ると、各民族が独自の文化を主張していく中で、次第にメジャーなものに同化されていくという道を辿っている。
  司馬遼太郎が「アメリカ素描」を書いている。氏はアメリカには各民族の文化が色濃く残っているものと思って勇んで出かけた。アメリカに着いてがっかりした。そこはアメリカ文明一色に染まっていた。そうなるともう氏の興味を引かない。その為かこの本は余り面白くなかった。

  かつて中根千枝(東大教授)が「タテ社会の人間関係」と言う本を著わし、日本人論にしばしば引用された事があった。日本社会の人間関係の特色はタテ社会の人間関係にあり、その発する所はイエでありムラである。・・・今や日本のイエやムラは崩壊してしまった。急激な都市化がそれを齎した。盆と正月には大渋滞を乗り越えて子や孫が帰って来る。常は老人ばかり。鶴瓶の「家族に乾杯」と言う番組を見ていると、日本の田舎もすっかり都市化し、その中でひっそり老人が暮らしている様子が映し出されている。
  では日本の移民はどうなっているのだろう。北杜夫の名著「輝ける碧き空の下」を昔読んだ事がある。初の移民船笠戸丸がサンパウロに着いた所から始まる。初期移民の労苦は筆舌に尽くしがたい。それでも移民たちは得意のイエ・ムラで助け合い励ましあい、次第にブラジルの地に根を下ろしていく。
  北杜夫がこの物語の三巻目を書く為にブラジルに取材してがっかりしてしまい、二巻で筆を置いた。二世、三世と一世との人間関係の悪さ、戦後進出してきた日本企業の従業員と移民たちの不和。昔はビンガ(安物焼酎)と芋しかなかったけれど、日の丸を上げて皆で正月を祝ったものだ。
  日本企業といえば、高度成長の時代、多くのビジネスマンが世界各地に進出していった。最初は海外生活に慣れないので、得意のムラを作って群れて住み、群れて行動して、現地の人の顰蹙を買った。聞くところによると最近では、海外生活にも慣れ、会社の序列を持ち込むのは厭だと言って、離れて生活する人が多くなったと言う事である。
  我々は昔から日本のイエやムラは非常に強いものがあると教えられてきた。然し最近の状況を見ると、存外脆いものであった。

  ボーダレスの時代、一方では地球は一つと言う均質化が進んでいるが、他方では昔からの伝統・習慣を大切に残し、引き継いでいく人達もいる。それはそれで人々の生活に潤いを与え、面白さ豊かさを加えるものでもある。
  ただ困るのは自分の様式を他人に強要し、他人の様式は断固拒否する人がいる事である。それは厄介な事にしばしば民族紛争の種になる。この映画の青年の家族のような人ばかりなら、世の中どんなに平和になるだろう。

                      ( 2003.09 )