閑中忙あり [観たり・読んだり・歩いたり] | 目次 |
阿修羅、奈良の仏像の中でもひときわ人気が高い。殊に女性が好むようだ。興福寺の国宝館に行くと、いつも阿修羅像の前に人だかりがしている。阿修羅はインド神話に出てくる神様で、人類に危害を加える魔神とされている。しかしこの阿修羅を見ると、眉間に皺を寄せて、なにやら憂いを含んだ優しいお顔をしている。 昭和54年、NHKから2週連続で向田邦子の「阿修羅の如く」が放映された。その1年後、後編がやはり2週間にわたって放映された。当時大変な人気を呼んだが、毎晩遅く帰っていたので、ちゃんと観ていなかった。 それから四半世紀、そのドラマが映画化された。当時の娘役の八千草薫が母親役になって登場した。若い人はこの映画をどう観るのか知らないが、年配の人は懐かしいのか結構足を運んでいた。このテレビ・ドラマの脚本は、文庫本で出ているので、映画を観てから読んでみた。多少の違いはあるものの、基本的にはテレビも映画も同じである。 人間の中に阿修羅が潜んでいる。平和な時には現れない。この家族、夫婦と四姉妹、波風立たずに今日まで平穏に暮らしてきた。それがある事件を契機に次々と意外な事実が現れ出てきた。 竹沢家の三女の突然の呼び出しで四姉妹が久しぶりに顔を揃えた。70歳を迎える父に愛人と子供がいるというのだ。俄に信じがたい姉妹の前に、探偵の写した女性と子供と一緒に納まっている父の姿があった。姉妹はただ驚くばかり。対策も浮かばず、兎も角母には内緒にしておこうと約束して別れた。 長女は未亡人で、華道の先生をして身を立てている。実は出入りの旅館の主人とはねんごろで、旅館のおかみもうすうす感づいている。次女はサラリーマンの妻。二人の子供がいる。どうやら主人には勤め先に愛人がいるらしい。三女は図書館に勤めているが、潔癖症でなかなか相手が見つからない。最近調査を依頼した探偵が接近してきている。四女は冴えないボクサーと同棲中。新人戦に勝ったら正式に結婚しようと思っている。母だけは夫の浮気を知ってか知らずか泰然と日常生活を送っている。 あるとき新聞に匿名の投書が載った。それには竹沢家と似た話が書かれていて、夫の浮気を妻は知っているが、敢えて波風立てない方が良いのではないかと書かれていた。 やがて三女は探偵と結婚し、四女はボクサーがチャンピオンになったのを機に正式に結婚した。 ここからが問題。長女は旅館の亭主と浮気している現場をおかみに押さえられてしまう。次女は夫の浮気の現場を押さえんと出かけるが、逆に相手の秘書に「私近く結婚します」と言われてしまう。三女は変わった者同士で何とか新婚生活を送っている。四女はボクサーが試合の後遺症で植物人間になってしまい、看病に明け暮れしている。 そして父が愛人に会いに行くと、何と愛人に「長らくお世話になりました。近く結婚する事になりました」と言われ、「それは良かった」とひとこと力なくつぶやき、すごすごと引き返す羽目になってしまった。 そして最後に悲劇が起こった。次女が父の愛人の住んでいるアパートの近くに行くと、なんと母が立っているではないか。母は父の浮気を前から知っていたのだ。そのとき母は次女の姿を認め、驚きのあまり倒れてしまう。 母の葬儀の後、四人の姉妹は母の箪笥を片付けていた。そこになんと新聞社からの投書のお礼の品が入っていた。あの投書は母が書いたのだ。 母が夫の浮気を知っていても、波風立てずにいるのが良いのか。娘達は父の浮気を知っていても母に知らせない方が良いのか。これはなかなか難しい問題である。この夫婦は大正生まれである。妻は成人した四人の女の子もあることだし、波風立てずにそっと見守ると言うのがむしろ普通だったかも知れない。夫にしてみれば、妻を養い、四人の子供を立派に育て、浮気ぐらいは許されても良いのではないかと思っているのであろう。 長女はまだ40台の未亡人。このまま歳を重ねるのは寂しい。再婚話もあるが、さりとて今更気が進まない。そこで浮気の一つもと言う気持ちになるのだろう。次女の夫は義父の浮気に寛大だ。わが身に後ろめたいものがある。子供もそろそろ親離れしてきている。次女は夫の浮気を疑っているが、厳しくは追及しない。三女は潔癖症で男との関係は不器用。父の浮気は断然許せない。探偵まで雇って調べている。四女は今様な娘。親の許しも得ずに、リスクの大きなボクサーと同棲している。将来の事は考えずに刹那的な生き方をしている。 四人の姉妹は性格も違い、育ってきた時代も少しづつずれている。それぞれ考え方が違っても当然であろう。何れにしても彼女等と我々はほぼ同時代である。従って余り離れた世界の物語ではなく、善悪は別としても何となく理解できる話である。 今年は小津安二郎の生誕百周年と言う事で、連夜NHKで小津の作品を放映していた。「晩春」「彼岸花」「秋刀魚の味」「東京物語」何れも小津の代表作。昔の事を思い出しながらついつい毎晩観てしまった。 ここに出てくる父親と娘の関係には「阿修羅」とは違い、父と娘の心の触れ合い、結びつきが色濃く残っている。戦後間もない頃からカラーに移った頃の話である。 男やもめの父。適齢期を過ぎようとしている娘。父は娘の結婚をあせている。娘は自分が嫁に行けば誰が父の面倒を見るのかと心配している。自分で勝手に相手を見つけてきた娘を許せない頑固な父親。相手はなかなかいい青年。遂には折れて結婚式に出席。久しぶりに田舎から出てきた老夫婦。子供たちは忙しくてアテンドできない。結局会社を休んで面倒を観てくれたのは、一人暮らししている戦死した長男の嫁であった。・・・・ その昔、娘は箱入りで、勤めに出る事や高学歴を身につけることは好まれなかった。自由に男性と付き合う機会も無く、男と言えば父親を見て育った。父親は尊敬される存在であった。父親は娘を手放したくないけど行き後れては困るとジレンマに陥り、友人達と酒を飲んでは女の子は詰まらんとぼやいていた。 今では娘は母親につく。父親は不潔な存在、何か言えば時代遅れの博物館入りと思われる。それでも会社や飲み屋では若い娘に理解があり、結構もてると思っている。 向田邦子は台湾で飛行機事故により亡くなった。まだこれからと言うのに真に惜しい事をした。向田邦子の作品の特徴はリアリティと言われている。題材として奇抜なものを採り上げている訳でなく、日常ありそうな話を書いている。それでいて何か人の気持ちに鋭く切り込んでくるものがある。それはあたかもモーパッサンの短編小説を読むような気がする。 ( 2003・12 ) |