閑中忙あり   [観たり・読んだり・歩いたり] 目次
 阿弥陀堂だより 
        
  フランスの映画監督ゴダールが36年ぶりに来日した。氏はこんな事を言っていた。「良い映画とは民族や国民の本当の顔を映し出すものである。世界中がハリウッドという単一の文化に席巻され、テレビに押され影響力を失うにつれ、国家や民族の真の姿を映し出す映画作品は消えた」。                                      
  山本富士子が日経紙の私の履歴書を書いていた。あの頃までは日本の映画があった。然し戦後わが国はアメリカ文化の影響を色濃く受け、日本の顔の映画は次第に若者に受けなくなってしまった。
そこでアメリカ追従の映画が作られるようになったが、恋愛物は生活習慣の違いからピンと来ないし、スペクタル物やアクション物は物量が桁違いに違うので、ママゴトのように見える。日本の映画産業は次第に衰退してしまった。

  最近「阿弥陀堂だより」の評が良かったので観に行った。そこには日本の顔があった。美しい自然が残っている。里山の四季の移ろいは素晴らしい。そこに住む人々の濃やかな人情。時がゆっくり流れ、物語りは淡々と展開していく。
  黒澤明の弟子小泉尭史が「雨あがる」に続いての作品。自ら脚本を書いている。原作は第百回芥川賞を受賞した南木佳土の同名小説。氏は医者でもある。映画では奥さんが医者になっているが。氏は以前多くのガン患者の死を看取って鬱病になった。そこで生まれ故郷の田舎に引っ込んだ。そこの山河は美しく、人々の心は優しく、氏の心は次第に癒されていった。そんな体験が基になって書かれたものだ。氏は最近日経紙にこの映画の事を随筆に書いていたが、特にこの映画の背景になる奥信濃の美しさ、それを見事に捉えたカメラワークの素晴らしさを讃えていた。
  美貌の樋口加奈子、親譲りの渋みが増してきた寺尾聡、演技か実技か分からない入神の境地に入って来た北林谷榮、日本のよき顔がこの美しい自然の中で自然に演じられ、心洗われる映画であった。

  東京に住む夫婦、夫は新人賞を貰った小説家だが、最近は鳴かず飛ばず。妻は最先端の医療に携わる医師。ところがある時パニック障害という原因不明の心の病に掛かってしまう。二人はそれを契機に夫の故郷信州へ移り住むことになった。妻はこの無医村の村長さんのたっての願いに、週一日だけ診療所に通う事となった。村人は良い先生がきたと大喜び、夫は筆が進まず家事の手伝いをしている。
  この夫婦が先ず訪れたのが阿弥陀堂。堂守のおばあさんは96歳だが、元気にこの阿弥陀堂で暮らしている。村人がお参りに来ると、話し相手になって日がなのんびり過ごしている。お盆がやってくる。おばあさんは死者と話をする。このおばあさんと話をしていると、そこらのカウンセラーよりよほど心が安らぐ。妻の心も次第に癒されてくる。
  この阿弥陀堂で夫は一人の少女に出会う。少女は村役場に勤めているが、口が利けない。おばあさんの話を聞いては、村の広報誌に「阿弥陀堂だより」というコラムを連載している。おばあさんはお堂の周りに野菜を作り、好きなだけ食べて暮らしている。「私がこの歳まで生きられたのは貧乏だったからです。貧乏に感謝します」。と言っている。
  夫は中学の時の恩師がガンに冒されながら、淡々と死を迎えようとする生き方に感銘を覚える。恩師の妻もそれを受容していて敢えて病院に入れようとはしない。
  やがて少女が悪性の病に冒されていることが分かる。それを救うには高度の医療技術がいる。妻は一旦捨てたメスを再び取る事を決意する。少女の手術は成功する。・・・・・
  このようなストーリーの展開する中、村人達の生活、この夫婦との関りが淡々と描かれていく。阿弥陀堂には相変わらず老婆達が集まり、念仏を唱え先祖を供養している。雪深い中お祭りがある。村人は楽しそうに集まってくる。夫は刀を振りかざし舞う。
  春の新緑、夏の陽光、秋の紅葉、冬の雪景色、自然は四季折々美しく装う。その中に純朴で濃やかな情を持つ人達の生活が静かに営まれている。ここに長い事忘れられていた日本の農村の原風景がある。原作者が書いていた。この小説を発表したら何と甘ちょろい話かと非難した人がいたそうだ。

  先日高速道路民営化推進委員会の答申を巡って政界は揺れた。田中角栄の列島改造論に影響されてか、わが国では農村の都市化が善であると言う国民的コンセンサスがあるように思える。新幹線の車窓から眺めると、大手ハウジングメーカーの家が建ち並んでいる。マックやローソンの看板が到る所に見られ都会と余り変わらない。
  新幹線が通った、高速道路が開通した。これでおらが町の発展は疑いなし。と思いきやそうは問屋が卸さない。車を持っている若者は、高速道路を飛ばして近くの都会に行ってしまう。食事・買い物・映画やコンサート・・・遊ぶものには事欠かない。おらが町の商店街は寂れる一方。僅かに残っていた映画館も閉館の憂き目に会った。駅前も何となく物悲しい。
  昨秋北イタリアを旅した。ミラノからローマまで中小都市を巡った。街は小高い丘の上に作られている。広がる田園には殆ど家らしいものはない。牧草地、麦畑、オリーブ畑、ブドウ畑と続く。この風景を見ていると、和辻哲郎が書いた「イタリア古寺巡礼」に出てくる風景と全く変わらない。この本は50年前に書かれたものだが、50年どころかルネッサンスの頃から変わっていないのかも知れない。
  昔の良さを残す事と、利便性を追求する事ではしばしば矛盾するところがある。イタリアを旅していると、イタリア人があたかも古くて不便なことを楽しんでいるようにすら見える。日本人の観光客はそれを馬鹿にする。
  わが国はアメリカ型で、利便性を追及することに熱心である。日本の顔はどんどん失われてしまった。それは単にものの面だけではなく、人の心の中から日本人の良さであった人情と言うものを失はせてしまった。この映画はそんな事を我々に静かに問い掛けているのではなかろうか。
                            ( 2003.01 )