閑中忙あり [観たり・読んだり・歩いたり] | 目次 |
なんとも爽やかで、ほのぼのとした作品ではないか。山本周五郎の短編「雨あがる」を黒澤明が映画化しようと脚本に取り組んだ。結局これが黒澤明の遺稿となってしまった。 その映画化には、黒澤組のスタッフが総力を挙げて取り組んだ。製作は息子の黒沢久雄、監督には、黒澤明の下で助監督を勤めていた小泉尭史があたった。 雨が降りしきっている。人々は川を前にして足止めを喰らっている。町のはずれの一軒の安宿には、路銀にも事欠く貧乏人が、ろくろく飯も食わずに、ひたすら雨のあがるのを待っている。空腹はいさかいの元だ。そこ此処で喧嘩が起こる。 独りの浪人が雨の中を出て行く。やがて、米・魚・野菜、それに酒と大量の食料を人夫たちが担ぎ込んでくる。浪人は「私のおごりですから、遠慮なくやってください」という。やがて飲めや歌えやの大宴会。一同「こんな楽しいことは生まれてはじめて」と浪人に感謝感激。 やがて雨があがる。浪人は独り森の中で刀を抜いて腕を磨いている。そのとき数人の武士が果し合いをしようとしているのを見て仲裁に入る。偶々通りがかった殿様が、その仲裁振りに感銘し、わが藩の師範代にと請う。 御前試合のテストにも合格し、採用通知を待っていた。人々は雨があがったので、浪人に感謝の言葉を述べながら、ひとり又一人と去っていった。そこに家老がやってきて言うのには、武芸の腕は申し分ないが、町で賭け試合をやったと言う訴えがあったので、残念ながらこの話はない事にしてくれと言う。 そのとき、是まで愚痴一つ言わないで、夫を励まし、夫に従ってきてきた妻が、膝を乗り出して家老に言った。「私は、是まで賭け試合だけはしてくれるなと言ってきました。しかし今はっきり分かりました。何をしてはいけないのではなくて、何のためにするのかと言うことが大切なのだと」。 浪人夫婦は新たな士官先を見つけるために旅を続ける。殿様は家老から浪人の女房の話を聞いて、痛く感じ入り、馬を駆って後を追う。浪人夫婦はやがて海の見える峠にたった。そこからは他藩が望まれる。 実はこのエンディングには三通りある。山本周五郎の小説を読むと、浪人夫婦を追うものは誰もいない。黒澤明の脚本では、殿様が浪人に追いついて、改めて仕官について懇願するようになっているそうである。この映画はその中間で、白馬にまたがった殿様が、必死に鞭を当てて山道を走るところで終わっている。どの終わり方がいいかは人それぞれの好みであろうが、私には何となくこの映画の終わり方がいいように思われる。 山本周五郎は、恐らく現実はそう甘くないと考えていたのかもしれない。人情家黒澤明はハッピーエンドで終わらせたかったのであろう。この映画では、殿様が浪人に追いついたかどうかは観客の判断に委ねている。 山本周五郎は、「樅の木は残った」とか「栄華物語」と言った歴史物の大作を残している。これまでの正悪を逆転してみると言う面白い取り上げ方をしている。氏はまた市井の人や下級武士を主人公にした所謂人情物の短編を沢山書いている。ところが氏は古風な人情物作家と言われるのを大変嫌っていた。解説を読むと、氏はこんなことを言っている。「人間の人間らしさ、人間同士の共感と言ったものを、満足や喜びの中よりも、貧困や病苦や、失意や絶望の中に、より強く私は感じることが出来る」。氏は又こうも言っている。「私は人を泣かせる技術は若い頃から会得した。しかし私はそれを使おうとは思っていない」。 雨あがるが載っている短編集「おごそかな渇き」の中には、「紅雨目毛」とか「かあちゃん」などの秀作が多数収録されている。それは山本周五郎の言うように、お涙頂戴の人情物ではない。自分の生き方を頑なに押しとおす武家物や、自分の生活が苦しいのに、密かに困っている人を助ける健気な町人物がそこにはある。昔、といっても江戸時代は、日本にもこのような人がいたのだろう。今日では、芝居の種にはなるだろうが、もはや映画のテーマにもならない。 損だ得だ、好きだ嫌いだ、格好いい悪いの世の中、山本周五郎の世界はどこを探しても見当たらない。山本周五郎の長編小説に「虚空遍歴」と言うのがある。私は酒飲みのせいか、妙にこの小説に共感を覚える。主人公沖也は独自の浄瑠璃の節付けをし、沖也節と呼ばれ有名になった。座元や大名・金持ちからお呼びがかかる。しかし沖也はアル中、出番を待っている間に酒肴が供されるとつい一杯。そうなるともうブレーキがかからない。結局座をしくじり、スポンサーも失ってしまう。しかし沖也はひたすら芸の道を求め、各地を遍歴する。金銭・地位・名誉にはさらさら執着しない。ついに旅の途中で酒が元で死んでしまう。その地は今庄である。 ヒューマニスト黒澤明は、山本周五郎の小説をかなり映画化している。「椿三十郎」「赤ひげ」「どですかでん」。そして近く封切られる「どら平太」も脚本の一部を昔書いたもので、黒澤組の手によって、映画化されつつある。黒澤明は草葉の陰からどんな気持ちでこの「雨あがる」を見たことであろう。 (2000.02) |
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