閑中忙あり   [観たり・読んだり・歩いたり] 目次
      二人日和・明日の記憶       
          

  京都御所の近くに梨木神社がある。この社の境内に名水が湧き出ている。その名水を一人の初老の男が毎朝汲んではコーヒーを入れ、奥さんと二人で静かに飲んでいる。四十余年間変わらず静かに時が流れていく。特にこれといった話題はない。

  この主人の店は室町の辺りで代々続いた老舗、神官の装束を扱っている。先祖伝来の店は順調に営まれ、夫婦の間にも特に問題はない。

  そんなある日のこと、妻の体に異変が起こった。ALS(筋萎縮性側索硬化症)に冒されていることが分かった。医者には「早ければ半年ほどで箸がもてなくなる」と宣告された。妻はいたく悲観したが、そんな妻に夫は優しい言葉をかけることもなかった。

  ある朝、水を汲んでの帰り道、夫は一人の青年がトランプのマジックをやっているのに目を止めた。夫は青年を家に招き、妻に教えてやって欲しいと頼む。妻は動きにくい手先を使ってトランプの手品を試み、少しは上達し心慰められた。

  やがて青年のマジックショーが開かれた。夫は妻を車椅子に乗せ、加茂川べりを押していく。桜の花びらが二人の上に散る。・・・

  妻の病状は更に進んできた。夫は先祖代々続いた老舗をたたんで妻の看病に専念することにした。家の片付けをしていたとき、偶然妻の古い日記を目にする。そこには若かりし頃の出来事が記されていた。夫は改めて妻の深い愛情を知った。

  この映画を観て少し経ってから、「明日の記憶」という映画を観た。このほうは逆で、夫がアルツハイマーに冒され、妻がその看護に献身的に当たるという話。

  夫は広告代理店のやり手の部長。今や大きなプロジェクトを受注、大張り切りの毎日。そんな部長の異変に部下が気づいた。会議をすっぽかす。得意先との打合せに現れない。訪問先の場所が分からなくなる。・・・・

  家でも物忘れがひどくなり、奇妙な行動が多くなってきた。妻はそれに気づき、夫を連れて医者に行く。医者の診断はアルツハイマーであった。夫は自らの病をのろい、医者に激しく当たった。

  夫は長年勤めた会社を辞め、妻が働きに出ることになった。妻は夫の行動予定を細かく書き、あちこちに貼っておいた。それでも夫はしばしば間違い、妻に激しく当たった。妻は自分が夫の面倒を一生見ようとやさしく接していく。

  夫は妻の留守中、認知症の介護施設のパンフレットを見つけ、一人で訪ねてみる。夫はそこで見た光景に愕然とする。夫は昔行ったことのある焼き物の里に行ってみる。昔の親父が土をこねていた。自分もやってみる。結構いける。その帰路のこと、迎えに来た妻に夫は他人と思って声をかけてくる。さすが妻は愕然とする。・・・・

  前者は妻が筋萎縮症で動けなくなってくる。後者は夫がアルツハイマーで動き回るが正常な意識が失われてしまう。その中で夫婦の愛情物語がどう展開していくがこの二つの映画のテーマである。

  「二人日和」は藤村志保と栗塚旭、「明日の記憶」は渡辺謙と樋口加奈子、いずれもベテラン揃い。これ等の作品の成功はその役者達の存在に負う所が大である。それと舞台。

「二人日和」は京都の町屋。いかにもしっとりとした京都の情緒がただよい「二人日和」の雰囲気が出ていた。一方「明日の記憶」の方は広告代理店という先端的なビジネス、場所は渋谷という喧騒な町、アルツハイマーとの落差が大きい。

  日本の男子は愛情表現が下手だ。先祖代々の家業をたたんで、妻の看護に専心すると言うのは余程の事だ。それも不治の病。回復の見込みの全くない病人に対してである。夫は相変わらず無口で、妻に慰めの言葉一つかけるでもない。しかし夫は妻の残りの人生に最大限の世話をしようと思っている。妻は夫の気持ちは分かりすぎるほど分かっている。お互い言葉に出さないが気持ちは充分通じあっている。古きよき時代の日本の夫婦の愛情表現が静かに映し出されている。

  一方の「明日の記憶」の方は年齢が少し若くなる。夫はチャキチャキのビジネスマン、しかも先端的な仕事。アルツハイマーと宣告されたときのショックは大きい。奥さんは優しい。夫に生涯尽くしていこうと決心し、あれこれ気配りして対応していく。夫は思うに任せないので苛立ち、しばしば妻に当たる。妻はじっとそれに耐え、夫に仕えていく。これもよき時代の妻の典型であろう。しかしラストで夫と道ですれ違ったとき、他人と思って声をかけられたのには余程ショックであった。

  私の知人でごく最近ALSで亡くなった人がいる。スポーツ万能で、定年後ゴルフだスキーだと余生を楽しんでいた。そこへALS、次第に体が動かなくなり亡くなってしまった。まことに気の毒なことであった。身近に起こると人ごととは思えない。

  近頃高齢化に伴い認知症が増えてきて社会問題にもなっている。先日NHKが認知症を取り上げ連続して放映していた。奥さんが認知症になり旦那が看病している。奥さんはイライラ怒るばかり。だんなは長い看護に疲れ、息抜きにショートステイで施設に預ける。さすが専門家、次第に奥さんの表情が変わってくる。遂に旦那に対しても時折笑顔を見せるようになった。これは実録である。それを見ると何となく救われた気持ちになる。最近ドイツでバリデーシヨンという手法が行われているようで、わが国にも伝わってきている。それは患者との間に感情を通わせることによってコミュニケーションするというものである。

  私の母は百歳を超えている。たまに訪れると喜んでお酒を付き合ってくれる。なかなかのハイピッチである。終日コタツで居眠りしているようだが、姉の世話で元気に暮らしているというのは本当に幸せである。

  核家族の現在、認知症を支えているのはごく少数の人だ。長期に及ぶと介護者が参ってしまう。かといってボランティアといっても限度がある。そこで介護の施設ということになる。高額のもの、信用不安のもの、介護内容の悪いもの・・・・問題も多いようだ。

  少子化により厚生関係の費用はますます苦しくなってきている。最後のよりどころ国家も頼りになるだろうか。    

                        (2007.01 )